「耳は2つしかないのにたくさんあるね」

寒い。一昨日お客さんが来るからいくらなんでも炬燵はもうやめようと言い合い、炬燵布団を取ってただのテーブルにした。その日(土曜日)は何ともなかったのだが、昨日今日とあまりにも寒いので、ファンヒーターを引っ張り出す始末だ。少し灯油が残っていたのでちょうどよかったのだが、もういい加減あったかくなってほしい。

 

 

 

タイトルは一昨日妻に言われた言葉である。彼女が座る側に僕が眠っている和室がある。そこには布団とともにレコード棚が置いてある。いつもそこを少し開けているのだが、時々妻はその隙間から和室をチラッと見る。

 

 

そして一瞬で和室の様子を見て取り、「レコード増えたんね」とか「(レコードの)棚2段になっとるじ」とか言うのだ。昨日も隙間からチラッと見た妻は、「耳2つしかないのに(レコードが)たくさんあるね」と言ったのだ。

 

 

これには僕も同意せざるを得なかった。「確かに」と返事をすると、「そうやろ?死ぬまでにこれ全部聴けんて」「耳2つしかないよ」と畳みかけられてしまった。

 

 

またしても同意である。正直今の状況を持て余していると言ってもいい。働いていないから時間が有り余るほどあるのに、レコードを聴くという行為が激減している。レコードを買うことも少なくなったが、全然買っていないわけではない。となると1回しか聴いていないレコードが着実に増えていくことになる。レコードを買うことが目的化しているとも言える。

 

 

 

それでは有り余っている時間に何をしているのか?時間を溶かしているのだ。どうやらネトフリやアマプラでドラマを一気見することを「時間を溶かす」というらしい(妻に教えてもらった)。

 

 

最近で言うとネットフリックスの「九条の大罪」だ。漫画が原作のドラマであるが、主演の柳楽優弥がとにかくかっこいい。これを2日で一気に観てしまった。

 

 

“半グレにヤクザ。厄介な依頼人の案件を請け負う弁護士・九条間人は、法の力を武器に自らの正義を追求する。バディとなった烏丸は、その型破りな手法を疑問視しながらも、共に社会の闇に迫っていく”

 

 

柳楽だけではなく、松村北斗、池田エライザ、町田啓太、ムロツヨシ、シソンヌの長谷川等の演技も素晴らしい。特に町田啓太とムロツヨシがよかった。町田は、今さまざまな作品に出演しているがどれもいい。ムロツヨシの薄っすら狂気が感じられる演技もよかった。

 

 

こんなことを書いていくとキリがないが柳楽に夢中になった僕は、ディズニープラスに再加入して「ガンニバル」を観た。アマプラで「二月の勝者」も観た。好きな人ができるとすぐにその人が出演する作品を観てしまう。そして実際すぐに観ることができるのが現代の厄介なところだ。こうして時間を溶かすことになる。

 

 

 

それに加えて地上波のドラマもチェックしているのだから手に負えない。今クールのイチオシは「田鎖ブラザーズ」である。岡田将生と染谷将太のダブル主演なのだが、2人ともいい。次は「銀河の一票」だ。もうこれだけでお腹いっぱいなのに「月夜行路」をフラッと観たら、これにも夢中になった。波留がいい。波留がいいとなったら、またサブスクで検索して彼女の出演作を検索して観てしまう。

 

 

もういっこ書くと、NHK‐BSで放映されていた「対決」も面白かった。全5回で完結したのもいい。鈴木保奈美って離婚してからグイグイと活動しているが、どの作品でも安定した演技を見せてくれる。

 

 

 

昨年の晩夏からネトフリ中毒になった僕だが、依然として嵌り続けている。こういう老後生活はよくない。そう思いながらも妻が休みの日に一緒に観てしまうという状況である。

 

 

 

 

 

とか言いながら今日も相変わらず色々なものを観ているが、せっかく観るんなら学になるものを観ようと思い、検索してみた。

 

 

 

そしたら「THE BOOSTERS.」という石丸伸二がMCをやっている動画を見つけた。タイトルが「『廊下は走るもの』『担任制はやめる』発達障害と共に学んで“不登校ゼロ”を実現した奇跡の公立校」である。ゲストは、木村泰子という人である。

 

 

 

木村泰子という人は・・・・という説明は置いといて、僕が心打たれた言葉を書いていこう。昨日は「ルールでがんじがらめにしている学校」のことを書いたことだし、ちょうどいい。

 

 

 

