kindle本のタイトルを「教師と双極性障害」としたからには、まずは自己紹介から書き始めなければなるまいと金曜日に考えていたが、どうも上手くまとまらない。もっと気楽に書けんもんかな、あっそうだ、ブログに下書きをしてみたらどうだろうと思った。
そういうわけで、今日は下書きにチャレンジしてみたい。
まずは「教師」の方からだな。
・僕は大学を卒業してから、講師を含めて37年間小学校の教員として働いていた。
・教員になって6回異動した(少ない方かもしれない)。
・今年(2025年)の3月に定年退職した。
これくらいかな。次は「双極性障害」のことか(今は「双極症」と言ってるらしいがまあいいや)。
・2007年、44歳の秋に初めて心療内科に行く。2008年にセカンドオピニオンを求めて病院を変えたが、そこで双極性障害と診断される。
・それ以来、年休が多くなったり夏休みに病休するようになったりを繰り返すようになる。昨年度(60歳になる歳)は全休した。
次は、「教師としてどう双極性障害と向き合ってきたか」か。前にも書いたが、発症する少し前から思い出してみることにするか。
・2005年度(42歳)・・・学校を異動した僕が待っていたのは、その学校で一番大変なクラス(4年)だった。僕が今まで経験したことのないような事件が毎日のように起こっていた。そのクラスを立て直すのに、全力を傾けた。
・2006年度(43歳)・・・6年担任、研究主任、児童会を担当し、これまた全力で仕事に取り組み、一定の成果を上げたんじゃないかなと思っている。
・2007年度(44歳)・・・6年担任、研究主任を担当する。この時の6年は、一昨年度に担任したクラスで、5年生の間にまたクラスが荒れ始めていた。この年も全力で仕事に取り組み、何とかクラスを立て直すことができた(と思う)。しかし、秋にはもうエネルギーは尽き果てていた。ガソリンが空っぽな車を無理やり運転させているような状態だった。
・2008年度(45歳)・・・重い身体とツラい心を抱えながら、5年を担任する。保護者と上手くいかないことが続き、夏休みに入ると同時に病休することを決める。しかし、その後も心身の調子は戻らず、12月まで休んだ。
・2009年度(46歳)・・・異動希望を出したが、希望は叶えられず、4年を担任。子ども同士のトラブルとその保護者との話し合いに疲れ果てる。3学期は、僕が少しでも休むことができるような措置を校長が取ってくれた。
ここまでが、病気の発症とその後の経過だ。42歳で異動してから2年と少しの間、全力で頑張ってきた。この期間が軽躁期だったと思われる。そしてその後46歳まではうつ状態だったと思われる。
不思議だったのは、うつ状態でも授業は快調だったことだ。2年間研究主任を務めていたことや、管理職(当時の教頭)にたくさんアドバイスや励ましをいただいたおかげで、多少なりとも僕の授業力はアップしていた(と思いたい)。教材研究に力を入れ、授業では児童の主体性を伸ばすべく努力して一定の成果は上げていたと思う。
しかし授業をやり終えると、とてつもなく疲れていた。だからうつ状態ではあるものの、授業中は軽躁状態だったと言える。これは、最後までそうだった。
次に赴任した学校でも同様に、授業は頑張ることができたし、児童とも上手く付き合うことができたが、教頭と意見が衝突してしまった。きっと僕のエゴが肥大していたのだろう。許せないことは流せない!という状態になっていた。最後には、職員室で(つまり職員が数名いる中で)教頭と大喧嘩をやらかしてしまった。その結果2年でこの学校を去ることになる。この学校から冬休みや夏休みに病休をとるようになる。
次に赴任した学校では、1年目こそ夏休みに病休をとったが、その後は休むことはなかった。本当かどうかは定かではないが、「hanamiを何とかしろ(←休みをとらなくてもよいように)」と教委から指令を受けた先生がいたらしい。実際僕は、その先生に5年間助けられっぱなしだった。しかし最後の3年間は学級が崩壊しているクラスと(特別支援学級の担任として)関わることになり、疲弊していた。
最後に赴任した学校では、上司が酷かった(←きつい言葉だが、そう書いていいと思う)。その結果1学期の6月から病休に入り、そのまま年度終了まで休職することになった。そしてコロナ禍が始まる。2021年度から2023年度までは、夏休みに病休をするとことで何とか仕事を続けていた。
しかし、2023年3月10日で僕の教員エネルギーは尽きた。そこから2025年3月まで病休→休職をして退職することになった。
以上が、僕が病気を発症してからの大まかな流れである。
一般的に双極性障害は数年おきに躁期とうつ期がやってくると言われている。僕が振り返ってみても「ああ、この時期は軽躁期だったんだな」と思われる時期はある。しかし、日によって、或いは時間によって躁状態とうつ状態がやってくる時もある。さっきも書いたが、授業中は軽躁状態であったと思うし、授業後はヨガマットに倒れ込んで蹲っているということも多かった。双極性障害ってそういうものなのかどうかは分からないが、僕の場合はそうだった。
あとは、一度双極性障害になると、何かのきっかけですぐにうつ状態のスイッチが入ってしまうことは確かだと思う。僕の場合は、クラスの状態、上司との関係によってスイッチが入ってきたような気がする。どこでどんなスイッチがいつ入るか分からないからこそ一生付き合っていかなければいけない病なのだろう。
こんな感じのことをもう少しコンパクトにまとめられれば、「教師と双極性障害」というタイトルに対応しているのではないかと思う。
前にも「僕の履歴書」と題して似たようなことを書いたけれど、書いてて疲れちゃったよ。ここまで読んでくれた人も疲れたでしょ?ごめんね。下書きに付き合わせちゃって。
これから(午前5時)大谷選手がピッチャーとして先発するんでこれくらいにしとこう。
それにしても文章を書き始めるのは、夜明け前が一番書きやすいな。
それでは。