軸は1つとは限らないと教えてくれた人

僕は今まで(考え方?思想?の立ち位置として)自分は右でもなく左でもない、その間にある細く続く道を歩いていきたいと思っていた。この考えはこれまで何度か記事に書いてきた。

 

 

しかし、それは(ある意味)間違いであること、立ち位置として他にもこんな軸があるんじゃないかと教えてくれた人がいる。それが安野貴博氏だ。

 

 

安野氏は、チームみらいの党首であるのでメディアから「チームみらい、或いは安野さんは右寄りですか?それとも左寄りですか?」と問われることがある。そう訊かれた時に安野氏は次のように答えた。

 

 

「右か左かっていう1つの軸しかないという考え方を私はしていない。軸は他にもいろいろある。例えば未来を強く志向しているかしていないか?という軸やリスクをある程度取って(政治の)スピードを速くするか、リスク軽減のために熟慮を重ねてゆっくり(政治を)進めるか、という軸とか。立ち位置に関する軸は色々あると思いますね」

 

 

そして「私たちチームみらいは、未来を強く志向し、リスクがある程度あっても修正しながら速いスピードで政治を進めていきたいと思っています」と語った。

 

 

僕は、これを聞いてはたと膝を打った。というのもチームみらいは右にも左にも属さない位置にあるように見えるけれど、どうやって自分たちを位置づけているんだろう?と常々思っていたからだ。そして僕はなんと短絡的に考えていたんだろうと思った。

 

 

最初僕は「右でも左でもない、その間の細い道を歩いていきたい」と書いた。しかし今では「中道」を名乗る政党が現れた。それを聞いた時「中道?うーん・・・(彼らがそう言うなんて)それはおかしくない?」と思ったと同時に、「言葉だけ見たら俺の思ってることと被るかもしれない。うーん・・・まずいな」とも思った。

 

 

そんな時に、安野氏のインタビューを見たのだ。そして今までの自分の浅墓さに思い至った。衝撃を受けたと言ってもいい。確かに自分の立ち位置を表す座標軸は1つに限られるわけじゃない。でもこの30数年は、ずっとそれに縛られていた。ちょっと長すぎたなあ。

 

 

安野氏が話している「政治のスピードの遅さ」は、僕も感じていたことだ。だが僕は、それを「『民主主義』はイラついている」と断罪し、そんなことなら優秀な指導者の下、ファシズム(まあファシズムも民主主義の形態のひとつかもしれないけど)で物事を決めていったら政治のスピードは速くなるからいいんじゃないか、とチラリと思ったりもしていた。

 

 

しかし安野氏の主張する「スピードが速い政治」は、今書いたものとは全然違う。彼らはテクノロジーで今までの政治を加速させようとしているのだ。そして未来のためにはリスクをある程度仕方ないとしながら、その都度修正を重ね、スピード感を持って政治を進めていく。それを目指しているのだ。

 

 

一昨日も安野氏率いるチームみらいについて書いたが、その新しさが全国に浸透するのは、それこそ時間がかかるだろう。それでも参院選で1議席を獲得して以来、さまざまな仕事を着実に取り組んで成果を上げている。

 

 

僕は、今のチームみらいの考え方とスタンスのままで国会を変えていってほしい。そうは思うが、それじゃあ遅すぎるとも思う。じゃあ、政治に長けた人をブレーンに取り入れるとか、与党に(ある意味)取り込まれるかして、その存在を全国に知らしめるということも考えられるが、多分安野氏はそんなことはしないだろう。党員やサポーターもそれを望んでいないと思う。

 

 

 

だからこそ、今回の選挙で最低5議席、できれば10議席を獲得することができれば、彼のことだからそれを足掛かりにして、衆議院にも新たな風を吹かせることが(今までの既存政党に一泡吹かせることが)できるのではないだろうか。

 

 

とにかくこの歳になって、今までの考え方を変えるきっかけを作ってくれた安野貴博氏をこれからも支持していきたい。僕のように考えるおじいさんもきっといると思うから頑張ってほしい。

 

 

 

ただ1点、注文をつけるとしたら、安野氏も力を入れると言っている教育のことだ。僕が見るところ、チームみらいの教育政策はまだ煮詰まっていないと思っている。教育現場で何でもかんでもAIを使えばOKという時代は来るかもしれないが、それはまだ先のことだと思う。学習指導要領をいじれば何とかなると主張している動画も見たが、そんな簡単にいくかのなあと思ったのは事実だ。だからもう少し現場の先生と話し合う必要があると思った。

 

 

