「フラットな視点の平和教育」はあるのか?

僕たち夫婦には子どもはいない。だから親の気持ちっていうことで言うと、本当のところは分かっていないんだろうな、という思いを持ちつつ教員をやってきた。

 

 

 

しかし、辺野古の事故の遺族の方(父親)がnoteに書き記している記事を読んで涙が出るのを抑えられなかった。どんな思いで書かれたのか、またどんな思いで娘さんの写真を公開したのか、考えるだけで胸が押しつぶされる。この件について僕の考えを書くのはおこがましいかもしれないが、今日は書いてみたいと思う。色々な方面の方に失礼があったらその時は素直に詫びる所存である。

 

 

 

僕は、この事故(事件と言ってもいい)を知ってから一度記事で言及したことがある。それは「何故、船に引率の教師が乗っていなかったのか?これについてはどんなに言い繕うとしても逃れられない」ということである。あれからこの事件についてSNSでは色々なニュースが飛び交っているし、新聞・テレビは限られたところ(産経新聞)しか報道していない。

 

 

学校側について、抗議船についてなど問い質したいことは山のようにあるが、今回も1点だけ書き留めておくことにする。

 

 

 

それは「平和学習」または「平和教育」についてだ。教員が感じている「平和学習」「平和教育」という言葉から感じる匂いと、一般の人が感じている匂いは違うんじゃないかな、ということを書いておきたい。

 

 

さきほどのnoteの記事には“「フラットな視点の平和教育」で沖縄を訪れた学生たちであっても・・・”と書かれている箇所があった。その言葉から教員とその他の人たちの感覚は違うのかな、と思ったのだ。

 

 

 

初めに教員が「平和教育」と聞いてどう思うかを書いていきたい。しかしながら「教員」と全国に広げるのはフェアじゃないかもしれないので、今から書くことはあくまでも僕の見解である。一応妻は、僕の考えに賛同してくれている。

 

 

 

「『平和教育』に力を入れている」と聞いたら僕はまず「ああ、人権派の人なんだね」と思う。「平和教育」「人権派」となったら日教組である。だから僕は(僕なりの)侮蔑の意味を込めて「ああ、人権派か」と思っているわけだ。そして「日教組の活動に力を入れているんだろうな」と思う。だから僕の中では「平和教育」=「人権派」=「日教組の活動に力を入れている」=「胡散臭い」という図式ができていた。

 

 

 

僕が勤務していた自治体は、組合加入率は高かった(95%くらい)が、今書いたような人権派とハッキリ言える人は、(規模にもよるが)学校に2人~4人くらいいた。しかしそういう人たちは、職員会議で管理職に嚙みついたり平和や人権に関わる授業を独自でやったりしていてそれなりに存在感を持っていた。「それなり」には、「ああ、また始まったか・・・」という諦めに似た感情も含まれているし「ややこしいことを言う人だけど、まあ仕事はできるしな・・・」という感情も含まれている。

 

 

 

学校の組織で言うと、校務分掌の中にはどの学校にも「平和教育」「人権」という分掌があった。「平和教育」は、児童会担当が当てられることがほとんどだ。何故かと言うと、8月6日の全校登校日に「平和集会」なるものが開かれ、それを児童会主催でやるからだ。

 

 

 

「平和集会」を開くにあたり、児童会の役員と教師は7月頃から準備を始める(誰かを講師として呼ぶ場合は、もっと前からだ)何をするかは、2000年代に入ってからは大体決まっていた。図書委委員が薦める戦争についての本紹介コーナーと、児童による読み聞かせ、それから校長先生のお話を聞いて最後は全員で平和を願う歌を歌うというものだった。

 

 

 

その頃にはだいぶ丸くなったとは言え、歌を歌うことはどうしても嫌だった。下手したらギター弾いてとも言われることもあった。あまりにも偽善的に感じてしまう歌(「折り鶴」だったと思う)を全校児童に歌わせる、そのために7月から各教室で練習させるということに辟易としていた。

 

 

 

学校全体というか、僕の身に降りかかる「平和教育」というのは、これくらいだった。これくらいだったとしても僕にとって「平和教育」というのは偏向教育そのものだ。左翼思想を都合よく児童に注入する機会だとしか思えなかった。だから教育基本法に反しているか?と問われればそう言われても仕方ないだろうな、くらいには思っていた。

 

 

 

だから今回の事件に関して、色々な報道がされるにつれ、「これは、学校に相当の数の人権派がいるか、かなり力を持った人権派がいて、その人が抗議船を持っている人と直接コンタクトを取っていたんじゃないか?」と思ったし、今でも思っている。

 

 

 

一方、世間的に「平和教育」「平和学習」と言うと、「戦争の悲惨さを学ぶ機会」「二度と戦争をしないようにするために」等の学習をするのかな、くらいの認識であるように思う。そこに政治的な思想は反映されないというか、主に歴史的な事実を勉強する時間かな、くらいに思っているのかもしれない。

 

 

 

でも、それは違うと言いたい。学校の何かしらの学習に「平和」とついた瞬間、それは左翼思想による偏向教育だと言い切ってもいいと思う。だから現在の教育現場に「フラットな視点の平和学習」はない、と僕は思っている。

