何がそんなにおかしいんだ?

昨日、数か月ぶりに「尾道ラーメン」に行ってきた。この店については1度ガッツリと書いて、それ以後も時たまちょろっと書いていた。昨日はふと「いつ大将が店をやめるかもしれないしな」と思い立ち、「行ってみよう」となった。

 

 

 

店は無事開いていた。僕がセルフで水を入れていると大将が「(量は)普通か?」と聞いてきた。「はい、普通でお願いします」と言って、奥さんに「チャーシュー」と言った。何十年も通っている店でラーメンの写真を撮るのはこっぱずかしかったが、「これが最後かもしれない」と思い、こっそりスマホを出して撮ってみた。

 



でも僕が何十年も食べてきた尾道ラーメンはこんなのである、とは言えない。ほんの10年前までは、店を開いてからずっと堅持してきたチャーシューや麺が変わってしまっている。チャーシューはもっと厚切りで、とろっとろで枚数はこの倍はあった。麺の様子はこれでは分からないと思うが、僕がイメージするラーメンの麺そのものだった。最盛期にはこれに煮卵がサービスで2個のってたりした(←常連さん限定)。

 

 

 

唯一堅持しているのは、スープである。これだけは大将も譲れないところであろう。濃い醤油味風味の色合いで背脂が浮かんでいる。昔はこのスープを完飲していた。それを見て大将はニヤリと笑う。ある時僕がスープを残すと、(大将の)妻とどんぶりを見合い、訝し気な顔をしていた(しかし僕には何も言わなかった)。

 

 

 

今は、もうスープを飲み干すことはしない。見たらわかると思うが、思いっ切り体に悪そうだ。

 

 

 

コロナ前はチャーシュー麺1000円だったのが、今では1500円だ。全く世知辛い世の中になったものだ。暖簾は、ここに店を移転(1980年代後半だったと思う)してから変わっていない。

 



大将は、ラーメン作りがひと段落すると僕に「高松に行ってきたか?」と尋ねた。僕は「いえ、名古屋に行ってきました」と答えた。そして「ひつまぶしを食べに行きました」と付け加えた。そしたら僕の目の前に来て「覚えとるやろ?高松の鶏。若鶏とひね鶏があって・・・」と言ったので、「忘れてませんって。年末に行く予定です」と返した。「絶対食べて来いよ」と大将は言って、鍋の方に戻った。

 

 

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昨日の「未来へのプレイリスト」のテーマは「ラヴ・アンド・ピース」で、ゲストは曽我部恵一だった。主に3曲について語っていた。

 

 

 

We Got To Have Peace/Curtis Mayfield

El Derecho De Vivir En Paz/Victor Jara

(What’s So Funny ‘Bout)Peace, Love And Understanding/Nick Low

 

 

 

今日のタイトルは、ニック・ロウの曲からいただいた。正確には「平和と愛と理解の何がそんなにおかしいんだ?」である。

 

 

 

僕が一番愛着があるのは、ヴィクトル・ハラの「平和に生きる権利」である。この曲は、ソウルフラワー・ユニオンで中川敬が歌っていた。

 

 

 

“静かに暮らし 生きる権利を ホーチミンは歌う ベトナムの空から”

“飛び交う砲弾も 水田のあぜから 消せはしないだろう この唄を”

“インドシナは広い 海の彼方の 祈りと花が 踏みにじられる地”

“叫びはこだまして 月光は導く 消せはしないだろう この唄を”

“静かに燃ゆる オリーブの赤い実 鳩舎に羽ばたく 野生の歌詠”

“変わらずに響く 常しえの唄 勝ちとるための 鎖よ”

 


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“チリの「新しい歌」を代表する歌い手ヴィクトル・ハラが、1971年4月に発表した曲。その歌詞は、ベトナム戦争に反対し、世界中の全ての民族が有する「平和に生きる権利」を唱えるという内容になっている。ヴィクトル・ハラは、チリで1973年9月11日に軍事クーデターが起こった直後、収容されたサンティアゴ市内のスタジアムで殺害された”

 


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中川敬は、1996年に発表したアルバムでこの曲を取り上げ、日本語に訳し、折に触れ音源化している。おそらくライヴで演奏される確率が高い歌なのであろう。

 

 

 

ヴィクトル・ハラを拘束した時に軍はまず「指を潰した」。そして「弾けるなら弾いてみろ」と嘲笑したそうだ。それに対してハラは「我々は打ち勝つ」を歌った。

 

 

 

何故軍は、ハラを殺す(直接的暴力を行使する)前に指を潰した(身体的能力を標的にした)のか?軍は、ハラの歌を銃よりも危険なものとして認識していたからだ。前にも書いたが、CIAは「民衆を扇動する声」を採集していたらしい(ジョン・レノン、ジム・モリソン、ボブ・マーリー等)。どこに行っても暴力組織にとって、歌は脅威であることを表している。だからこそ軍は、ハラの指を潰すという凡そ考えるだに怖ろしいことをした。

 

 

 

彼の死後、多くのアーティストがこの歌を歌い継いだ。そして1973年以来の独裁政権への抗議活動の中で2019年に約1000人のギタリストを含む合奏でこの歌が歌われた。独裁政権下で生まれた歌が、その抗議活動によりで再び甦った。

 

 

 

 

番組では、カーティス・メイフィールドは「(左でも右でも)どちら側の人にも届く歌を歌っていた」と言っていた。ニック・ロウの歌は、1974年に作られたものでニック自身「ベトナム戦争後、何だか若者が平和について語るのはダサいという空気が嫌でこの歌を作った」と語っていると紹介していた。

 

 

 

曽我部恵一は、「別に政治の歌を歌っても構わない。だって外に出たらもう(そこは)政治だから」と語っていた。しかし日本では、先日ブルース・スプリングスティーンが発表したような歌は決して生まれてこない。少なくともメジャーシーンでは。ピーターは忌野清志郎の「ラヴ・ミー・テンダー」にも触れ、「日本ではレコード会社が発表するのを拒否しますからね」と言っていた。

 

 

 

僕は、このブログで左翼は嫌いだと繰り返し書いてきた。しかし中川敬の考えることは僕が嫌悪している左翼の考えとは違うと思っている。それこそチリのヴィクトル・ハラがベトナムのことを歌ったように、中川はセコイ考え方はしない。世界を見て、物申しているのだ。

 

 

 

今月の「ミュージック・マガジン」での中川の言葉で今日は締めくくることにしよう。

 

 

 

“憲法9条は盾にもなるし、何より、憲法9条自体が世界へのメッセージになってる。憲法9条は世界に向かって積極的に使っていくものなんよ”

 

 

“ミュージシャンと政治を絡めたアホみたいな言説が今もあるけど、いや、単に「お前ら大人やろ」っていうことでしかない。ミュージシャンとかアーティストとかいうと「政治の話はするな。表現でやれ」とか言う奴が出てくるけど、「特殊な動物なんかよ、ミュージシャンとかいうのは」という話でしかない。別に普通に大人のホモサピエンスとして、次の世代のためにちゃんと悪政に声を上げろやという話でしかない”

 

 

 

 

このような言葉は、僕の嫌いな政党の人が飛びつきそうなものだ。でも中川とそういう人とはやっぱり違うんだよな。だから彼には、そんな人たちに利用されないこと、そこだけ気をつけてほしいんだけどな。僕の勘違いだったら潔く謝るけど。

 

 

 

 

それでは。