名曲はいつの間にか忍び寄ってくる

今日は大ポカをやらかした。ギター教室があることを失念していたのである。結局3月は1回もレッスンしないことになった。うーん・・・と仄かにイラつく僕であった。でも昨日も書いたようにこれも気圧のせいだと諦めて、4月から気を取り直していきたいものである。

 

 

今日は、タイトルの話は後半に少しだけ書くことになるかと思う。それより気になることがあったからだ。

 

 

ここ十年ほど、ひと月に一度は「教員不足」についてののニュースが流れている。それに対してズーッとおんなじことを色々な人が言っている。でも今は教員の世界だけではない。介護や看護の世界や物流、建築土木業界なんかも人手不足で大変なはずである。農林水産業界もどこもかしこもそんなことになっている。

 

 

 

一応教育界の方に話を戻そう。例によって教員不足が叫ばれるが、文科省の方は全く動かない。省庁間の中でも弱いのかは知らんが、この国は教育にお金をかけない方針っぽい。でもきっとこうも思っているはずである。もう少子化に突入してるんだから、そんなに教員はいらない。それに学校の統廃合もこれからもっと加速化するはずである。このまま何とか凌げるんじゃないか、と。そうじゃなきゃいくら何でももう少し教員を増やすという方向になっているだろう。

 

 

しかし、現状は違う。今は教室の中を1人の先生だけで授業できる時代ではないのだ。僕が辞めた3年前?くらいでもそうだったんだから今はもっともっと人手が欲しいはずである。学習支援員というシステムなんて、もう20年前くらいから導入されている。今は、単級の小学校でも2人は学習支援員が欲しいはずだ。それくらい授業が成り立たなくなっている。

 

 

学習支援員という仕事は、本来は学習内容を上手く理解できない児童のためのものだったけれど、今だときっと問題行動をする児童に張り付いていたり、もめごとが起きた時に対応したりすることの方が多いように思う。それに加えて宿題の丸つけなんかもやるから、たとえ短時間労働で授業をしないからと言っても、精神的には削られる仕事のひとつだろう。大体支援員だからと言って舐めてかかる児童もいるはずである。

 

 

学習支援員は教員ではないが、とにかく教室に担任以外に少なくとももう1人いないと困るクラスが複数あるというのが現状であろう。もし、それでも手が回らないなら管理職が教室に入ることもある。妻は、日中の仕事は教室巡回がほとんどで、校長としての仕事は授業が終わってからしている。だから帰りが遅いのだ。

 

 

もう少し妻から聞いた話を書こう。先生の中にはやはり残念な人というのは一定数いる。学級を持つと必ず崩壊させてしまう人もそうだし、メンタルをやられている人もそうだ。その先生にはクラスを持たせられないから、必然的に級外になる。だから級外枠はそういう人たちでもういっぱいいっぱいなのだ。しかし、級外枠にも限度というのがある。さて、どうするかというと特別支援学級の担任になるのだ。

 

 

特別支援学級に所属するには、保護者の理解が必要不可欠である。このクラスできめ細やかに指導することがお子さんにとって一番いいと思います、なんてことを言って特別支援学級所属になるのだが、実態は今書いたような感じだ。勿論特別支援に関する専門的な知識技能を持って担任する人もたくさんいる。しかし、現在はどんどん特別支援学級が増えている。そういう専門的な先生だけでは足りない。

 

 

所謂残念な先生は、奇跡的にそういった児童と上手くやっていけることもある。結果保護者に感謝されることもある。しかしそうではない事例もたくさんある。残念だが、これが現在の学校事情であることは明白である。

 

 

 

ちょっとぶっちゃけ過ぎたかな。どっかからクレームがくるかもしれないので(ビビりなんで)これくらいにしておこう。そういう僕だって、教員人生最後の数年間は同じ残念枠にいたからなー。人のことは言えない。

 

 

 

そんで、こっからが今日の本題である。今日のネットニュースに次のような話題があったのだ。

 

 

「教職員のストレス要因、1位は『対処困難な児童生徒への対応』に 現場の葛藤と深刻な負担」というニュースである。

 

 

“公立学校共済組合の2024年度ストレスチェック報告書で、教員のストレス要因として「対処困難な児童生徒への対応」が初めて最多となりました。2016年度の分析開始以来、一貫して「事務的な業務量」が1位でしたが、今回初めて逆転。・・・・これは個々の教員の指導力の問題ではなく、学校現場全体が直面している構造的な課題であることを示しています。”

 

 

「ナナホシ」さんという教育評論家みたいな人が書いている記事なんだけど、見出しは「『寄り添う指導』は有効、でも時間がかかる」「理解されにくい葛藤と、上昇するストレス」「『対人対応』の負担を組織で支える仕組みを」となっている。

 

 

コメント欄には、支援員や現教員、元教員等からの率直な現状も書かれていた。

 

 

支援員の方は、“ここ数年は、落ち着かない子、暴れる子、特別支援学級の子の対応で毎時間大変な子がいるクラスにあちこち入る“と書いている。現教員の方は、“「まずその子の言い分を聞いて、落ち着いてから自分の行いについて振り返り、相手の気持ちに目を向けさせるという手法が有効です」って書いてるけど、それが有効じゃない場合はどうすんの?”と書いている。また別の現教員の方は、“この原因はインクルーシブ教育だと強く思う。この取り組みに対する教員負担は尋常ではない”と書いている。“もう学校に1人でクラスを安全に保てる状況ではないと思う”と書いている方もいた。

 

 

 

今の現場を見ていない僕でも、これは全部ホントの話だと思う。こうやって教員が疲弊し、やがて休職或いは退職に追い込まれ、それを現場の先生がカバーせざるを得ない(代わりの講師はまず来ない)負のスパイラルに陥っている。だからいくら少子化になっても、昔よりも遥かに必要とする教員の数は増えているのだ。そこんところを文科省は、問題視していない。もう定数法という法律を変えて、教員の数を増やすしか手はないところまで来ているのだ。それに「個別最適な学び」と謳っている以上、まず人員を確保しろよという意見もある。当然である。

 

 

 

いかん、また熱くなっちゃった。今日はいい加減これくらいにしとかなくっちゃ。タイトルの話にもいってないのにね。

 

 

 

最近何気なくロイド・コール&ザ・コモーションズのデビューアルバムをかけながら記事を書いてたんだけど、「ハッ」とした瞬間があったんだよね。A面の最後の曲なんだけど、何かを考えながら或いは何かしながら聴いていても(つまり考え事8割、音楽2割くらいで)、心にスルッと入り込んでくる曲がある。自身の心のタイミングも関係してくるかもしれないが、こういう瞬間はこれまでにもあった。そうなった時、初めてその曲を100%の耳で聴くんだけど、やっぱりいいなーって思えるって幸せなことだなぁっていうことを書きたかったのだ。

 


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ロイド・コール&ザ・コモーションズっていうバンドは・・・って書くと晩御飯が作れなくなるので、今日はやめとこう。

 

 

 

それでは。