大江慎也は63歳になってもロックンロールを奏でていた

大江慎也については前に記事に書いたことがある。彼の目下のところの最新作「GREATEST MUSIC」(2006)についての記事だ。今日は彼の活動の全貌を書いてみよう。

hanami1294.hatenablog.com

 

 

大江慎也は福岡県北九州市で生まれる。中学に進学した頃からストーンズやらビートルズやらの洋楽を聴き始めるようになる。高校は進学校で、「IQが試験のトップレベルを遥かに上回っている」と教師に言われたこともあって、東京大学等の進学も考えていたらしい。しかし「普通の仕事に就くのなら大学に行くことにあまり意味はない」と考え、音楽の道に進むことにする。その頃には「薔薇族」というバンドに所属していた。

 

その後「人間クラブ」というバンド(大江はギター担当でヴォーカルは南浩二。多分南氏がリーダーだった)を経て、1979年「ルースターズ」を結成する。その頃の大江はリーダーシップをバリバリ取るイケイケのお兄ちゃんだったと思われる。ヴォーカル、ギターを担当。初期のライヴを観ると、彼のギターの格好良さがよく分かる。そしてギターの花田裕之、ベースの井上富雄、ドラムスの池畑潤二というメンバーは比類のないロックンロールサウンドを鳴らすことのできるメンバーだった。もっと言えばパンクを通過した高性能ロックを鳴らすことができた当時唯一のバンドだった(今だから言えるんだけど・・・)。ザ・ミッシェル・ガン・エレファントザ・ルースターズがいなかったら存在しなかったはずだ。

 

1980年にはコロムビアよりデビュー。そこから怒涛の快進撃が始まる。

 

1980年「THE ROOSTERS

〃  「THE ROOSTERS a-GOGO」

1981年「INSANE」・・・ミニアルバム

1982年「ニュールンベルグでささやいて」・・・12インチシングル

1983年「C.M.C」・・・12インチシングル

 〃  「D.I.S」

1984年「GOOD DREAMS」

 〃  「φ」

 

大江が第1期ルースターズに在籍していたのはこの5年間だ。今考えるととても短い。そして濃密だ。デビューアルバムは不朽の名作である。ストーンズマディ・ウォーターズの曲を高速ヴァージョンでカヴァーしたが、ルースターズは50年代ロックンロール(「カモン・エブリバディ」とか)やブルースナンバー(「モナ」とか)をストーンズよりさらに加速させて演奏した。2枚目はポップになったが基本的には同じ路線だった。様相が変わってきたのは3枚目のミニアルバム「INSANE」からだ。「正気とは思えない」「常軌を逸した」と名付けられたタイトルのA面は今までのロックンロール路線をより先鋭化させた作品が5曲並ぶ。問題はB面だ。「Case of Insanity」「In deep Grief」という2曲だ。「Case of Insanity」(「精神病の場合」っていうの?・・・直訳過ぎる?)は曲調は明るいが、それ故に大江の今までとは違う調子っぱずれの歌い方に鬼気迫るものを感じる。その後もよくこの歌を歌っていた。僕は何となく怖くてこの曲をあまり聴かなかった。ここら辺から大江の精神は変調をきたす。

 

次の12インチシングル「ニュールンベルグでささやいて」録音後のジャケット撮影の時に大江は笑いながら壁に頭を打ち付けていたという。それで母親に心配され、精神科を受診、そして入院する。その後も作品は発表するが、精神的不調は改善されずに1985年には地元の福岡に戻って入院する。大江のルースターズ脱退は彼に無断でアナウンスされたらしい。

 

僕は松村雄策が「元気のいいバンドが出てきた」とデビュー当時のルースターズの紹介をしているのを読んで、すぐにエアチェックした。しかし彼らの曲には僕の求めていたギザギザは感じられなかった。ロックンロールロックンロールし過ぎている感じがした。だからあまり聴いていなかった。サウンドもそうだったし、何より大江のヴォーカルに今イチ乗れなかったのだ。今聴くとデビュー当時から既にかすかな狂気というか異物感が声の成分に宿っていることがよく分かる。多分ライヴを見れば一発でKOされていただろう。後にこの時代の映像を観てあまりのテンションの高さにびっくりしたもの。

 

そんな僕が再びルースターズを聴くようになったのは大学時代だ。バンドに入った僕は、その兄弟バンド(って言えばいいのかな?メンバーがダブっていた)が「C.M.C」をカヴァーしているのを聴いて何てカッコいい曲なんだろうと思い、早速2枚の12インチシングルを購入した。「C.M.C」もよかったけれど、「ニュールンベルグでささやいて」を聴いた時の衝撃は忘れられないな。B面の「バリウム・ピルス」も素晴らしかったが、その次の曲「ロージー」はもっと素晴らしかった。これはデビューシングルのセルフカヴァーである。オリジナルは歌詞はともかくとても元気が良くノリのいいナンバーだ。しかしこのヴァージョンはテンポを落とし、気だるげに歌っている。この2枚でノックアウトされた僕は早速JUNさんに「D.I.S」と「GOOD DREAMS」を貸してもらって聴きまくっていた。下山淳が加入した頃だ。

 

大江時代のラストアルバム「φ」は自分で買った。その前から彼の声がデビュー時と変わってきているのに気づいてはいたが、このアルバムでの大江の声は「彼岸から聴こえてくる声」だった。美しい、儚い、しかし怖い、そんな声だった。彼が脱退したというニュースを聞いて納得したものだった。もしかしたら大江はこのアルバムで音楽的人生を止めようとしていたのかもしれない。それくらい終末感が漂う声だった。

 

大江が脱退した後も花田が好きだった僕は、律儀にルースターズを聴いていた。JUNさんと一緒に東京でその頃のライヴも観た。ラストアルバムは素晴らしい出来だったので僕としては納得していた。ラストライヴでは最後の最後に大江が登場して「C.M.C」を歌ってくれたので更に納得した。1988年のことだった。

 

僕に再再ルースターズブームがやってきたのは、解散して16年経った2004年9月に発売されたCDとDVDのボックスセット「VIRUS SECURITY」がきっかけだった。これはフジロックルースターズ・ラスト・ライヴ(オリジナルメンバーで)をやることが決まったから企画されたものだったと思う。DVDではフジロックに向けて歩み出す映像がリハーサル初日から当日のライヴ、ライヴ終了翌日のインタビューまでたっぷり収録されていた。これを見て思ったことはまず、「大江は生きていた!」だった。そして居酒屋で饒舌にライヴでやりたい曲を喋る大江に感動し、店のおじちゃんに元気よく「生ビ!」と注文する大江に涙した。メンバーはフラットに大江と付き合っていた。というか、ラストライヴでオリジナルメンバーが集まったことに心打たれた。10年以上経っていても誰も大江を見捨てていなかったのだ。(←それはその後も続く)

 

本番ではファーストアルバムや「インセイン」の曲を中心にあくまでデビュー時の高性能ロックンロールを観客に叩きつけた彼らだった。ここに至りやっと僕もファーストアルバムの良さを心から味わうことができるようになった。

 

しかし。ルースターズの音源は未だにサブスク解禁されていない。調べてみるとレコード会社とか何かそんな大人の事情かららしい。このままサブスク解禁されないのは犯罪的だよ。

 

 

うーん、まだ2004年か。書きたいことはまだあるぞ。続きはまた今度ということにしよう。でもタイトル通り、63歳になった今でも大江は歌っていた。ちゃんとYouTubeで一人でも歌っていたよ。そんな大江を見て僕は美しいと思った。