hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

生徒、佐野元春

佐野元春吉増剛造の詩に出会ったのは、高校時代だった。吉増の初期の代表作「黄金詩編」(1970)である。その難解な表現に頭を抱えたらしい。

 

「これを読んだ時、表現は非常に複雑、前衛的なのでどんな意味がここに含まれているのか(考える)ということを僕は諦めて、言葉の韻律に焦点を絞って心の中で読むのではなく、語ってみたんですよね。そうすると驚くことに、非常に音楽的だという発見があったんです。何とか何とかという節があってその節が後半にいくにしたがってビルドアップして大きなダイナミズムを生んでいく。それを心の中で朗読することによって(楽しみが)得られた。一つの詩を読む楽しみにつながっていきましたね」

 

「詩の中にはビートがあり、僕流の言い方を許していただけるのならば、ロックンロールがそこにあったんです。すなわち、朗読することによって意味性を超えて巻き込まれていく感じ。これは吉増さんの詩を心の中で朗読することによって得られた経験でした。はい。これは正直に言いたいです」

 

その詩を吉増の前で佐野が朗読する。佐野は本当に朗読が上手い。まず滑舌が非常に良い。そして間。これが絶妙なのだ。

 

詩の内容は、僕にとっては「ああ、遠藤ミチロウだ」と思ってしまうものだった。というか、ミチロウも吉増作品に多大な影響を受けていると感じた。

 

朗読つながりでいうと、日本の音楽シーンで朗読(ポエトリーリーディング)を定着させたのは友部正人だろう。彼の作品「No Media」には本人は勿論のこと、ミチロウや真島昌利仲井戸麗市などの朗読が含まれてる。これはシリーズ化もされた。

 

もう一人朗読と言えば、宮沢和史である。彼は単独で朗読会を行ったり、朗読や歌を交えたコンサートを行ったりしていた。ミヤも優れた詩人であるとともに優れた朗読者である。

 

話を戻そう。ここから佐野が創作に使っている三浦半島に行き、再び対談は始まる。

 

海岸で始まった対談は、アメリカで始まった「ビート文学」についてのことだった。それにしても昨日も書いたが吉増の語り口は淀みなくて気持ちが良い。佐野は吉増が「ビート文学」について話したのを受けて、ジャック・ケルアックの「路上」について話し出す。

 

「最初、日本語に訳されたものを読んでみたんですね。ところが小説というよりかは、散文詩に近かったために、『これは原文を読むべきかな』と思い、原文を取り寄せまして、そして英語で読んでみたんですね。(そうしたら)もうまさに韻の嵐でしたね。ライミングの嵐ですね。」

 

その後対談の場所を家の中に移し、佐野は吉増に次にように尋ねる。すると吉増は時に先生のように、時に詩を朗読するように佐野に語りかける。それを佐野は真剣な表情で聞く。まるで大学の講義のようだった。

 

佐野「先生に是非おうかがいしたいことは、詩を書くということの根源的な問いになってしまいますが、現代において『詩』は人類の危機に直面した現実をその表現をもって打ち勝つまたは乗り越える、凌駕することができるのか?詩というのはそうした力をまだ持ち得ているのか、ここについて先生のお考えを聞かせていただけたら(と思います)」

 

これに対して答える吉増。長いよ。

 

「これまでにあった日本の場合ですと、短歌、和歌、川柳、俳句、小説、あらゆる芸道も含めてあらゆる形あるものをもう滅びたことにしないといけない。そういうものに自分の魂を傾けるわけにはいかない、そういう風に決断して、『ヘボ道』でもいい、それから読者がいなくてもいい、聞き手がいなくてもいい、しかしその表現の道の大陸へ向かって、歩み出そう。形がないかもしれない、途方もない表現の大陸がある。まあ普通アメリカと言われるのはこの大陸のことかもしれない。人が生きていっていい『大きな大きな形にならない未完成のと言っていい、未知のと言っていいものがある』。これが、ギンズバーグの『ハウル』がわたくし達に与えてくれた、『ビート』が与えてくれた根幹みたいなもんなんです。私のしようとしていることは、そうした形あるものを全く拒絶して拒否して、そしてその形あるものがとり残してきたような、断絶だとか亀裂とか空白とか沈黙とか、そこに目を向け、そしてその中で大変な苦労をしなきゃいけないけれども見つけてくるものをなんとかして提示しないといけない。それは提示できないから提示の手前で終わってしまうものかもしれないけど、(それを)やろうとしたのが私の50年60年の貧しい道でした。そうしたことにほ~んとに貧しい、しかも読者も全くいらない、分からなくてもいいという、印刷文化あるいは新聞ジャーナリズム文化に毒されないような、さらに深い未知の声の根源があるかもしれない、そういうものを時たま命綱のようにして見つけながらそれをお話していく。だから昨日今日のお話は、それの一つの例ですけどね。そんな風です」

 

「先生がずっと歩んでこられた道を時々この対談の中で『ヘボ道』と仰ってる。しかし若い自分からみると、T.S.エリオットが提示した『荒地』。その荒地の先を綿々と繋がる詩人達の努力、挑戦といったものがある。先生もその一員としてその荒地を、僕のイメージですよ、その荒地を生き残りを賭けて強いサバイバルの意識を持ってここまで歩んでこられている。決して『ヘボ道』とは僕には思えない。その勇敢さにほんとにもう僕は感銘します」

 

 

この後、更に話は深くなっていく。

 

 

佐野元春にとって、こういう機会を持つことができたことはとても有意義だったであろうことは間違いない。

 

 

深いところで共感し合える同志、あるいは先輩、教師がいることはとても幸せなことだ。