「マアちゃんって言って、医学的には重度の知的(障害)って診断されている(子がいる)。言葉を持たない児童で、全てを『あー』で表現する子。マアちゃんは右左を認識する回路がない」

 

 

「入学式のあと、1年生が(廊下の)右側を歩いていた。そして向こうからマアちゃんが左側を歩いていた。当然ぶつかるわけです」

 

 

「そしたら1年生の子が『校長先生、このお兄ちゃん左歩いたから私はぶつかった』って言うわけです。『あんた見えてたやろ。あんた左に行ったらぶつかれへんかったやん?』って言うと『左は歩いちゃダメなの』と返すわけ。『なんで?』って聞くと、幼稚園の園長先生が、毎朝、廊下にコーンまで立てて、ずうっと(「右を歩きなさいって」)言うんだって。だから左を歩いちゃダメなのって言うから、『なんで?あんた右歩いてたけどぶつかったやん?』って言ったら『だからお兄ちゃんが悪い』って言うわけ」

 

 

「これが、ひとつの今の社会の象徴ちゃいます?」

 

 

「そんでしばらくその1年生は『校長先生なんて大嫌い』って言って出会うとふんって怒ってたんですけど、それを職員室でみんなに言ったわけ。マアちゃんを右側を歩かせる。この状況を作るためには、誰かがつかなきゃダメ。でもそうすると、学校という『安全地帯』をマアちゃんは、自分の意志で歩けない。これが学校であっていいんかな?って言うと、みんな悩み始めたんだけど誰も案が出なかった」

 

 

「こういう時は、子どもに教えてもらうのが一番なんですよ。次の日にみんなが体育館に集まった時に事情を話して『どうしたらいいと思う?』『(支援の先生がついて誘導していたら)マアちゃんは自由に歩けなくなるけど』って私が呟いていたら、1分で解決したんです」

 

 

「一人の子が『えっ?右側を歩く目的は何?』って言うんですよ。そしたら他の子が『ぶつからへんようにやろ?』って言う。『じゃあさ、右側を歩くっていうルールをぶつかれへんようにするっていうルールに変えたら?』って言ったらみんなが『そうやそうや』って言って、一瞬でルールが変わった」

 

 

「だから走ってもいいわけですよ。ぶつかれへんかったらいいわけですから」

 

 

「だからルールを守る子どもを作るのか、常に考えて『ぶつからない』という目的を達成するために自分の行動を自分がコントロールしていくのか、どっちの力が大事なの?ってことなんです」

 

 

「このルールに変わってから、廊下・階段の怪我はゼロになりました。今までいっぱい怪我しとったんですね。でも、目的はぶつからないために自分のできる行動をとるわけです。誰もぶつからないし、マアちゃんも自由に歩けるわけです」

 

 

「だから目的(が何なのかを明確にすることが大事)。『右を歩く』というのは手段。手段が目的化されていると、子どもは道具になる」

 

 

「このままいけば・・・今も生きづらい人っていっぱいいるでしょ?理不尽なこといっぱいあるじゃない?でも理不尽なことがあっても蓋をされていく。でもそんな社会を変えるために石丸さんがいらっしゃるわけですよね?」

 

 

「今のまま行けば・・・どんな未来を作るの?どんな未来を作りたい?そのためにはどんな子どもに育て、どんな学校を作りますか?っていうことを学校の先生たちが考えなければいけない」

 

 

「工藤先生(勇一)といつも言ってるんですけど、手段が目的化する、そうすると子どもは道具になる。でも目的は何?パブリックの最上位の目的は全ての子どもの命が地域の学校にある。これ以上の目的はないでしょう」

 

 

 

木村泰子氏の考えはよく分かる。そして「主語は『教師』じゃなくて『子ども』」だという考えには、全面的に賛成である。

 

 

 

しかし、昨日書いたような「子どもたちをルールでがんじがらめにしている学校」は実際に存在する。昨日の学校ほどではないにせよ、多かれ少なかれ学校は、教員たちは子どもたちをコントロールしようとする。僕もそうだった。話す内容ではなく、空気で「この先生の言うことは聞かなきゃいけない」という風に子どもたちに思わせていた。そのくせ、木村先生のように「子どもが主語になる教育活動」を目指していた。思っていることとやってることが違っていた。

 

 

 

「ルールで縛られた学校」に行って「どうしてこんなんなん?」と悩むより、木村泰子氏が校長を務める大空小学校で「どうすりゃいいんだ?」と悩む方が教員として遥かに幸せだと思う。

 

 

 

 

それでは。