hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

こんな佐野元春の姿は初めて見た

1週間前に「しばらくお休みします」という記事をアップしたというのに僕は今キーを叩いている(現在4月10日午前3時)。習慣というのは恐ろしいな。でもすごく刺激的な番組を観たんだよ。だからこんなことになっているんだ。

 

その番組はNHKの「SWITCHインタビュー」だ。佐野元春が詩人の吉増剛造(82歳)と対談したのだ。佐野はこの詩人を「リスペクトしている」と言った。僕はこの詩人のことを知らなかった。

 

そしてこう続ける。「詩人というと言葉を紡ぐ専門家のように思われるかもしれませんけど、吉増さんは言葉を超えて映像などで言葉を核とした多様な表現をなさっている。日本においては先駆的な存在でもあります」

 

一方吉増が佐野を知ったのは2020年に発行された文芸雑誌「群像」での佐野元春インタビューであると言う。実際それを持ってきていたが、何やら付箋のようなものがたくさん挟まれている。

 

「佐野さんが40年をかけて時代を切り開いてこられたその姿を直感的に・・・これはずいぶん正しいというか立派なっていうか本格的な何か気品のあるそういう詩人歌い手がここにいるんだなっていう直感がまず働いて・・・」と吉増は語る。

 

インタビューを読んで感銘を受けた吉増は手紙を佐野に送った。佐野は「これは手紙以上のメッセージがこの中にしたためられているという風に感じられた」「また同時に吉増さんの文学者としての魂のようなものが手紙に書いてある」。だからこれを一つの作品としてとらえ、大事に持っていた(それをワープロで起こし何度読んでも大丈夫なようにしているそうだ)。

 

そして印象に残った文章を読み上げる。「おそらく佐野氏もわたくしも心底目指していますのは、言語の奥底の恐るべき韻律(である)」「時に言語を超えてまでの恐るべきもの。それを歌とは言い習わしてはおりますが、佐野さんも、おそらくメカスもそこを目指して苦戦している筈なのです。ここまで綴れましたのならもはや何かの実現は必要はないのかも知れないのです」

 

佐野はそれに答えるように返事を書いた。「吉増さんの詩はビートだと思う。どの詩にも打ちひしがれた至福が息づいている。表現は難解ですが僕の中で立ち上がってくるイメージは明快です」「吉増さんとは世代が違う。世代が違えば見たり聞いたりしたものも違う。しかし今回お会いするにあたって、そのような世代的な体験を超えて吉増さんの詩人としての内なる魂に少しでも触れてみたいと思っています」

 

 

そしていよいよ対面だ。バスの中から駆け寄って最敬礼して吉増を迎える佐野。どちらも笑顔だ。2人の戦士が見せるような笑顔だった。(ちなみに佐野が乗っていたバスは「アトムバス」という名前だった。佐野のリクエスト、あるいは制作側の配慮に違いない)

 

 

吉増は高齢にも関わらず淀みなく話す。「(佐野さんは今)危機感と仰いましたよね。ほんとに仰る通りどこにいても僕は非常時っていう言葉も使いたいんですけども、『危機感』、危機を常に感じつつ勿論エンターテイメントでもあり、真剣さでもある。これが今度は危機感がなんか研ぎ澄まされてくるんじゃないですか?非常に微妙なことをお尋ねしてもいいかどうか迷いながらですけども、ザ・コヨーテ・バンド、あれを集中的にお聞きしていると、ギター2本と、ベース、ドラムス、ピアノですか。彼らは時々は佐野さんの後ろからヴォーカルとして入ってくる。あの微妙な表現の層が、危機感を持っているような緊張感を持ってくるような時ってあるんじゃないかなって(思います)。」

 

佐野は嬉しそうに答える。「正直言いまして吉増さんをしてですね、自分のコヨーテ・バンドで創っているサウンドについて、そこに切り込まれたというのは、驚きとともにもうほんとに嬉しいことですね」

 

「非常に面白いのはコヨーテ・バンドのメンバー一人一人もそれぞれがソングライターですから、いざバンドで一緒に演奏しようということになると、まず自分の言葉、佐野元春のリリックを聞いて、それに楽器でどう反応しようか、こういうような現象が起こるわけですよね。それまでは、メロディが先に出来て、そこに言葉が追随していくという曲の創り方をしていたんですが、コヨーテ・バンドと一緒にやるようになって、まず言葉が先にあり、そこにビートとメロディが追随していくという、初期の自分のライティングスタイルとは真逆の形に変化していった。」

 

この後佐野は、吉増の初期の代表作「黄金詩編」(1970)に触れる。

 

とにかく佐野元春は、吉増に最大限の敬意を払って、また先生に教えを乞う生徒のように真剣に話をしたり聞いたりしていたのがとても印象に残った。

 

こんな佐野元春の姿は初めて見たな。

 

 

 

                                 (続く)