1人で戦い続ける人

やっちまった。現在午前3時である。昨日は1日中眠くて仕方がなかった。そして眠剤を飲んだ後、20時半には眠っていた。もう少し頑張って起きていればこんな時刻に起きることはないと分かっていたんだけどね。

 

 

 

今日はもうしょうがないと諦めるほかない。今から1時間ほど記事を書いてからコーヒーを淹れるか、もう一度寝ようとトライしてみるかのどっちかだ。でもいい夢だったのが幸いしている。

 

 

 

それにしてもこんな時間に記事を書くのはあんまりよくない。まだみんなが眠っている時間だと、どうしても感情にまかせて書いてしまうことが多い。日中にもう一度記事を推敲して記事をアップするかを考えることになる。

 

 

 

僕は、大体が前日か当日にこれを書きたいなと思い、文章を書いている。しかし稀に日々溜まっていく感情が段々と大きくなり、そのことについて書くことがある。今日は後者だ。しかも非常にセンシティブな話題である。

 

 

 

辺野古の抗議船転覆事件についてである。

 

 

 

僕は、「何故引率の教員が乗船していなかったのか?」「『フラットな平和教育』というものはない」と、この事件についての自分の考えを書いた。今回は3回目である。タイトルの「1人で戦い続ける人」というのは、亡くなった女子高生の父親のことである。

 

 

 

先日文部科学大臣が、この事件について「事前および事後の学習を含めて、様々な見解を十分に提示していたことが確認できず、特定の見方・考え方に偏った取り扱いであったと考えられる」と認定した。さらに「教員の相当数が、船長が抗議船で日常的に抗議活動を行うとともに、生徒らを乗せる抗議船であるという認識を持っていたと言わざるを得ない」と指摘。そして「政治的活動を禁じる教育基本法14条2項に反するものであったと考えられ、是正を図る必要がある」「学校としての適切な意思決定を行うためのガバナンスにも極めて大きな問題があり、今回の事案に関して、学校法人及び学校の責任は極めて重い」と述べた(5月22日の会見を抜粋)。

 

 

 

1947年に施行され、2006年に全面改正された教育基本法の内容に抵触すると認定されたのは、初めてのことである。事件が起きてから2ヶ月のことだ。2か月もかかったとは言え、大臣がこういう発言をしたという事実は重い。

 

 

 

実際に各方面から声が上がっている。中道改革連合の小川淳也代表は「船舶の安全航行管理の問題と、教育内容に関わる問題は区別して考えるべきだ」「『いたずらにこれが政治問題化することは、必ずしも望ましくない』というのが私の基本的な立場だ」(抜粋)と言っているし、国民民主の榛葉幹事長は「お父さまやご家族が勇気を持ってご発信され、その言動に政府や文科省が動かされた。心ある対応で、役所の皆さんに深く敬意を表したい」「国会で集中審議して議論を重ねるべき」(抜粋)と言っているし、沖縄のデニー知事は「学ぶ環境を提供することは平和教育の根幹。そういうところに踏み込んでくるのは、踏み込みすぎだ」「海難事故の再発防止に向けて反省し、立て直していかないといけない」と言っている。

 

 

 

まだいるぞ。共産党の山添拓氏は「ずいぶん荒い事実認定のもとで踏み込んでいる。私はこれは教育内容に対する行政による介入だと言わざるを得ない」と言っている。元同志社大の教授は「たとえ親子でも別人格であり、親が亡くなった娘の意思を代弁するべきではないのではないか」と語っている。

 

 

 

僕は、政治の場でこんな発言が続いている(榛葉幹事長を除く)にも関わらず1人で戦い続けている父親のことを思わずにはいられない。勿論彼1人が戦い続けているのではなく、長女と妻の支え、また親類の支援があってこそのものだというのは理解しているつもりだ。またSNSという現代のツールを駆使して戦っているのも分かる。父親(この家族)の後ろには、多くの人たちのサポートがあるのも理解している。しかし発端は父親の決意だった。この問題をどうしても明らかにしたいという強い気持ちで立ち上がり、今日も戦っている。

 

 

 

父親(家族)はまず事実解明をしたいと思い、責任の所在をハッキリさせたいと思い、再発防止を訴えかけたいという思いから、noteで発信し続けていると思う。

 

 

 

noteでは、娘がどういう子だったかから語り始め、出発前から事件当日~数日経って分かったことを時系列で書き記している。ここで驚いたのはその正確さと冷静さである。長女のメモを元に、冷静に事実を淡々と述べている。(遺族が)感情的になって当事者に話したところは(敢えて)書いていない。長女は、車中吐きながらも記録し続けたらしい。彼女の心中はとてもじゃないが察することはできない。

