hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

一番にこのブログを読んでもらいたい人

一番にこのブログを読んでもらいたかった人、それは僕の従妹だ。もうこの世にはいない。亡くなってどれくらいたつだろう。最後に会ったのは、2017年7月12日だった。

 

全身ガン?で闘病していた従妹はいつ電話しても明るい口調で逆に僕の方を励ましてくれていた。僕が心配しても「なるようにしかならないから。」と明るく笑い飛ばしていた。僕は彼女が病気になる前から彼女の居住地である福岡に行く行くと言いながら延び延びになっていた。

 

しかし、いよいよ大変なことになりそうだということを知り、姉に「今行かなければもう会えないかもしれない」かどうかを確かめた。姉は言葉を濁した。そこで7月11日の日中に従妹と職場からメールのやり取りをしていたが、珍しく彼女の言葉に切れ味がない。スケジュールはどうなっているのかという僕の質問にのらりくらりとかわすものの言い方に違和感を持った僕は、その日の夕方、福岡に行くことを決めた。

 

そして夜遅くに福岡に着いたことを従妹に知らせ、明日の検査に付き合うからと言った。翌日10時過ぎに向こうから僕の宿泊先に来てくれて、その足で大学病院に行った。その日に新幹線で帰ることになっていた僕は、14時頃病院で彼女と別れた。彼女といたのは検査の合間のほんの数時間のことだった。でも僕はそれでいいと思った。

 

それが彼女に会った最後だ。

 

僕は、きっと従妹のことが好きだったのだろうと思う。小さい時から。

 

小学生の時は、毎年のように夏休みに実家のある僕の住んでいる町にやってきた。みんなから好かれていた彼女はいろいろな所に泊まっていたが、我が家にいる時間はかなり長かったと思う。

 

毎朝、卵焼きを作って食べたり、洗剤でシンクを泡だらけにして遊んだりしていた。みんなに可愛がられる彼女に対して僕が拗ねたこともあった。

 

お互い思春期になってからも小学校時代ほどではないが、僕の家を訪れていた。そんな時、叔母さんが「お願いね。どこかに遊びに連れて行ってちょうだい。」と言いながら僕にお小遣いをくれたこともあった。その時思春期真っ只中だった僕は彼女と一言も口を利かずにデパートへ行ってレコード店に入り、自分だけレコードを買って帰ってきた、なんてこともあった。(ひどいな、今考えると。とにかくシャイだったんだ。)

 

そんな僕は大学生になっても彼女に対してシャイなまんまだった。空港で別れる時、「ハグしよう。」と言って近づいてきた彼女に対して僕は直立不動のまんまだった。どうしてこんな不愛想な男にそこまでするんだ、と思いながら。

 

大学を卒業した僕にある日カメラを向け写真を撮ったこともあった。あの時も相当抵抗したが、出来てきた写真を見ると結構気に入ったりもした。

 

僕が結婚したこと機に、今までのシャイな部分が随分薄れて彼女と普通に話すことができるようになった。それからはちょくちょく電話やメールをするようになった。

 

僕が一番心配していたこと。それは彼女が女性として心も身体も満たされる瞬間がちょっとでもあったのか、ということだ。でも、それは杞憂だった。強い絆で結ばれていた人がいたらしい。姉からそれを聞いてほっとした。

 

よく俺は誰に向かってこのブログを書いているのだろう、と思うことがある。でもほんとにこれを読んでもらいたかったのは従妹だったんじゃないかな、きっと。と再認識しながらせっせと文章を綴っている。

 

このブログを読んだら何て言ってくれたんだろう。

 

明日から「400」はエロくなるからどう思うだろう。でもそれを読んでも彼女は笑い飛ばしてくれるだろう。きっと。