病気という道を選んだのかもしれない

最近やっとご飯の炊き方を覚えた。僕はどしどしご飯を炊いて妻と2人で食べている。いつものことなんだけど、どうしてこんなに簡単なことを今まで覚えようとしなかったのだろうと思う。

 

 

炊き方はこんなんだ。

 

 

米2合を研いで水に浸しておく→水を切る→鍋に米を入れる→水を2合分入れる→蓋をしてIHの目盛り4で炊く→3分程で表面がプクプク動き始めたら目盛りを3にする→12分炊く

 

 

たったこれだけである。でもね、表面がプクプクしてなんてどうやって判断するんだ?とか思って躊躇してたんだよね。でもある日いつものサトウのごはんがないことに気づいた僕は仕方なく米を炊いてみた。これが上手くいったので気をよくして米を炊くようになった。

 

 

というわけで、現在95%の確率で僕は夕食を作っている。妻が帰宅する→着替えをして手を洗ってテーブルにつく→既に夕食がテーブルに置かれている。こんな感じだ。すごくない?立派にヒモを務めていると思うな。何やかんや言って2年以上も続けているのだ。僕は自分がよれよれになるまで続ける所存である。

 

 

それにしても、と昨日思ったことがある。仕事をしていた時には、仕事をする、夕食を作る、シャワーと洗濯をする、ブログを書く、レコードを聴く、ということをやっていたんだ、と。今では考えられない。よくやっていたなぁと遠くを見ながら呟いてしまう。リタイヤ感満載の僕である。

 

 

さあ、今日は10年以上遡って昔のことを思い出すぞ。それがタイトルに書いた「病気という道を選んだのかもしれない」だ。選んだのは僕自身だ。

 

 

 

 

 

ここまでが、今朝早くに書いた文章である。そんで、今は18時である。この間精神的にきつくなる事案が起こったので、なんもやる気がしなかった。どうしようかな。

 

 

ダイジェスト版でいくか。もしかして詳しくは後日書くかもしれない。

 

 

えーっと、僕と同年代の人は男女問わず、現在管理職をしている人がほとんどだ。僕は現在ただの教諭だ。僕はどうして管理職にならなかった(なれなかったの方が近いか)のだろう?

 

 

結論はこんな感じだ。僕は心の底から管理職になるのが嫌だった。けれど、そういう選択肢は当時なかった。ある程度の年齢になればみんな(特に男子は)管理職になるのが当たり前だった。どうすればいい?と考えた末に僕が無意識に選んだのが病気になることだったのかもなぁ、という話だ。

 

 

このまま終わるとちょっとえらそうな感じがするな。うーんと、僕だって一応期待はされていたのだ。管理職になるルートは、一般的には研究主任か生徒指導主事になる→教務になる→教頭になる→校長になる、だった。僕は研究主任になれと言われた時に断った。しかし当時の教頭に、「あなた、管理職に就くつもりがないなら、授業で圧倒的な力を見せる教諭になるしかないわよ」と言われ、渋々研究主任になった。

 

 

研究主任については、それはそれでいい経験をさせてもらったなと思う。そして研究主任2年目の3学期に校長に「来年度教務になるかもしれんから」と言われた。その時には頭がクラクラしたよ。その年度は大変なクラスを担任していたから僕のキャパはいっぱいいっぱいだった。2学期には生まれて初めて精神科に行った。そんな僕に追い打ちをかけるなよな、と思ったものだ。

 

 

結果的には教務にはならず3回目の研究主任になったのだが、夏休みに初めて病休を取ることになった。「これで管理職にならずに済む」と思ったのかは今では判然としないが、何回目かの病休を取った時には「俺は、教諭(という立場)でこの仕事を終わるのだ」とはっきりと思った。

 

 

もしこれが事実に近かったりしたら僕のことを大人げない、と思う人も大勢いるだろう。僕もどこかで「情けない」と思わないでもない。いや、違うな。「やれやれ、よかった」という思いで一杯だったと思う。

 

 

そういうようなことを細かく書こうと思ったけれど、もう大体書いたからいいや。

 

 

 

とにかく、僕はこういうやつなのだ。

 

 

 

おしまい。