やってみなきゃ分からない(けど絶対楽しいはず)

昨日はギター教室の日だった。受付のおねーさんには、予めスタジオで練習したい旨を伝えていたので、僕が行った時には先生はスタジオでセッティングをしていた。そこでまずは8ビートの基本パターンをキープして叩けるようになりたいこと、本当に3人で音を出して上手くいくのか不安であるということを告げた。

 

 

 

先生が「分かりました。何からやりましょうか?」と言ったので「ダイスを転がせ」から練習を始めることにした。先生はいきなりなんだからまずは曲を流しながらやってみましょうと言い、曲を流しながら叩いてみた。先生が分かるように要所でヴォーカルを入れてみた。

 

 

 

でも曲を流しながらギターとドラムを演奏するって無理があるんだよね。段々ギターがずれてくるし、俺はどっちに合わせりゃいいんだ?って事態になってくる。それで「(曲を流さずに)先生のギターと合わせてみたい」と言って再び「ダイスを転がせ」をやってみる。

 

 

 

うーん・・・。僕が悪いのだろうか。今一つ気持ちが盛り上がらない。そう思いながらも先生には(曲が静かになるところは)「ハイハットだけでこのリズムでどうでしょう」とアドバイスをもらい練習していたら30分が過ぎた。そこで僕は(クラッシュの)「ロンドン・コーリング」にも付き合ってくださいと言った。

 

 

 

そんなこんなで1時間スタジオで練習した。大体の雰囲気は分かったし、これで良しとしなければいけないのかな?

 

 

 

受付で6月はどうしましょうと言われたので、初旬に2回レッスンを入れることにした。そしたらおねーさんが「hanamiさん、ドラムをされるんなら、この日にドラムレッスンができますけど、いかがいたします?」と言うではないか。そりゃあ、ドラムの先生に習えるんならそれに越したことはない。心が動いた僕を見透かしたように「1時間6000円です」とサラッと料金を言われた。いやー1時間6000円ってボリ過ぎじゃないか?でも1回だけだし、と思いドラムレッスンも入れることにした。

 

 

 

6月13日までにどこまでドラムが上達(上達とも違うか)するかは分からないが、もう僕はやる気満々である。今週も1度個人レッスンをして、土曜日の午前はドラム、午後はギターのレッスンをする。そして6月6日にもう一度スタジオで練習して本番を迎える。今の僕にとってなかなかハードな日程である。

 

 

 

それまでに、曲の構成をどんな形でもいいから紙に残しておくこと。毎日課題曲を聴くことを自分に課そうと思っている。

 

 

 

 

スタジオでやってみて思ったことは、バンドをやる上で、他のメンバーと(人間として)上手くやっていけるかどうか?もっと言うとメンバーのことが好きか?ということが大変重要なんじゃないかということである。まあよく言われてることなんだけどね。こいつとは上手くやっていけないな、いけ好かないなって思った人とは、いくらやりたい曲の傾向が似ていてもちっとも楽しくないと思うだろうな。一応書いておくが、ギターの先生に対して何か腹に一物を持っているわけではない。

 

 

 

僕には馬が合わない人と演奏するといった経験はないけれど「やってみなきゃ分からない」というのはそうなんだろうと思った。

 

 

 

いっこしかバンドに参加していないが、大学時代に参加させてもらったSIDE Bというバンドはそういう意味では奇跡のような人たちの集まりだったのだなと改めて思った。勿論やりたい曲がピッタリ合っていたことも大切な要素だった。それは間違いないんだけど、今度のセッションでやるJUNさんとwakabyさん、それからベース、ヴォーカルの人。誰もに敬意を持つことができた。

 

 

 

だって、この内気な僕が各メンバーの家に遊びに行っていたのである。一番多かったのはリーダーだったJUNさんの家だったけれど、他の人たちの家の様子、どんなことを話したか、などは今でも思い出すことができる。

 

 

 

メンバーの人たちが僕のことをどう思っていたのかは、分からない。でも面と向かって何か嫌なことを言われたことは一度もないし、ドラムについて何か言われたこともない(と思う)。そういうバンドではなかった(ような気がする)。

 

 

 

今更ながらだが、出会いに感謝だ。複数人でああいう濃い関係を持つことができたことは大学時代にはなかった。いや、そんなことないか。学部の研究室の人にはよくしてもらったな。でもそれとこれとは大きく違う。音楽を軸にした生活を送る上でバンド活動という得難い体験をしたことはやっぱり奇跡としか言いようがないな。

