音楽界は批評が死んでいる?

タイトルの話の前に書いておこう。

 

 

ついに、ついに、ついに我が町にも寒波が襲ってきた。昨年こんな感じになったのは、2月5日だった。今回はもう少し早い。そして来週も注意が必要だという。



 

今頃石川県内の壮年の方の腰はやられているだろう。「やれやれ。日曜日で良かったわい」と思いながら、のんびりぬくぬくとテレビでも観ているかもしれない。いや、まだ午前中なので、雪かきが終わっていない地方もあるかもしれない。

 

 

そして除雪車を運転している方には、もう「ありがとうございます」と言うしかない。「せっかく雪かきをしたのに、除雪車のせいで、また雪かきをしなければいけない」なんて口が裂けても言えない。妻は除雪車の運転者に高い給料を払ってやって欲しいと言っている。また、後継者を育ててほしいとも言っている。僕も同感である。

 

 

でも、壮年よりもう少し歳をとった方は思ってるはずである。「いやいや、昔はこんなもんじゃなかった」と。61歳の僕でもそう思うんだから。昔は、こんなもんじゃなかった。出勤の時に、車で運転するのを諦めて歩いて学校に行った人もいたくらいだ。

 

 

我が家の雪かきは、例によって妻はノンストップで1時間やり続け、僕は20分×3セットで1時間やった。

 

 

 

 

 

タイトルは、サカナクションの山口一郎の言葉である。自身のYouTubeで語っていたらしい。そのコメントについてどう思うか?と視聴者に問われたのが、みのミュージックのみのさんである。

 

 

みのミュージックには、人気コーナーである「賛否両論企画」というのがある。視聴者からの鋭い質問にみのがドMな気持ちで答えるというコーナーである。

 

 

この問いに対して、みのはコーナーの時間全てを使って私見を述べていた。以下が、みのの発言である(長くてゴメン)

 

 

まずは、山口一郎の発言を大まかに話した。

 

 

「音楽は批評だったり検証のジャーナリズムだったりが機能していないんじゃないか」「アニメとか漫画カルチャーはいいものはいい、つまらないものはつまらないという厳しい批評文化に常に晒されている」「その結果として作り手側も強い緊張感を持って制作をしていて文化として揉まれているような状態である」

 

 

「逆に音楽業界は、事務所の力だったり根回しによる露出だったりが優先されやすくて本質的な評価が弱いんじゃないか」「本来だったら無名でもホントにいい音楽を掘り起こして世に押し上げるのがジャーナリズムの役目なのではないか」「音楽ジャーナリズム、音楽業界には挑戦的で強度なミュージシャンが育つ文化体制を再構築してほしい」

 

 

とまあ、これが山口一郎が話したことをみのが、大まかに話した内容だ。

 

 

 

これに対して最初に、みのは「同意するかなー」と言った。そして、「確かに漫画はストレートにここが面白い、ここがクソだみたいなことを結構ガンガン言いますよね」「これって、ラーメンに似てない?ラーメン屋さんに対しても客ってガンガン言うじゃないですか」と言った。

 

 

ここから、2つの私見を披露した。

 

 

 

「ミュージシャンを批判するとアンチっていう言葉に回収されがちである」「アーティストの人格そのものを推している人がたくさんいる」「人格攻撃と取り違えている人が一定数いて、(音楽ジャーナリストが)多少の忌避感というかちょっと及び腰になってしまうっていうのはあるかもしれない」と少し音楽ジャーナリストの肩を持つようなことを言った。

 

 

2つ目は、音楽業界そのものへの考えだ。

 

 

「音楽業界の構造的な問題なのではないだろうか」「音楽ライターは飯が食えない。食い扶持ってなんなのかというと、アーティストへインタビューしたり、新作が出たらそれについてレビューを書いたりすることである。単価数千から1万円2万円である」「基本的に声がかかるのは、めでたい場面・・・例えば新作が出たとか大きな会場でライブをやったとか名盤発売何十周年とかである」「そこで『いや、このアルバムはこのあたりが全然よくないよね』とか『ドラムの処理がカスだよね』とか書いたりしたらもう仕事はこない」「結局プロモーションとか広告主ありきの仕事である」「基本的にはそういう環境の仕事だから優しい意見、優しい批評しか流通しない」「概してそういう傾向にある」。

