hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

妻と僕(最後)

結婚式は、友だちは呼ばないで内々だけで済ませたいという僕たちの意向を双方の両親が汲んでくれた。当日式が終わって親族たちは飲みに出た。僕達はアメダさんの着る私服がないと言ったら、彼女の妹が慌てて実家に取りに行った。実家まで最低でも1時間はかかる。その間僕たち二人は狭い控室の中で二人きりだった。今頃宴会で盛り上がっているだろうね、とか言いながら。しかし主役だった2人がこんな狭いところにいるなんて誰も思いもしなかっただろう。2時間後やっと妹が服を届けてくれた。丁寧に礼を言って僕たちは晴れて外に出た。

 

そのまま新しいアパートに帰り、ぼうっとしていたら夜になった。僕は「二人でお祝いしないか」と提案した。承諾した彼女と一緒に僕が今まで住んでいたアパートのすぐ近くにある焼き肉店へ行った。この店で僕たち二人は常連として扱われるようになっていた。

 

もう結構遅い時間だったのですぐに席に着くことができた。しばらく飲み食いしてから僕は店を経営しているおばちゃんに「実は僕達、今日式を挙げたんですよ」と言った。すると、いつもにこにこしているおばちゃんがさらに顔を崩して喜んでくれ、「先生(←こう呼ばれていた)、おめでとう」と言ってビールを1本持ってきてくれた。その気持ちがとても嬉しかった。

 

僕達は結婚後いろんな所へ行った。あまり人が行かないような所によく行った。例えば「成田空港人間ウォッチング1日ツアー」。成田空港まで車で行く。そこで海外へ行く人達をぼうっと見る。そして泊まらないで帰る。これは面白かったけれど疲れた。帰りの後半の運転は途中から妻に代わってもらった。

 

それからこれは若気の至りというしかないが「雲仙普賢岳ツアー」。これは2泊3日だった。災害に遭った場所が今どうなっているかを確かめに行こう、と僕が提案した。現地を見て僕は深く反省した。災害の爪痕があまりにもひどすぎたからだ。

 

あとこれも不謹慎なのだが、台風が来て休校になった時、「台風を追いかけようぜ」と言って西から東に海岸を見て歩いたこともあった。

 

うどんツアーのことは既に書いた。当然「蕎麦ツアー」も考えた僕たちは1回だけ信州に行ったことがある。蕎麦は確かに美味しかったが、あまりにもお腹が一杯になりすぎて、これは食べ歩きには向かない、と判断した。

 

 

こんな風にして2人で仲良く暮らしていたが、勿論いつもいつも仲良くしていたわけではない。

 

喧嘩して僕は家出をしたことがあったか?あった。サウナを転々として数日を過ごしたことがあったな。妻から物を投げられたことは?ある。じゃあ僕が妻に手を上げたことは?それはない。

 

僕は再会してからは「アメダ」と苗字を呼び捨てにし、下の名前で呼ぶことはなかった。結婚してからそれはまずいということで下の名前を呼ぶようになったかといえばそうでもなく、未だにどう呼べばいいか迷っている(親族がいる時は下の名前で呼ぶが)。妻はあることをきっかけに僕のことを下の名前で呼ぶようになった。そして家も建てた。

 

とまあこんな風にして妻と出会い今に至るわけだが、発病した僕をいつも励ますわけでもなく見放すわけでもなくただ「居てくれる」妻には足を向けて寝られないな。教頭になったというのに今日(祝日)も学校へ行き、仕事をしている。一つはほんとに仕事の為、もう一つは僕を一人にする為に。僕は一人の時間がないとだめな人間なんだ。

 

 

 

2月に入って何と小学校時代から今に至るまでを振り返ってしまった。もう何も出ないよ、というわけではない。書かなかったこともあるし、書けなかったこともある。しかしこんな時間を持つことができたのはいいことなのだろう。これを書く事を後押ししてくれたJUNさんとレノンさんには心から感謝したい。

 

                                    (了)