hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

恐怖政治は終わった 新しい世界を作ろう

「先生」を無理矢理2つのタイプに分けるとしたら、「子どもを上手く管理したい」と思っている人と「子どもの自主性を伸ばして育てたい」と思っている人に分けられると思う。この正反対と思われる2つの針(考え方)の間には勿論グラデーションがかかっているが、どちらも行き過ぎなければ考え方としては妥当であると思われる。

 

しかし昨年度、一昨年度は「子どもを上手く管理したい」の針をさらに大きく飛び越えて思いっ切り振り切った「恐怖政治」が行われていた。それは子どもに対しても大人に対してもだ。

 

大人でいうと、一昨年度は僕が7月から病休&休職、昨年度は1人が3か月病休、講師が3学期辞めるという事態になった。これもひとえに恐怖政治がもたらしたものである。そして職員会議では誰も何も意見しない、意見できない空気だった。

 

恐怖政治の元締めは教務主任である。その人が持った教科では、担任が子どもから「お願いだからボイスレコーダーで録音して」「お願いだから一緒に教室にいて」と切実に懇願されていたらしい。

 

その人は教頭に昇任して(!)異動した。元締めはいなくなった。そして元締めの腰ぎんちゃくだった生徒指導担当だった男が教務主任となった。

 

その男は「今年度はゆるい感じがする」としきりに新教頭に言っているらしい。

 

当たり前じゃないか。

 

今まで恐怖で子ども達を締めつけていた、つまり先生の顔色ばかり窺って態度を決めていた子ども達にその重しがなくなるとどうなるか、考えてみればすぐに分かる。

 

問題は大人たちが「考えない人」になっていたことだ。しどろもどろでも何でもいいから自分の教育観なり授業観なりを話そうとしない人になっているからだ。

 

チャンスはこの3週間に何度もあった。学校研究でこんな子ども達に育てていこう、そのためにこういう取り組みをしましょうという呼びかけもない。学級開きや授業開きで子ども達に何を伝えたのかはっきりしない。職員会議では相変わらずみんな黙ったままだ。この時期が一番大事な授業も何に取り組んでいるのか分からない。

 

こういう状態を今の教務主任はどう考えているのだろうか。何も考えずただ現象面だけ見て(子どもが誰かの家に石を投げた、という事案があった)「ゆるい」と言っているのだろうか。前の方が良かったと思っているのだろうか。

 

しかもその男は元締めがいる間は僕に一切喋りかけなかったのに、4月になったらやたら話しかけてくるようになった。

 

誰かが「もう世の中は変わった。新しい世界を作ろうぜ」と言わなければいけないのだ。振り切ってしまった針を少しでも元に戻す努力をするのだ。ただ「ああ、いなくなって楽になった」じゃあダメなのだ。

 

僕?うーん、俺かぁ。自分のところに来てくれる若い人には喋っているよ。でもそれは大きな動きにはならないのが現状だ。それに今の僕の話を聞いてくれる中堅以上の人はいない。まずは少しずつ大人が「考える人」になるよう関わっていくしかないと思っている。