僕がこう思ったのは、安野氏が「先生の言っていることを聞くより、教科書を開いて読む方が(学習内容が)よく分かった」と言っていたからだ。実はパイセンのJUNさんも全く同じことを言っていた。そしてJUNさんは、「自分のペースでどこででも誰とでも(一人でも)学習を進めていく『自由進度学習』を僕の勤務地では取り組んでいるんです」と言うと、そっちの方がいいんじゃない?というニュアンスだった(多分)。

 

 

JUNさんがそういった時僕は、そんなつもりはなかったけれど「いやいやそれは不可能ですって。だって・・・」と「自由進度学習」の大変さを一生懸命話した(ような記憶がある)。

 

 

安野氏が考える未来の学習像もこれに近いのかなと思っている。でもそれを実現させるためには、それこそ気の遠くなるような労力が必要だと思う。僕も明治以来変わっていない学校のスタイルはもう制度疲労を起こしていると思っている。じゃあどうすんだ?というプランは未だ見えないが・・・。

 

 

 

 

 

今日はもうひとつ気になるニュースを見つけた。養老孟司内田樹の対談だ。

 

 

“なぜSNSは激しい言葉で溢れるのか。養老孟司さんと内田樹さんは「『感想文』ばかりを書かせ、物事を正確に観察して言葉にする叙景文を蔑ろにしてきたツケだ」と指摘する”という対談だ。

 

 

まず僕は「物事を正確に観察して言葉にする叙景文を蔑ろにしてきた」という一文で思考がストップした。これって俺のことじゃないか、と。僕には叙景文を書ける目や言葉を持っていないことは薄々自覚はしていた。しかしここまでハッキリ言われるとドキドキしてしまう。

 

 

ちょこちょこと抜粋してみよう。

 

 

“戦後かなり早い時期に、教育から叙景文がなくなったというんです。・・・叙景文には、文章を書く定型がかなり含まれているでしょ。それが教育できない”

 

 

“「説明」ってすごく大事なことだと思うんですけどね。「何かを説明する」ということは今の国語では、課題として存在しないんじゃないかな”

 

 

“解剖なんかは、何がどうなっているかを言葉で説明するんですから全部叙景文です。叙景文をなくしていいのかよと思ってました”

 

 

“「自分の感想を書く」という方向にシフトしたんじゃないですかね”

 

“お前の感想なんてクソみてえなもんだって。感想文って本当に日本人は好きですよね”

 

 

 

例えば小説は会話、心情描写、情景描写の文章から成り立っている(多分)。僕は情景描写が苦手だ。いや、書けないと言ってもいい。それに小説を読んでいる時もその部分を読みとばしがちだ。目の前にある物を正面から眼を開けて見ていないからだと思う。だから、大事なことが抜け落ちる、見落とすことが多いのだと思っている。これは今からでもトレーニングできるものならやりたいことである。恐らく僕には見えていない(見てない)ことが多いのだ。

 

 

養老孟司内田樹の対談を読んで、その思いは強くなったのは僕にとってはいいことなのだろう。

 

 

 

 

 

最後にもう一度政治のことを書いておこう。それにしてもこの僕が政治のことをメインに書く日が来るとは思いもしなかった。

 

 

今回の衆議院選挙は、つまりは政権選択選挙である。僕はまだ中道改革連合ができていない時には、まずは立憲民主党の議員をバンバン落としてほしい、それから胡散臭い自民党の議員も落としてほしいと書いた。つまりは現在の状況と同じで、何とか自民維新無所属で過半数を取って、他の政党とも連携しながら高市総理が運営していけばいいと思っていた。

 

 

それは基本的には変わらないんだけど、今はもし万が一中道改革連合が政権を奪ったらどうなるだろうと思わざるを得ない状況である。野田代表が総理大臣になる?とんでもない。外務大臣は?財務大臣は?安住氏とか斉藤氏とかになるんかい。そう思うと心の底からゾゾっとする。そんなん無理やろ?

 

 

高市総理は昨日の演説で、ギリギリ過半数だったら○○委員長を野党に取られて法案の提出すらままならないと言っていた。だから自民維新で過半数じゃなく、絶対的過半数にならなきゃダメだと思っているはずである。

 

 

絶対的過半数を取って、高市総理の思う政策をガンガンやってもらうか、ギリ過半数で国民民主党とか参政党とかも取り込みつつやっていくのか、どちらかだと思うのだが、どうなるんだろうね。

 

 

僕の選挙区は、自民と共産が立候補するだけなので、トホホ状態というか選択の余地はないというか、そんな状態なのだが、そうだなあ・・・。安住氏が立候補する仙台では、俺、自民の森下氏を応援しちゃうなあ。

 

 

 

それでは。