昨夜は上手く眠れなくて、頓服を1錠追加して飲んだ。そのせいかまだ(午前9時)眠い。天気はいいのにウォーキングに行く気持ちになれない。参ったね。
昨夜、妻が帰宅したのは20時30分だった。いつもは17時頃帰るのに。どう?怖くない?一昨日からの妻との喧嘩(?)からの昨日朝の無言での出勤。僕は夕方になるのが怖かった。
17時。もうそろそろ帰ってくる。胸がドキドキする。18時。まだ帰ってこない。やはり怒っているのだろうか?しかし夕食は作っておかねばなるまい。19時。これは異常事態である。僕はLINEで妻に何か書いた方がいいのだろうか?もしかしたら今日はどこかのホテルに泊まるつもりなのか?取り敢えず昨夜の残りを食べて、眠剤を飲む。
20時。もしかしたら今晩は帰ってこないかもしれない。いや、何か良くないことが起こったのだろうか?俺はどうすればいいのだろうか?とウジウジしていると、車の音が聞こえた。「帰ってきた」のだ。よかった。生きていたのでひとまずは安心だ。
妻はリビングに入ると小さな声で「ただいま」と言った。久しぶりに彼女の声を聞いた。しかしまだ油断はできない。妻の顔つきを窺うと何だか疲れているように見えた。そしたら妻から話し始めた。
「疲れたわ。今まで指導案、作っとったんや」。何だそうだったのか。それにしても遅すぎる。今年度に入ってからこんな時刻に帰ってきたのは初である。なんでそんな事態になったのかを尋ねると、彼女は滔々と話し始めた。
「A先生の指導案を一緒に作っとってん。私、『金曜の朝には提出してね。それでチェックするから』ってちゃんと言っといたのよ」
「えっ?全然作ってなかったん?」
「前半だけ(作ってあった)。本時は全然(してなかった)。」
「普通、初任って内容はともかく締め切りは守るやろ?」
「もう、全然(ダメ)や。言うこと聞かんもん」
A先生は、3年講師をした後に採用試験に合格した人だ。妻は校長時代のネットワークを駆使し、彼についての情報を掴んでいた。まあA先生って書いてるからもう少し詳しく書いてもいいだろう。どの先生からも「彼は使えない」と言われたそうだ。
どう使えないかというと、まずレポート(文章)が書けない。採用試験の願書すら仲良しの教頭に書いてもらったそうだ。この仲良しというのが曲者で、若い者数人と教頭とで職員室内でグループを作っていたらしい。その中にA先生もいた。そのグループに所属することで自身も「デキる奴」だと思っているらしい。こういう話はよく聞く。職員室にイヤーな雰囲気を作る人たちだ。
次の問題点は「指導を受け入れない」ことだそうだ。グループに所属しているということは、内輪だけでは話したりはするけれど、他の教師や管理職の言うことを聞かない、受け入れないということでもある。それは正式に教諭として採用されて妻が指導することになってからも変わらないらしい。
妻が帰宅して漏らす愚痴の90%は彼についてである。曰く「何回言ってもやろうとしない」そうだ。決して難しいことを言っているわけではないらしい。予定黒板を毎日書くことや、書いてあることと違う教科をやらないことなどを指導しているが、全然定着していないというか、やっていないらしい。
自分が「デキる奴」だと思っているから、妻をはじめとする周りの言うことを聞かない。それで、困ったら前まで一緒にいた仲良しグループに相談するのだそうだ。
ただでさえ不足している教員のことをディスるのは心苦しいが、こういう人が教員として採用されているのが現実だ。おそらくこのクラスは、徐々に崩壊の道を辿ることになると思うと僕が言ったら「私もそう思う」と妻は答えた。「本当に困るまで、なんも言わんとけば?」と言ったが「うーん・・・それも考えたけど、それもね・・・」とこっちも困っている様子だった。
僕は、「君はいつも正しいことを言う人だろ?だからA先生みたいな人にとって正しいことを言われるのって不満しか残らないと思うんだけど。あの先生もあの先生もそうだったやろ?」と言った。妻は黙って考え込んでいた。
