先日吉田豪と土屋昌巳との対談動画を見た。2時間以上もあったので途中で止めようと思ったのだが、あまりにも面白過ぎて結局全部見てしまった。
土屋昌巳は、シンガーソングライター、ギタリスト、音楽プロデューサーで一風堂のリーダーでもあった(「すみれセプテンバーラヴ」(1982)が大ヒットした)。現在72歳で今も現役バリバリである。
音楽で身を立てようと若くして家出をして東京でローディーをしていたが、一旦親に連れ戻される。その後日大芸術学部に進学したところから、本格的に音楽業界に入ることになる。
りりぃの「バイバイ・セッション・バンド」、大橋純子の「美乃家セントラル・ステイション」、山本翔のバックバンド(この頃から一風堂を結成する)を経て1978年に一風堂単体で活動を始める。メンバーには後に美空ひばりの「川の流れのように」の作曲をした見岳章も在籍していた。
その後ジャパンのワールドツアーのサポートメンバーとして参加したりアーケイディアのレコーディングに参加したりした。
1990年にロンドンに移住。1990年代は、ウイラード、ブランキ―・ジェット・シティ、マルコシアス・バンプのプロデュースを手掛けた。ブランキーのプロデュースでは(多分)ギタリストとしても参加しており、ワクワクさせられた。GLAYや小比類巻かほる、小泉今日子のプロデュースもしている。
長い期間多岐にわたる音楽活動をしてきた土屋だから、話題も豊富である。吉田豪との対談では、ほぼ喋りっぱなしであった。
印象に残ったことを書き留めておこう。
「矢沢永吉と一緒のスタジオに入ったことがあった。永ちゃんに『いいギタリストを知らないか?』と訊かれ『うーん、みんなユニオンに入ってますから(そう簡単には見つからないと思います)』と答え、ユニオンの電話番号を教えたら、その場でユニオンに電話をかけた」
「そして、『モースト・エクスペンシヴ・ギタリスト、プリーズ』『ディスイズヤザワスピーキング』と言った。その様子を見て数ある永ちゃん伝説は盛った話ではなかったと思った」
「それでやって来たのが、ポール・マッカートニーと一緒にやっていたギタリストだった。永ちゃんは本当に自分一人で何でもやっていたと思います」
「ユキヒロ(高橋幸宏)は何を訊いても即答してくれた。ある日『かっこいいビートってどんなんですかね?』と訊くと『2拍目の裏』と即答した。でもそうなんだよね。ザ・バンドなんか必ず2拍目の裏でなんかやってんだよね。それがグルーヴなんだよね」
「教授(坂本龍一)は1回聴くと、全部のパートをサッと譜面にして書いて渡してくれた」
ミック・ジャガーとは会ったって言ってたけど、何を話したのかは忘れてしまった。それより印象に残っているのがチャーリー・ワッツの話である。
「ストーンズがスタジオでレコーディング(「ダーティーワーク」)をしている時に、一緒のスタジオにいたんだけどね。よくスティーブ・ジョーダンが遊びに来てたんだよ。まだ若僧って感じでね。ストーンズのスタジオにもよく行ってたみたい」
「そんでね、チャーリー・ワッツの調子が悪いんだか何だかで、曲の最初はいいんだけど、段々疲れてきてキック(バスドラ)をほとんどやってなかったんだって」
「だからキックの部分は元気のある若いもんにやらせるかってなって、白羽の矢が立ったのがスティーブ・ジョーダンだったんだって。だから『ダーティーワーク』はストーンズのレコード史上一番キックが強いアルバムなんだよ。今じゃあスティーブ・ジョーダンがストーンズのメンバーになってるんだから不思議なもんだよね」
僕はレコードで無駄遣いをしているが、土屋昌巳のレコードとストーンズの「ダーティーワーク」は持っている。無駄遣いも捨てたものではない。今日聴くのを楽しみにしている。
さてと。今日は昼から大仕事が待っている。記事をアップしてシャワーをして、大仕事に臨むようにしよう。夕食は豪華に焼き肉をしようと妻には話している。
それでは。