 

 

 

そして母親の手記も発信された。YouTubeで現場に行った際の様子も公開している。どんな思いで船を見たのか、こちらもその心中は僕たちには到底分からない。

 

 

 

今も尚、noteで発信し続けている父親は戦っているのだと思う。娘を死に追いやった全てのことに対して。それはとても勇気のある行動だと思う、という言葉では済まされない覚悟を感じる。相手は、平和活動家と名乗る人たち、高校職員たちである。どちらも巨大な存在だ。今まで何人の人たちが、平和を語る活動家たちと真正面から戦っただろうか。おそらくたくさんの人たちが戦っただろう。そしてその思いは潰されていった(と思われる)。

 

 

 

でも彼は決してひるまないだろう。政治家が何と言おうと、元教授が何と言おうと気持ちがブレることはないだろう。

 

 

 

 

この父親に比べると1億分の1くらい矮小な体験であるが、自分のことも書いておこう。

 

 

 

もう何回も書いているが、僕は日教組には加入しなかった。それは学校では「1人ぼっちである」ことを意味する。大げさではなく1人だった。おいおいいつも書いてる妻は登場しないのかい?と思われた方もいるだろう。

 

 

 

妻とは、結婚前から日教組について同じ意見を持っているという確認はしていた。つまりは否定派だということだ。そして彼女は新規採用され、晴れて教諭になった。その学校には3人の新規採用教員がいた。

 

 

 

妻を含めた3人は、組合に加入しないかと勧誘されていたが3人とも拒否をしていた。そんなある日、その学校は勿論のこと、その自治体で最も恐れられていた女性ベテラン教諭に呼び出された。そして3人は直立不動でその先生から勧誘された。というか説教というか雪隠詰めをされた。その結果全員が泣かされた。

 

 

 

それでどうなったか?3人は全員組合に加入することになった。僕は妻からその話を聞き(結婚前だった)、あの先生に雪隠詰めにされたら仕方ないか、と思うと同時に失望もしていた。正直言うと「君の考えはそれだけのものでしかなかったのか?」と思った。

 

 

 

僕の方は、そんな怖ろしい先生に雪隠詰めされなかったこともあり、組合加入を拒否し続けていた。学校で未加入は僕一人だった。次の学校でもその次の学校でも一人だった。2000年もだいぶ過ぎてからかなぁ、若い人が組合に入らなくなってきたのは。

 

 

 

僕は一人の間、面と向かって戦い続けるというよりは、どこかに落としどころはないのかな?って思っていた。だから組合の会合に出席したこともあるし、何だか分からないが保険だったかな?そんな役に就いたこともあった。ここまでしたのは僕が尊敬していた先輩に誘われたことが大きい。

 

 

 

それから自分で勉強した。何故自分は組合に違和を抱くのか?それは真っ当なことなのか?それが知りたくて本屋に行っては関係がありそうな本を買っては読んでいた。

 

 

 

学校では、僕は異分子扱いだった。前にも書いたが「この人とは組めません」と4月1日の朝イチの職員会議でハッキリ言われたこともあった。「あの人に尊敬の念は抱いてないからまあいいわ」と思っていた。だいぶ後で同僚から「あれ(あの言い方)はないよね」と慰められはしたが、「取り敢えず関わらないで済ませられることは関わらないでいよう」と思っていた。同じ学年を組んでいたのだから、全く関わらないというのは無理だったけど。

 

 

 

妻に関して言うと、深く考えるととても怖いのでずっと考えないようにしているが、僕の心の奥底には不信感というものはあるのかもしれない。まあ、今となってはどーでもいいことだけど。

 

 

 

話を辺野古事件に戻そう。この事件で安全面からと教育面(政治的中立性)からと2つの側面でどうだったんだ?という話がされている。一応安全面に関してはどの立場の人も「問題あり」だったと話している。だから文科大臣が見解を発表してから、フェーズは教育面に変わりつつある(生きている船長が聞き取りを拒否していることは置いておいて)。

 

 

 

これに関しては、先ほども書いたが、相手は巨大で強大である。下手したら潰されかねない。これからも相手側からの圧力は続くだろうことは容易に想像できる。しかし、みんなが応援している。辺野古遭難事件の遺族の人たちを。その応援は遺族の方にも届いているはずだ。僕も微力ながら全力で応援している。

 

 

 

でも本当は、1人で戦うことをさせてはならないのだ。

 

 

 

 

何回書いてもこういう話になると熱くなってしまう。僕にはお父さんのような冷静さが必要だ。

 

 

 

 

 

それでは。