みんな真面目なんだなあ

僕のブログはグーグルから検索されて読まれるのが67%で、一番読まれている記事は長らく「平沢進が使う変な器材と言うか楽器その2」だった。2021年3月にアップしたものである。5年も前の記事がずーっとトップだった。その記事を上回る記事が現れた。「音楽業界は批評が死んでいる?」という記事である。今年の1月25日にアップしたものである。

 

 

この記事は、サカナクションの山口一郎が「音楽業界は批評が死んでいる」と自身のポッドキャストで発言し、それをみのが「みのミュージック」で採り上げ、更にサカナクションの「怪物」を批評する動画をアップした、という一連の動きについて「いいなあ」と思ったことを書いたものだ。

 

 

そんな記事が今一番読まれている。「?」と思った僕は、「みのミュージック」で検索してみた。すると、みのの一連の動きに対する記事がポツポツと見られた。それを読んでみると、結構みのに対して批判的な記事が多かった。印象に残っているのは、批評には「内在的批評」と「外在的批評」があって・・・・っていう風に長々と持論を述べていた記事だ。

 

 

今の僕に「内在的批評」「外在的批評」について読み解くほどの根性はない。取り敢えず前者は、純粋に音楽的な観点から書かれたもの、後者は時代や作られた背景といった観点から書かれたもの、という理解でギブアップさせてもらった。

 

 

そこでもう一度件のYouTube動画に戻ってコメント欄をのぞいてみた。そしたらとても誠実で好意的なコメントがたくさん、というかそういうコメントがほとんどだった。「うーん・・・」と思った僕は、もう一度検索してみた。

 

 

そしたらみの自身がnoteに自身の批判に対する考えを述べていた。さっきも書いた2つの批評視点についての私見を丁寧に述べ、自分はこういう立場だということを精魂込めて書いていた。まあこれもなかなか難しくて一体何%理解できてるんだ?俺って思ったけど。

 

 

山口一郎が呈した疑問についてみのが応え、それについて批判的記事が書かれ、再びみのが自身の考えを述べる。これに関わる全ての人に対して僕は、真面目だなあと思った。

 

 

こんな真面目さは嫌いではない。僕もできればそうありたい。ありたいが、残念ながらそんなパワーがもう僕にはないんだな、と思わざるを得ない一件だった。もしかしたらみのは、近日中にYouTubeでも改めて私見を述べることがあるかもしれない。見つけたら頑張って観ようと思う。

 

 

 

 

そんな風に思っていたら、YouTubeで「AIによって失われるものは?」というタイトルの動画を発見した。よっしゃ観てみるかと思い、頑張って40分ほど観ていたが、これも内容が難しくてついていけない。いや、違うな。難しいんじゃなくって、頭の中に内容が入るまでの時間がかかり過ぎるって感じかな。

 

 

本当は、ちゃんと自分の頭の中に内容を落とし込んで、この場で言語化できたらいいんだけど、さっきも書いたように僕には知的パワーが残っていないようだ。これは結構悔しいことでもある。また、パワーはこのまま無くなっていくのか、或いはチャージすることができるのかということも考えてしまった。

 

 

僕が今一番スッと頭に入るのは、情緒的な言葉である。今だったら選挙演説である。さすがに中道の諸候補が話す言葉には反応できないが、例えば宮城の安住候補と争う立場の森下候補の演説などが耳に入ろうものなら、つい聴き入ってしまう。

 

 

聴き入ってしまうだけじゃなくて、ふと涙ぐみもしちゃうんだよね。これは危険な兆候だと脳みそが慌てて僕に囁くんだけど、そんな内なる声は僕には届かず、なんだか頑張れーって思っちゃうんだよね。

 

 

情緒的な言葉に弱い、という点こそが老人と呼ばれる人の特徴なのかもしれない。つまりは自分の頭を使って思考しなくなるということだ。危険、という言葉で済まされないほど僕は弱っているかもしれない。老人が詐欺にあうというのは、今書いたことと関係があるのかもしれない。

 

 

僕は今のところ、まだ僕が考える老人にはなりたくない。

 

 

今日は、上の文をタイトルにすべきだったかもしれないな。

 

 

 

というわけで少しだけ頭を働かせてみよう。例によって選挙話である。これはもう2月8日の選挙を終えても暫くは書きたくなるだろう。しょうがないってことでよろしく。

 

 

僕が今日書きたいことは、新聞についてである。新聞各紙が揃って「自民絶対的過半数か?」と書いている。揃いも揃っておんなじ予想だ。そのことに違和感を抱かざるを得ない。大体新聞各紙は高市下げだったはずだろ?それがなんでこんな風に書くわけ?

 

 

当然これは絶対罠だ、気をつけて!安心しないで確実に選挙に行って!と小泉進次郎などが言っている。一方創価学会が遂に本気を出したぞ、108区の中道候補に票を入れろとの指令が出たらしい、なんてことも報じられている。

 

 

こうなると明日からの水木金土で何がどうなるか分かったもんじゃない。スキャンダルが明るみになるかもしれないし、誰かが失言をするかもしれない。それに日曜日は雪予報が出ているから投票率が下がることは必至だ。僕は、明日期日前投票しようと思っている。

 

 

 

最後にユダヤ人の考えを書いて終わることにしよう。ユダヤ人は、何かを決める時に全員一致だった場合は、無効にするそうだ。そんなことは現実的にあり得ないからというのが理由らしい。

 

 

何かと全員一致を求めがちな日本人とは正反対である。別にユダヤ人が偉いって言ってるわけじゃなくて、こういう風に考える民族もいるってことだ。

 

 

 

それでは。