ギリギリまでジタバタしよう

今、僕の頭の中のほとんどは、本を出すぞ!ということで占められているが、この感覚ってなんか懐かしい感じがするんだけど、どんな時にそうなってたっけ?と自問自答していたらすっと答えが出た。

 

 

研究授業の指導案を考えている時の感覚だ。

 

 

教員を2つのタイプに分けるとすれば、ちゃっちゃといろんなことを決めて次に進むタイプと、そうでないタイプに分けられるかもしれない。僕は勿論後者だった。だからといって時間をかければいいってもんじゃないけどね。あくまでタイプの話である。

 

 

指導案を考える時は、単元(約10時間前後)の計画を立て、本時(先生たちが参観する研究授業)1時間のための「本時の目標」「本時の展開」を考える。この短い時間の指導計画を作るために僕は大体2か月かかっていた。早い人は、もっともっと早くに仕上げていた。

 

 

そのため研究授業をするまでの2か月間は、授業をしていても家にいても頭のどこかで研究授業のことを考えていたものだ。懐かしいなー。つい2年前まで毎年やってたことだもんな。

 

 

2か月の間に2回は他の先生も交えて協議する。そして研究授業1週間前に指導案を教育委員会に提出する。提出したらそれで考えないのかというとそうでもなく、まだジタバタ考えていた。研究授業に向かう廊下で(つまり授業本番数分前に)、「やっぱりこうしよう」と思ったこともあった。要するに往生際が悪いのである。

 

 

今味わっている感覚は、まさにその時のものである。

 

 

話をもう1回指導案に戻そう。初めは「これをやりたい」「こういう授業をしたい」と自分が主体となった考え方をしてしまいがちだった。そうこうしているうちに「いや、そうじゃないだろう。児童が僕が提示する題材をどのように捉えて、どう考え活動していくかってことをもっと考えないと」と思うようになる。不思議なもので最後までこの作り方は変わらなかった。だからこそ時間がかかったのかもしれない。

 

 

 

出版する予定の原稿を昨日改めて読んでみたが、恥ずかしくてたまらなかった。只々自分の独り言を書いているだけじゃないか。これは、このままじゃあ出せない。どうすればいいのだ?

 

 

僕が出した答えは、もっと読者に親切な文章にしろというものだった。内容がイマイチなのはしょうがない。これが僕の力量である。しかし、読者の立場に立って考えればもっと書きようがあるんじゃないかと思うようになった。指導案で言うと、児童の立場に立って案を考えろというのと同じである。

 

 

だとすれば、原稿はまだ完成していないということになる。だから出版するギリギリまで粘って考えるのだ。考えた末に変えるところもあるだろうし、書いた時の勢いみたいなのを残すこともあるだろう。

 

 

というわけで、ギリギリまでジタバタ考えることにした。まあ締め切りはないんで、その点は気が楽なんだけどね。とは言っても気楽に構えていると出版そのものを放置しちゃうかもしれないので、5月中には何とか仕上げることを目標にしよう。

 

 

 

 

 

昨日は、Kindle出版するにあたっての手続きに四苦八苦して取り組み、何とかいつでも出版できる状態にした。ローテクにしては上出来だ。

 

 

 

そんなこんなで頭の中だけは何だか忙しく過ごしている今日この頃である。音楽はなかなか聴けてない。最近だと、ハリー(村越弘明)のベスト盤とストレイ・キャッツのデビューアルバムくらいかな。ストレイ・キャッツについては記事に書いてみたいと思っている。もしかして世の中にはストレイ・キャッツなんてそんなバンド知らねーよっていう人の方が多いのかな。

 

 

知らねーよっていう人たちにも読んでもらえるためにどうすればいいか?そういうことを考えながら記事を書けたらいいんだけどね。

 

 

 

それでは。