「時代の変化に対応しないとヤバいよ」

タイトルは、サッカリンさんがYouTube動画でボブ・ディランの「時代は変わる」(The Time They Are a-Changin’)を訳(意訳?)したものだ。カッコいいよね。それに、現代にも通ずる言葉でもある。僕も「昔は・・・」なんて話ばかりせずに、今のことを書いていきたいものだ。

 

 

とはいえ、今日の話題は1994年の作品のことなんだけどね。

 

 

前の記事で。読書がしたい!→スティーヴン・キングを読もう!っていうんで「ビリー・サマーズ」(上・下巻)を注文したところまで書いた。しかし、待てど暮らせど、上巻が届かない。仕方がないなーと思いつつ、蔵書から中島らもの本を数冊選んで読んでみたら、これが面白かったんだよね。

 

 

1994年に刊行されたのは、「永遠も半ばを過ぎて」という小説である。これは映画化もされていて、それが最近WOWOWで放送されていた。途中まで観ていたら「本で読みたいな」って思っちゃって選んだというわけである。

 



裏の紹介文だけ書いておくか。

 

 

“「えっ。ユーレイが小説を書いたの⁉」巨大タニシの母貝1個1億円の商談をしくじった三流詐欺師の俺にも、運がめぐってきたようだ。謎の原稿を出版社に持ち込んだところ、文壇の大事件に発展し…。うふふ。ここは腕の見せどころ。輪舞するコメディ。あふれ出る言霊。待ってましたの痛快らもワールド!”

 

 

と、こう書かれている。僕は、寝る前にパラパラとページをめくって読んでいたが、これが面白いのなんのってって感じでグイグイ読み進めることができた。もう30年以上前の作品なのに、こんなに楽しむことができるとは。

 

 

そう思い、朝起きて、妻に「中島らもの小説って今でも読んで楽しめるんだけど、凄くない?」って言ったら、彼女は「そう?でも中島らもに限った話じゃないんじゃない?」と言った。

 

 

僕は「そうかなあ。現代の小説を30年後読むと思う?例えば『このミス』とかで選ばれた本なんか読まれると思う?」と返した。妻は、「うーん…微妙やんね」と言った。僕は更に「『永遠も半ばを過ぎて』で、主人公が本のプレゼンをする時に『これから紙の本は読まれなくなる。電子メディアがその役割を担うであろう』って言ってるんだよ。凄くない?」と更に畳みかけた。これには妻も「へぇ~、そんなこと言ってたんだ」と納得したようだった。

 

 

その勢いで「ガダラの豚」(1993)も読んでみた。これもむっちゃ面白かった。しかしこれは一体どういうことなんだろう?という疑問が頭をよぎったのは事実だ。もしかして僕の頭は、1990年代で止まっているから?それとも中島らもの作品が時を超えて優れた作品であり続けているから?

 

 

僕としては、後者の方だと思いたい。何だかんだ言ってスペンサーシリーズも未だに愛読してるし、花村萬月にしても松村雄策にしても、折を見て読んでいる。しかし、現代の小説を読んでいない僕としては、何とも決め難いことでもある。

 

 

 

 

というわけで、「ビリー・サマーズ」の上巻は昨日無事届いた。こちらは、2021年の作品(キングのデビュー50周年の作品だったように思う)である。だからつい最近の作品であると言えるだろう。初期のキングを読み耽っていた僕としては、格好の判断基準になるかと思う。今日のタイトル回収にもなりそうなことでもある。

 



しかし、読みにくい。この細かい字を600ページほど読むのだ。10年くらい前だったら、読む前からワクワクしたものだが、今回は「大丈夫か?俺」という気持ちの方が強い。何と言っても、長く読み続けられないのが最大のネックだ。目が(特に左目が)とにかく疲れる。疲れると「あぁ~」って思い、思わずしばらく目を閉じていなければならない。眼精疲労って言うの?こんなことってなかったんだけど、絶対年を取ったからだよね?

 

 

そういうわけで、今日から読み始めたのだが、まだ23ページしか読んでいない。もっと読み進めて、お話がドライブするようになると、きっと読むペースが速くなるはずだ。何てったって帯に「すべてのページが面白い」って書いてあるんだから、これは期待するしかないだろう。

 

 

 

それでは。