 

 

だから、「本気で完全にプロのライターとして仕事をやろうとすると批判的な意見はほぼ封印されてしまう」のが、今の音楽業界なのかもしれないと結論付けた。

 

 

そのあとで、Xなどでは「音垢」と呼ばれる人が、結構露悪的でネガティブなことを言っている、これって今言ったことの反動かもしれないと話し、健全な批判がしっかり流通する音楽批評空間を作っていきたいですよねーと言った。話はまだ続いた。

 

 

「今は『いかにうまく褒めるか』が求められている」し、「自分も一部加担していると思う」し、「基本的にポジティブなことを語っている」し、「激しい言葉は封印している」と語った。

 

 

 

そして「何だか自己批判みたいな話になってきたな」と言い、「ミュージシャンもそういう言葉を受け入れてくれないと成立しない。山口一郎みたいに志が高い人は受け入れてくれるかもしれないけど、評論家とミュージシャンがしっかりお互いを信頼して、手を握らないとこういう構図は成立しなくない?」と結んだ。

 

 

じゃあ俺はどうすればいいんだ?ということで、どうすればいいかコメント欄で教えてくれ、と言い動画は終わった。

 

 

 

これだけの時間を費やしてみのが語ったということは、相当な気持ちがあったはずである。その証拠にこの動画を上げたすぐあとにサカナクションの「怪物」を批評的に話す、という動画をアップしていたからだ。内容はなかなか辛辣な部分もあったので、もしかしたら山口一郎は、反応するかもしれない。

 

 

 

 

この一件を知って僕が思ったのは、「渋谷陽一って、ガンガンアーティストに物を言っていたよなあ」ということである。

 

 

ロッキングオン」では「〇〇は□□で(←内容は忘れた)、ヘヴィメタルはゴミじゃ」という今じゃ考えられないことをタイトルにして、ガンガン自分の考えを書いていた。思えば「ロッキングオン」は既存のメディア(まさしく優しい言葉で溢れていた音楽誌業界)に対する強いアンチから生まれた音楽雑誌だった。

 

 

そして「ロッキングオンジャパン」を創刊すると、今度は日本人アーティストに直接自分の意見をぶつけていた。当然アーティストは怒る場面が出てくる。佐野元春吉井和哉浜田省吾とはずいぶん喧々諤々と話していたし、忌野清志郎も最初は「ウザイ奴だなぁ」と思っていたはずだ。

 

 

しかし、渋谷にはアーティストに対して愛があった。彼らの熱烈なリスナーだったからこそ、そういうことが出来たんだと思う。最終的には、彼らも「渋谷だからなあ」と納得していた部分もあったと思う。

 

 

しかし、読者の中には「渋谷はあまりにも自分が考えた筋書きに拘り過ぎて、アーティストを自分の思い通りに誘導し過ぎる」という意見もあった。

 

 

僕もそう思うことがあった。印象に残っているのは、ハリーがストリート・スライダーズのカヴァーソロを発表した時のインタビューだった。もう忘れてしまったけれど、ハリーが可哀そうになるくらいに渋谷は自分の意見を押し付けているように感じた。僕は「これはちょっとやり過ぎなんじゃないの?」と思い、その後は渋谷のインタビューを読まなくなった、ような気がする。

 

 

アーティストにとっては煙たい存在だが、そこには確かな愛がある。それこそが渋谷の取材スタイルだったように思う。まあ、思い込みが激し過ぎるが、作品を聴いて聴いて、そして一生懸命に考えていたからこそなんだろうけど。それが伝わるまでには、多大な時間がかかる。今、そういう風に時間をかけてアーティストと信頼関係を結ぶことは困難なことだろうし、そもそも誰もやろうとしないだろう。

 

 

山口一郎だったら渋谷と熱く語ることができたかもしれない。

 

 

 

 

今日は、ホントはギター教室の日だった。でも早々と諦めた僕は、10時前に電話をしてキャンセルした。先生はもしかしたら「10時に間に合わせなくっちゃ」と思い、必死で雪かきをしていたかもしれない。すまん、先生。

 

 

 

それでは。