対して、新卒で採用されたB先生のことは高く評価している。まずは「素直である」ことが素晴らしいと言っている。妻がアドバイスしたことを素直に聞き、すぐに実践しているそうだ。実際にそれで随分教師としての力量を付けていると言っていた。
まあこの前まで大学にいて、右も左も分からないんだから、アドバイスはありがたいし聞くだろう。子どもも大人も勉強や仕事をする上で素直であるということは力量を上げるためにはかなり重要な要素ではないだろうか。我が身を振り返ってみてもそう思う(自画自賛かな?)。
そして締め切りもキチンと守る。研修やら何やらで忙しいのは、A先生もB先生も同じだろう。しかも着実に力を付けているから、B先生の指導案は妻を納得させるものだったらしい。「あの子は伸びるわ」と事あるごとに妻は言っている。
しかし残念ながら彼女のクラスは荒れている。それは彼女のせいではない。その学年の全クラスが荒れているのだ。つまり、「なんであの学年に新卒の先生をあてるのか?」ということである。妻は「B先生には、『これはあなたのせいじゃない。誰が担任してもこうなる』」って言っているそうだ。そしてこの人事をした前校長に怒りを覚えている。
妻の結論はこうだ。「新採には担任を持たせない。最低でも級外にして授業に専念させる。ベストは副担任として担任の傍について1年間みっちり勉強するのがいいと思う」だ。
級外を担当するのには僕は反対だけれども、後者には賛成である。こういう意見は随分前から言われていたことだ。でも全国的にこういった意見が議論の俎上に上ることすらない。
僕は「B先生、君の他に誰か相談できる人はいるのかな?」と問うと、「そうねんて。私から見て(力のある)C先生とよく喋っているし、いいなーと思うけど、C先生は今子育て真っ只中で早くに帰るんや」と答えた。「じゃあ、最悪なことを考えるとB先生は潰れてしまうかもしれんな」と言うと再び「そうねんて。私もそれを心配しとるんや。だから少しでも支えてあげたいんや」と答えた。
1学期中或いはその年度に潰れて退職する新採教員は全国にたくさんいる(他の業界でもきっとそうだろう)。タブレット教育や生成AIを使って、みたいなことはバンバン言われているけれど、新採教員にとってはそれどころではないのだ。20人以上の児童に対してどう接すればいいのか、毎日毎日毎時間毎時間問われているのだ。
仮に今から新採教員をどのポジションにつけるのがベターか?という話し合いが全国的にというか文科省で行われたとしよう。すごく有益な話し合いができて、妻の考えのように1年目は副担任から始めることになったとしよう。おそらくここまで話を持ってくるのに数年かかるだろう。
そんで2030年に「じゃあそういうことで」ってなってももう遅いと思う。周りは数年前に採用された人ばかりで、自身ももっと研鑽を積まなければいけない人たちばかりだ。そして次の年度も新採が入ってくる。そんな環境で今の児童を何とかできるとはとてもじゃないが思えない。システムは変わってももう遅いのだ。
工藤勇一や木村泰子が色々言っている(今の公教育でできることはもっとあるはずだ。教員が意識を変えないと子どもは変わらない。自己決定できない子ばかりを量産することになるなどと言っている)が、ほとんどの小学校は、そんなことは言ってられない状況なのだと思う。「理想ばかり言って・・・現実はこうなんだよ」と思っている先生は多いと思う。僕は別に工藤先生と木村先生のことを否定的に思っているわけじゃない。でも全員ができるとは限らないなとは思っている。
残念だがきちんと書いておこう。今いる教員、これから新規採用される教員、再雇用の教員たちはほぼ全員が敗戦処理をすることになる。これからの未来を作る若い人たちを育てるという気持ちが今の文科省や政府にあるとは思えない。僕は教育界は「詰んだ」と思っている。だからと言って傍観しっぱなしでいるつもりはないが。こんなおじいちゃんでもできることがあればやりたいと思っている。
僕の考えが「あちゃー!間違っていた」ってなるといいんだけど。
それでは。