“僕は宇宙人”

料理をする時に、ミンチ(挽肉)を使うことがある。今まではなんの疑いもなく使っていたが、改めて考えるとミンチを発明した人は凄いなって思う今日この頃である。

 

 

そぼろにしてご飯にかけたり、麻婆豆腐で使ったりする。それに捏ねるとハンバーグや鶏肉団子になっちゃったりするのだ。優れものだと思わないかい?

 

 

そこでミンチについて調べてみた。以下はウィキペディアからの引用である。

 

 

“挽肉とは、牛や豚などの食用肉をミンサーなどですり潰し、細切れにしたもの。商品価値の低い屑肉が材料となることがある。成型ステーキなどの成形肉材料とされることがある”

 

 

もうこの時点で目から鱗だった。そうか商品価値の低い屑肉を使うのか。成形肉のことは知ってはいた。確か問題になったことがあるよな。もう少しミンチについて調べてみよう。

 

 

“挽肉を使用した料理の歴史としては、ドイツ・ハンブルクの地名にちなむハンバーグの原型は、欧州に侵攻したモンゴル帝国から採り入れたタルタルステーキであったとされている。”

 

“固く食べにくい馬肉を食べやすくするために工夫したもので、ヨーロッパでも労働者などに廉価な屑肉などを口当たりのよい料理に仕立てられる手段として普及した”

 

 

参ったな。ハンバーグってハンブルクからきたものなのか。

 

 

“日本では、東京の洋食店が「ミンスミートカツレツ」として売り出したとされ、のちにこれは「メンチカツ」と呼ばれるようになった”

 

 

そうか、「メンチ」は「ミンチ」から来た言葉だったのか。

 

 

 

ふと思いついた話題だったが、なかなか面白い発見があった。こういうのは好きである。

 

 

 

 

 

さて、「僕は宇宙人」と言うのは、ドラマ「テミスの不確かな法廷」で番組の最初に安堂が発する言葉である。お前、また「テミス」かよーと言われるかもしれないが、しょうがないじゃん、原作本を読んで痛く感動したんだから。書かせてよ。

 

 

「僕は宇宙人。生まれながらにして地球人の普通が分からない。地球人の気持ち、立ち振る舞い。『普通』をずっと勉強してきた。僕の仕事は社会への約束事に則って地球人の争いを解決するため、適切な判断を下すこと」

 

 

これが、ドラマ編で主人公の安堂が発する言葉である。原作本では「土星人」になっているが、つまりは地球人ではない(「普通」ではない)ということだ。

 

 

どういうことかというと、安堂は小さい頃にASD自閉症スペクトラム障害ADHD注意欠陥多動性障害)と診断された。

 

 

ASDには、主要な二つの症状がある。一つは「対人関係、コミュニケーションの障害」で、「空気が読めない」「場の雰囲気が分からない」ことにより、集団内で孤立することが多く、生涯にわたってほとんど親しい友人がいないといった例もみられる。

 

 

二つ目は特定のものに対する「強いこだわり」である。こだわりの症状は、様々な形で現れる。特定の事物に執着し関連するあらゆるものを収集しようとすることもあれば、ASDの子どもが電車に強い興味を持ち、何時間でも行きかう電車を見つめているといった例もみられる。またこだわりの症状は、自身の行動として現れることもあり、「道順」や「ものを食べる順序」について、本人なりのルールに固執する例もある。(ここまで本の解説を参考にした)

 

 

ASDの人にとって重要であるのは、「変化しないこと」「同じことを繰り返すこと」である。

 

 

主人公の安堂は、毎日同じ店に行き、ナポリタン定食を注文し続けている。また、被告の氏名の文字が左右対称であることにこだわるあまり、肝心の事件の内容が頭に入らないこともある。

 

 

彼は何とかASDである自分を隠し、「普通」の振舞いをしようと努力するが、着任してすぐにもうみんなから奇異な目で見られている。

 

 

そんな安堂を松山ケンイチが演じているが、本では安堂がどのように世界(目の前に見える現実)が見えて、どのような反応をし、どのように感じる(或いは感じない)かが克明に描かれている。ドラマでは分からなかった細かい機微も本を読むことで「そういうことかぁ」とこちらは腑に落ちる。もしドラマだけしか観ていない人がいたら、是非原作本を読むことをお薦めしたい。

 

 

 

僕が一番心に残った箇所を書いておこう。

 

 

安堂が家に帰ってから、ふいに「オズの魔法使い」でブリキの木こりが心をほしがる場面を思い出したところである。

 

 

自分に心がないことを 承知していたから、

何に対しても 残酷だったり 不親切だったりしないよう、

すごく気をつけていた

 

 

(ここから原文。ちょっと長いかも)

 

初めて読んだときに、まさに自分そのものではないかと思った。いや、初めて読んだときだけではない。きのうも、きょうもそうだ。たぶん、あすも同じだろう。

 

地球人と混ざり合うため、さまざまなコミュニケーションの学習をしてきたが、もっとも進歩を感じないのが自分自身の心だ。それが備わっているのかどうかさえ、自覚がない。

 

自分に似ているなあと感じるテクノロジーもある。知識を集めて成長するという生成AIだ。

 

安堂は目の前の人が見せるジェスチャーをはじめ、目つき、黒目の動かし方、頬のふくらみ、声の張りや抑揚などを観察し、分析を加えて思考や感情といったものへの言語的理解にたどりつく。そうした事例を事細かに学習しながら、定型発達者が大多数を占める社会に混ざり込んでいる。気の毒な人を前に、たとえそれらしい情感のある言葉をかけたとしても、それは単に学習で得たものであって、心からにじみ出すものではないように思えるのであった。

 

山路医師に「自分を否定しないで聞いてほしい」と教えられたことがあった。ASDの特性のある人がさも定型発達者のように振る舞うことを、「社会的カムフラージュ行動」と呼ぶという。カムフラージュとは日本語にすれば、「擬装」だ。

 

自分に心はないのか。その質問は山路にもまだしたことがない。「ない」と言われるのが怖いからだ。

 

 

 

 

ASDを抱える人にとっては、あまりにも残酷であまりにも悲しい現実だ。自分は、まあ言うたら精神疾患者なわけで、そういう意味では定型発達者ではないのだろう。でも、この安堂が抱える孤独や辛さというのは、自身が「僕は宇宙人」と言うしかないほどのものなのだろう。

 

 

でも、原作本では最後はハッピーエンドに終わっている。安堂に「やったな、お前!」と言いたいし、それに応えた小野寺にも「でかした!」と言いたい。そんな爽やかな気持ちで読み終えることができてよかったと心から思った。

 

 

 

 

 

さあ、政局のことも少し書いておくか。なんと「チームみらい」がディスられているというニュースが僕の耳に届いた。どうやら国民民主が思うように支持を集められないので、その矛先がチームみらいに向いたようだ。

 

 

でもそれは、チームみらいにそれだけ存在感が出てきた証左でもある。安野よ、負けるなよ。応援してるぜ。

 

 

 

もうひとつはもしかしたら重大かもしれない。高市総理が、今朝の「日曜討論」を欠席したのだ。この日は全党の党首討論会だった。しかし高市総理は手の怪我を理由に欠席した。いよいよネットがざわつき始めた。「ほくほく」発言や統一教会についての説明を求めるコメントが殺到している。敵前逃亡だと激しく非難している人もいる。

 

 

昨日まで「自民圧倒的リード」報道だったのに、明日から逆風が吹くかもしれない。

 

 

高市総理がなぜ「日曜討論」を欠席したのか。その真意を知りたい有権者は大勢いるはずだ。

 

 

 

それでは。