 

 

 

そう考えると、僕の大学生活は捨てたもんではなかったのだなと思う。そして今度のセッションは「やって見なきゃ分からないけど絶対楽しくなるはず」である。それには僕がもうちょっとドラムの腕を上げることが条件になってくるんだけどね。腕は確かなJUNさんとwakabyさんの足を引っ張るようなことはしたくない。

 

 

 

 

 

今日も眠くてしょうがないのだが、頑張ってもう少し書こう。先日「最近気になる言葉」という記事をアップしたが、一つどうしても思い出せない言葉があると書いた。その言葉を思い出したのだ。こういうのは自分で努力して思い出すようにすると認知症になりにくいってどっかで聞いたから、頑張った甲斐があった。

 

 

 

その言葉とは、「言語化」である。僕の肌感ではここ半年の間に急速に目にするようになった言葉なんだけど、きっともっと前から扱われていた言葉だと思う。主にビジネスパーソンの間で話題になっているのだろうか。

 

 

 

何故この言葉が気になるのか?その気になり方は「共有する」という言葉と似ているような気がする。「共有する」っていったって、具体的な情報はできるけれど、仕事観とかそういうものは、人それぞれじゃないかというのが僕が考えていることだと書いた。それと似ているような気がする。

 

 

 

「言語化する」或いは「言語化できる」というのも、何かのプロジェクトチームの中で、目指すゴールが全員に具体的にイメージできるような言葉を使えるということなんじゃないかということだ。

 

 

 

僕のような元小学校教員は、ついつい児童のこと、自分のことを考えてしまう。児童にとって自分の考えを「言語化」できる力は、育てていかなきゃいけない力だということは間違いない。

 

 

 

間違いないのだが、授業で児童は自分の考えを未消化のまま不確かな言葉で発表することから始まる。そりゃそうだ。まだハッキリ分かっていないことなんだから。そこから教師の働きかけや友達の発言によって自分の言葉が磨かれていく。そういう積み重ねで「言語化」する能力は鍛えられていく。しかし落とし穴もある。特に書く場面での落とし穴は大きくて深いと思う。あ、書く力も言語化のひとつだよね?

 

 

 

学習後には、「振り返り」と称して、その時間に分かったことを書くようにする、そういう学校は多いと思う。それに国語では単元の最後に「じゃあ『グッときた文章』を友だちに紹介しよう」みたいに何かを書かせて終わることが多い。また、道徳では「道徳ノート」なるものを用意して、児童に自分の考えを授業の最後に書かせることがほとんどである。

 

 

 

そんな時に児童はどうするか?全員とは言わない、言わないんだけど「それなりに書く」んだよね。「こういう風に書いておけば先生も納得するだろう」と思いながら書いてるのが透けて見えちゃうことは多い。そんなんで言語化能力が育ったとは言えないんじゃないかな。

 

 

 

この「こういう風に云々」っていうのは、ペアで話し合う場面でも見られる。「こんなことを喋っておけばいいかな」みたいに喋る児童は多い。そもそもが土台が違う(ここに至るまでの学習理解度が違う)2人が話し合ったって分かり合えない。

 

 

 

このようなことは残念ながら、授業が研究授業として公開され、その後授業整理会が行われた場面でも見られる。もう授業にダメ出しをすることがNGとなった現代では、うわっすべりな言葉が大人たちの間でも飛び交うことになるのだ。

 

 

 

教育の場で「言語化」する力を鍛えることは必要だが、教師の授業に対する姿勢というか考え方によってはだいぶ変わるんじゃないかなと思った。

 

 

 

あとはそうだなあ・・・。「言語化」する力が低い人って「口下手」ってことなのかな?ということも思った。そうなると僕は言語化する力が低い方の人間である。何か言われて、パッと返すことができないことの方が多い。これについてももう少し書きたいが、今度にしよう。

 

 

 

最後に「非認知能力」との関連についても考えてみたいと思う。「言語化」についてはもう1回チャレンジしてみたい。しかし今日はこれくらいにしよう。なんてったって暑いからね。これじゃあ朝早くじゃないとウォーキングに行けないじゃないか。この暑さはこれから10月まで続くのだろうか?

 

 

 

 

それでは。