hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

下山淳という男

下山淳について語る言葉を僕はあまり持っていない。でもいつかは書きたいと思っていた人物ではある。

 

下山淳。僕がこの名前を初めて知ったのは「ロッキングオン」のルースターズのことについて書いてある文章からだった。当時のロッキングオンは読者がロック評論を投稿し、優れたものを掲載する誌面がメインであった。

 

その投稿でどのアルバムについて書かれたものかは忘れてしまったが、「このアルバムは下山淳の切り裂くようなギターあってのものだ」というようなことが書かれていたと記憶している。

 

僕は、ルースターズはデビューアルバムから聴いてはいたが、それは3枚目のミニアルバム「インセイン」までだった。あまりにもロックンロール臭くて少し敬遠していた。当時の僕は前から書いているがもっとギザギザした音を求めていた。だから中期の変化を知らなかった。「インセイン」ではもうほのかな狂気はその名の通り音に出ていたのだが・・・。

 

そこへこの投稿だ。「下山淳という人が加入したのか」と思い、買ったのが結果的に大江在籍時のラストアルバム「φ」(1984)だった、と思う。ここら辺の記憶は定かではない。調べると12インチシングル「C.M.C」で下山は加入している。

 

「φ」を聴いてから遡ってルースターズを聴くようになった。例によってバンドリーダーのJUNさんから「DIS」と「Good Dreams」を借りた(その前の「ニュールンベルグでささやいて」「C.M.C」は自分で買った)。見た目もギタープレイも僕は彼のことを気に入った。

 

「φ」以後は花田裕之メインのルースターズになるわけだが、下山はあくまでも花田をサポートすることに専念しているように思えた。作曲し、歌いもしたけどサイドマンとしての立ち位置は崩さなかったように思う。

 

ルースターズ解散後、彼を発見したのは、泉谷しげるのアルバムと遠藤ミチロウソロ・プロジェクトであるゲイノー・ブラザーズでだった。

 

泉谷の「吠えるバラッド」でThe Loserのメンバーとして仲井戸麗市とともにギターで参加する。その次に出た「セルフ・カヴァーズ」だったと思うが、泉谷は「あれは下山のアルバムだ」とコメントしたのを覚えている(1曲目「春夏秋冬」の名イントロはこのアルバムのサウンド上の性格を聴く人に強く印象付けた)。要するにプロデューサーとしての彼の力量が認められたわけだ。

 

ああ、でも思い出した。ルースターズのラストアルバムのインタビューで下山は「花田の書いてくる曲はアレンジなんてできないよ。ニール・ヤングが好きなんだって言うんだよ。そして『Lady Cool』みたいな曲を書いてくるんだ」と苦笑い(多分)しながら話していたな。その頃から彼はプロデュースする能力に長けていたのだろう。それに好きだったのだろう。

 

ゲイノー・ブラザーズでは「ブレード・ランナー」という曲で素晴らしいギターを聴かせてくれた。

 

その後、60/40 というバンドを作ったとか沢田研二のバックバンドに加入したとかという話が伝わって来たんだったかな。要するに僕は下山淳の動向を追いかけなくなった。

 

そんな僕が驚いたのは元ルースターズ(第1期)のメンバーで組んだバンド「ロックンロール・ジプシーズ」に下山もいたことだった。「そうか。下山もこのバンドにいるんだ」と思った。改めてルースターズに対する彼の思いを感じた。

 

そんな彼も62歳である。僕よりちょっとお兄ちゃんのミュージシャンが60を超えている。そして僕は彼らの若かりし頃の作品を今でも愛聴している。不思議なもんだ。僕は見た目もギターもカッコよいのに、あんまりしゃしゃり出ない彼のスタンスが好きだ。

 

 

記事をアップしてから思い出した。泉谷しげるの「吠えるバラッド」のライブ映像で「野良犬」を5人くらいでアコギで演奏する場面がある。曲の紹介をダラダラしている泉谷を無視して勝手に下山淳がイントロを弾き出した姿はかっこよかったな。その後の演奏も素晴らしかった。