 

 

 

 

元朝日新聞記者の今野忍氏は、「イデオロギーとかは置いといて、安全管理がどうとか出航の判断がどうとか、そういうことだけを問題にして報道していってほしい」といった内容のことを話している。僕も今回の事件は論点がありすぎるが故に、絞って調べていった方がいいと思う。しかし、「平和学習」「平和教育」そのものにイデオロギー臭が含まれている事実(僕にとっては、だが)がある以上、そのことにも手を付けなければいけない状況であると思う。

 

 

 

 

もうひとつ書きたいことがあった。日本保守党の百田代表についてだ。彼の言ったことはSNSを通じて多分全部見ていると思う。そして昨日は謝罪をした。僕が書きたいのは、最初にこの事件を知った時の彼の言葉だ。

 

 

有本氏が、「辺野古で抗議船が転覆したそうです。その船には高校生が乗っていて、船長と生徒の2人が死亡したということです」と百田氏に言った。そしたら彼は「ちっ、よけいなことして」と言ったのだ(正確な言葉じゃなかったら謝ります。でもそういった言葉遣いだったのは確かである)。

 

 

この発言は、読んだだけだと高校生を抗議船なんかに乗せやがってと大人に対して言っているように聞こえるかもしれないが、僕には高校生に言っているように聞こえた。今となってはいくらでも言い繕える言葉であるが、僕はそう受け取ったので他にも僕と同じように受け取った方はいるかもしれない。

 

 

高校生に対して放った言葉だと受け取った僕は、怒りに震えた。だからその後も百田氏が何を言うか注視していたが、そこからはSNSで言われている通りである。やっぱり高校生に対して酷い言葉を投げかけていた。でも僕は、最初に呟いた百田氏の言葉は忘れることができない。同時にああいう時に人間の本性がでるんだな、と肝に銘じた。

 

 

僕は左翼嫌いなことを(特に最近)よく書くようになった。要するに嫌いだとハッキリと書いているわけだが、この文章を読んで嫌悪感を抱く人もいるかもしれない、いやいるに違いないということも肝に銘じておかなければいけないと思っている。

 

 

 

 

あー、勢いがついちゃったので、もういっこ思い出したことを書こう。僕が2校目に赴任した時のことである。その年度に研究授業をすることになった。もう一人同じ日に研究授業をする先生がいた(A先生)。その先生は、人権派の先生で、組んでいる先生も人権派の先生だった。他の学年にも組合色の強い先生が複数人いた。

 

 

A先生は、授業検討会で「自分のクラスにいる白血病の児童にみんなの前でそのことをカミングアウトさせる」授業をすると言った。そのことに猛反対したのは、その年度に隣の自治体から異動してきた先生だけだった。僕はなんも言えなかった。他の先生も公然と反対する人はいない。結果、その授業をするということで終わった。

 

 

そしたら、前年度にその児童を担任した先生が、僕に相談してきた。「どうしてもやりきれない思いだ」と。僕は夜になってその先生と会い、「じゃあ今からA先生に電話して二人で気持ちを伝えよう」と言った。A先生は呼び出しに応じてくれて、話し合うことができたが、結局自分の考えを修正することはしなかった。僕と前担任はスッキリしないまま帰った。

 

 

このことは、次の日職員室に広まった。そしたら組合色の強い先生が「どうしてあの場(授業検討会)で言わなかったのか」とえらい剣幕で怒っていた(らしい)。でも続きがあって、怒っていた先生と同じ学年を組んでいた先生(この人も隣の自治体から異動してきた)が「そんなこと言ったら若い人がなんも言えんようになる」と諫めた(らしい)。僕たちは、面と向かって言われなかったが、なんか重苦しい空気がしばらく職員室に漂っていた。

 

 

僕は妻に事の顛末を話した。妻は「人権派の人がそういう人(今の場合白血病の児童)を見つけると、これをネタに何かやろう(実践発表みたいなこと)ってするんだよね。そこが堪らなく嫌や」と言った。

 

 

結局授業は行われた。僕は自分も研究授業だったので、そっちで精一杯だったが、ホントにこれでよかったのだろうかという思いだけが残った。そして「あいつのこと(A先生)は信用しちゃいけない」と思った。A先生はその後、中学に異動し、教育委員会で指導主事となり、その後もっと偉い立場の人になって、中学の校長となって最後を迎えようとしている。

 

 

 

少なくとも僕が勤務していた地域の教育界って、こういうところなんだよね。でも、きっと他の自治体でもっと左翼色の強い教育実践をやっているところはあるはずだ。

 

 

 

 

長くなってしまった。昨日は久しぶりに音楽ネタが書けたが、またしても時事ネタになってしまったので、しばらくは自粛しなきゃね。あ、でもチームみらいのことは近々書きたいとは思っている。決してネガティブな感じでなく書きたい。

 

 

 

 

気を取り直して、ブライアン・フェリーのボブ・ディランカヴァーアルバムを聴くことにしよう。

 

 

 

 

それでは。