50年前の僕

今から50年前、つまり小学5年生だった時のグループ日記とでも言っていいのかな?そういうものを妻が僕の実家から持ってきた。「面白かったよ」とニヤリと笑い僕に渡してくれた。僕は5年5組の4グループでメンバーは、男子3人女子4人の計7人だった。

 



このようなグループ日記というものは、そういうのが好きな先生は当時よくやっていたことだと思う。グループで1冊のノートに色々と書き、先生やそのグループ内の友達との交流を図るのが目的だったのだろう。僕が覚えている限り、高1の時にもやっていた。これは覚えている。かなりいきがった文を書いていた。でもそうか、小5の時にもやってたんだ。

 

 

 

 

さて、11歳の僕は、どんなことを書いているんだろう?原文をそのまま掲載しよう。

 

 

 

 

9月15日(月)

 

今日、ぼくは、算数のむずかしい問題をしました。実際やってみると、とってもむずかしい問題でした。とうとうおねえちゃんに教えてもらいました。そうしたら、よくわかりました。これからは、おねえちゃんに教えてもらわなくてもわかるように、よく話を聞きたいと思います。

 

 

~しっかりね 何問題?~

 

 

 

「~」は担任の言葉である。しかし思いっ切りチャラ書きなので、子どもには読めなかっただろう。この日記を読んでも何も思い出すことはなかった。

 

 

 

 

 

10月30日(木)

 

前の日曜日に2級のそろばんの検定試験がありました。その日ぼくは、どきどきして、商工会議所へ行きました。そしていよいよ検定試験がはじまりました。はじめのかけ算・わり算はだいじょうぶでしたが、見取算が2問と3問がちょっと自信がなくて、最後の問題ができませんでした。80点合格なのでとても心配しました。そしておわりの伝票は、自信がありました。水曜日そろばんじゅくへ行ってみると、先生がにこにこして、「上がったよ」といいました。ぼくは、冗談かと思いました。ほんとうにうれしかったです。そして、今度の1級もがんばってとりたいと思います。

 

 

~おめでとう よかったね これからもしっかり~

 

 

 

確かに僕はそろばんを習っていた。5年の10月に2級を合格していたってことは、卒業までに1級になる可能性は高かったと思う。しかし僕は、1級を取れなかった。特に挫折した思い出はないのだが。「商工会議所」「検定試験」「伝票」を漢字で書いているところに生意気さを感じる。

 

 

 

 

 

12月11日(木)

 

一日の全校集会でぼくは、本を多く読んだので、作文を読むことになりました。前にでて待っているとき足ががくがくして、これで、うまく読めるんだろうか。と心配しました。とうとうぼくの番が来ました。いちばん前に出る時、案外しっかり歩るい行けたので、だいじょうぶだな。と思いました。読んでいると中に早くなった、もっとゆっくり読まんなんと、なんべんも思いましたが、ぶじ終わりました。階だんからおりてくると、先生は笑って、うまかったよ。といってくれ、ぼくももうみんなの前で、何かするときは、自信を持って言えるな、と思いました。

 

 

~よかったね 中味もよし 発表もよしだったよ

 これからもよい本をどんどん読んで 文学少年君

 それに少し元気があると言うことないんだけれど ~

 

 

 

これは覚えているような覚えていないような記憶である。僕が全校集会で感想文じみたものを読んだのは1回こっきりである。恥ずかしい話だが、「ドイツ帝国史」の本についての感想文だ。こんな書物の感想を誰が興味を持って聞くのかが分からなかったが、図書委員の先生が僕に白羽の矢を立てたのであった。とにもかくにも僕はこの時既に「文学少年君」だったようだ。そうか、5年でドイツ帝国史に興味を持っていたのか。不思議な少年だったんだなあ。

 

 

 

 

 

1月21日(水)

 

11月に2級を上がってからずっと1級のれん習をやっていますが、いっこうによくなりません。しかしはじめはわり算は、30~50ぐらいでしたが、今60~65ぐらいで少しのびています。見取と伝票は中ぐらいです。乗算は、案外いい点をとっています。1級が上がると、親せきの人は、ビーフステーキをくれるのではやくがんばって上がりたいです。

 

 

~しっかりしっかり がんばれがんばれ~

 

 

 

「いっこうに」なんて知ったような口聞いてんな。何気に難し目の漢字を使っているのも小憎たらしい。ビーフステーキのくだりは、昔記事に書いた。本家の叔父がいつもいつも言っていたことだ。「そろばん1級取ったらビフテキ食わせてやる」と。随分高圧的だった。しかし、姉は見事に1級を取った。僕は2級でやめた。その後何十年もこれについて叔父に言われ続けていた。

 

 

 

 

 

2月9日(月)

 

きょう、大杉君の家で、一石式トランジスタ・ラジオをつくりました。はじめに店で買ってきた配線基板を半分に切ることからはじめましたが、なかなかはかどらず、苦心してやって半分に切りました。ところが半分に切った板が、ケースにはいらず、カッターで切ったりいろいろな方法で切ってやっとすっぽりケースにはいりました。いよいよ本番です。はじめはバーアンテナを板にひっつけます。本をよく読んで、糸で何十にぐるぐるまいてじょうぶにしてあとから木工用ボンドで固定させました。次は段間トランスです。段間トランスは、穴にはいらないのでななめにしていれました。もっとつくりたいと思いましたが、くらくなったので、帰りました。早く完成して、日本列島ここがまん中を聞きたいです。

 

 

~楽しいでしょう 先生もでき上がりをたのしみにしています

 男の山口先生にもみてくださるようにたのんでありますよ

 はりきってね  ~

 

 

 

いやー、これは全く記憶がない。いや、記憶がないというのは、大杉君と作った記憶がないということだ。「一石式トランジスタ・ラジオ」。この言葉には、確かに記憶がある。当時かなり夢中になってたような気がする。それに「日本列島ここがまん中」という響きにも記憶がある。調べてみると1974年7月1日から北陸放送(MRO)で放送されていた午後の情報・バラエティー番組だった。

 

 

 

 

こういうものが50年経っても保存されていたことには驚くほかない。一体全体誰が保存していたのだろう。しかし今日一日は、「うーん・・・」と小学生時代のことを思い返していたな。いやー、一石式ラジオには驚いた。

 

 

 

それでは。

 

 

 

いやいや、あと2つ書き留めておきたいことがあった。

 

 

 

6月9日、つまり渋谷陽一の誕生日でもあり「ロックの日」に氏の著書である「メディアとしてのロックンロール(上下巻)」が発売されるそうだ。下巻は1997年~2025年の文章だということなので、是非読んでみたいと思っている。

 

 

 

もういっこはポール・マッカートニーだ。いつの間にか、かどうかは知らないが昨夜僕はニューアルバムが発表されることを知った。アップルミュージックには2曲先行発表されていたので早速聴いてみた。これが良かったんだよねー。もしかして名作?なんて思う僕であった。と思ってたら、今日全曲配信されていた。ゆっくり聴いてみよう。

 


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それでは。