hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

ほっとした

高校受験同様、ギリギリで大学に合格した僕は、またしても同じ轍を踏んだ。合格したからもう勉強しなくてもいいだろうと思ってしまったのである。家から電車で通っていた僕は、そのうち塾講師のバイトを始めて、その年の夏にはアパートに引っ越していた。アパートに引っ越すまでは真面目に大学に通っていたが、引っ越してからは生活が昼夜逆転した。

 

授業に行っていなくても何とかなるのが大学だった(当時)。試験前にノートのコピーを回してもらったりしてね。しかしフランス語だけは違った。僕は同じ組の人がみんな中国語を第2外国語に選んだのに、見栄を張ってフランス語を選んだのだった。知り合いは一人もいなかった。もう一つ、美術もダメだった。つまり授業に行って作品を創らないと始まらないから成績がつかない。

 

2年目の終わりに研究室を決める。その時に一般教養をクリアしていなければいけない。僕は美術の先生に何とかしてくれないか(通してくれないか)お願いしに行った。当然「無理ですね」と言われた。その通りだと思った僕は、「分かりました。もう1回頑張ります」と言った。そしたら先生は「分かった。その言葉を忘れるなよ」と言ってくれて通してくれた。

 

フランス語はどうしても試験を受けなければいけない。これも先生にお願いしに行ったが当然のごとく相手にされなかった。

 

留年が決定した瞬間だった。

 

しかし僕は心のどこかでホッとしていた。もう優等生じゃないんだ。今まで何とかギリギリすり抜けてきたけれど、落第したのは厳然たる事実なのだ。もう期待に応える必要はないと思った僕は、家に電話してそのことを告げた。母にがっかりした声で「じゃあ、次頑張ってね」と言われた時は、解放感でいっぱいだった。

 

この間僕の私生活はどうだったのか。前に付き合っていた女性と再会し、帰国子女とも再会することになった。

 

前に付き合っていた彼女とは電車で再会した。その時の僕の様子がどうも彼女には眩しく映ったらしい。しばらくして手紙が来た(手紙が好きな女性だったんだ)。「また前のように付き合えないか」と。僕はまず唖然とした。次にどうするべきか迷った。僕の中ではもう過去のことになっていたからだ。そこで僕は合コンを持ちかけた。そして合コンをしてその後1回だけ会った。その時はもうアパートに住んでいたのでそこに連れていった。それだけだ。別に襲いかかったわけじゃない。ただお話しただけだった。その後彼女から連絡はこなくなった。

 

次に帰国子女の方だが、これも電車で再会した。「あれ?東京じゃないの?」と聞くと彼女は「今ちょっと体の調子を崩していて帰っているの」と言った。どうも聞くところによるとメンタルをやられて体調不良になったらしい。またの再会を約束して別れたがほどなくして彼女から連絡があった。僕達は喫茶店で喋り、彼女が見たいというので僕のアパートまで連れていった。そこでお話をして別れた。その後も彼女は地元にいたので、一緒にお酒を飲んだこともあった。ほどなくして彼女は再び東京へ戻った。

 

今考えると、どうも惜しいことをしたような気分になる。惜しいというかなんというか。僕に興味を持ってくれているのに、僕はそれに応えなかったという思いがある(後に親しくしていた女性にこのことを喋ると「そういう時、女性はね、服から下着からあれこれ悩んであなたと会いに来ているのよ。それを汲んであげないって・・・。ほんとにもう・・・」と言われてそうなんだ、と思った)。

 

あとはある看護師学校に通っている年上の女性がいてね、・・・と言うとちょっとあれなんでやめときます。

 

 

                                                                                                              (この項終わり)