hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

大江慎也その2

5月16日(月)

 

今日は朝4時からルースターズのCDをiTunesに取り込みiPhoneで聴いていた。それでも元気が出ない僕は、もう家を出なければいけない時間を過ぎてもDVDで彼らのラストライヴを見て、何とか学校に行く勇気を振り絞った。

 

ギリギリの時刻に学校に到着し、6年生の授業の前に安定剤を飲んだ。おかげで感覚が鈍磨したけれど、上手く声が出ない。今日はまとめのプリント学習だったからよかったが、これが続くと心配だ。

 

昨日は「救命病棟24時」というドラマを観て、自分より大変な人がいるんだ、と自分で自分を励ましたり、村田諒太の番組(ゴロフキン戦の前にカウンセリングを受けていた)を観たりしていた。番組で印象に残った言葉が「Fight or Flight」という言葉である。「闘争か逃走か」と訳されているようだ。ウィキによると、「戦うか逃げるか反応」というらしい。「過剰反応、急性ストレス反応」とされることもあるらしい。今の僕は迷わず逃走を選ぶ。逃げたくてたまらない。しかし学校事情がそれを許してくれない。補欠授業に出ることもあるし、担任の1人がコロナの濃厚接触者になったことで授業が1時間増えた。そして僕は先週の木曜日に締め切りだった指導案をまだ提出していない。

 

そろそろ大江のことを書いてみよう。

 

前回書いた2004年に発表されたボックス・セットだけど、初期のイケイケだった頃からのコンサート映像がふんだんに収録されている。しかし調子が悪くなった時の映像も残されている。「ドゥ・ザ・ブギ―」という曲で途中大江がただ立ち尽くすだけで何も歌っていない場面が映っていた。それを観た時は怖かったし痛々しかった。

 

というわけで、大江のルースターズ脱退にまで時計の針を戻そう。

 

1984年の「φ」発表後、ルースターズを脱退した大江は、1年間ほど自宅療養の日々を過ごす。そして1987年にソロデビューする。

 

1987年「ROOKIE TONITE」

 〃  「HUMAN BEING」

 〃  「ALIVE」

1988年「BLOOD」

1989年「PECULIAR」

1989年「18 YEARS」

1990年「WILL POWER」

 

約4年間だ。1987年発表のアルバムはレコードで買った。「ALIVE」では先の2枚のアルバムの曲に加えてルースターズ時代の楽曲を交えて演奏している。映像化もされている。このアルバムを一番聴いたな。映像の方は痛ましかった。大江の瞳孔は開き切ってどこを見ているのか分からない。気をつけをして歌っているが、足の横につけた指先がひっきりなしに不規則な動きをする。当時の僕は凄いものを見ているんだと思った。しかしこの頃の大江のマネージャーというかプロデューサーが最悪の人で(柏木省三という)、いろいろ無理をさせていたらしい。きっと大江の異常な立ち居振る舞いも商売になると思って焚きつけたのだろう。判断力を失っていた大江は従うしかなかったのだろう。

 

1988年「BLOOD」はCDで買ったが、もう僕は大江を追うことはなくなった。しかし同年に行われたルースターズのラストライヴには出演している。大江、頑張ったんだな。

 

1990年から2000年までの動向についてはよく分からないが、母の介護をしながら、いろいろなアルバイト等をして暮らしていたらしい。2000年には重度の潰瘍性大腸炎と診断され、大腸を全摘出し、人工肛門を形成することになる。

 

2003年、ルースターズ時代のメンバーによって構成されたバンドROCK’ROLL GYPSIESへの作詞に参加する(花田が声をかけたらしい)。同年10月には新バンド「UN」を結成する。大江が音楽活動を再開させたっていうんで、フジロック出演の動きが生まれ、ついに実現したというわけだ。

 

 

眠剤が効いて眠い。今日は指導案について何も考えなかった。ほんとはこんな記事を書いている場合じゃないんだけど、学校では授業後、ヨガマットに横たわり固まるばかりだった。

 

 

ダメだ・・・明日にしよう。

 

と思ったら夜の11時半に目覚めてしまった。眠る直前に指導案のアイディアが浮かんだ。奇跡だ。これなら失敗しても納得できそうだ。明日は3限後に時間が空いているから何とかその時間で指導案を仕上げるぞ、という気持ちになった。

 

「ALIVE」で大江は「持ち時間はわずかなんだ」と歌っている。今の僕にもそんな感覚がある。

 

 

5月17日(火)

 

今日は1~3限授業だった。安定剤は飲まなかった。そのせいか、僕は心の中でイライラしていた。なかなか授業が自分のイメージ通りにならないことに腹を立てていた。もっと言えば子ども達のせいにしていた。いかん。こんな風に考えたことなんて今まであまりなかったのに。

 

指導案は15時からやっと作り始めた。80%くらいできたかな。校長は20日金曜日まで待つよと言ってくれた。ありがたい話だ。その言葉に甘えて今日もいつも通りの時刻に帰った。今朝も新しい時間割が机上に置いてあった。また1人濃厚接触者になったらしい。学校は回っていくのかな。

 

 

帰ってから服を着替えるのもシャワーをするのもご飯を食べるのも鬱陶しい。只々横になっていたい。そんな時に思いがけないブツが届いた。サンディーの「マーシー」というアルバムだ。結構前に注文していたので忘れていて、ルースターズばかり聴いていたが、「マーシー」を聴いて癒された。これは名作だ。「カム・アゲイン」とセットで聴くと更に素晴らしく響く予感がする。「マーシー」についても記事にしたいところだが、今の僕にそんな馬力はなさそうだ。もしかしたら自分が思っている以上に追い込まれているのかな。よく分からんがビールを飲みながらこの記事を書いているのは、あんまりよろしくないことは分かる。ふぅ。疲れた。

 

 

2004年以後の大江の動向も記録していきたい。