最近noteで楽しい記事を見つけた。「ガム/Gumn」さんという人が書いている。ガムさんは、最近ボケが進んでいるっていうんで、今のうちに自分の頭にあるものをメモっておきたいと書いている。
でも、文章を読むとどう見ても僕よりかなり年下である。30代から40代、下手したら20代かもしれない。それというのも、文章が今どきの若者のものであると感じたからだ。
そんな若者が題材に取り上げているのが、ドアーズだったりブライアン・フェリーだったりデヴィッド・ボウイだったりジョニ・ミッチェルだったりするのだからもう堪らない。僕なんかは、今書いたアーティストのことは、神格化し過ぎて、あまり否定的なことは書いてないような気がするが、ガムさんは違う。
いいものはいい、そうでないものはそうでないとバッサリと切り捨てている。このバッサリ具合がもう気持ちよくって堪らない。バンドもやっているようなので、書いてあることに説得力がある。今年から始めたようなので、これから読むのが楽しみである。
というわけで、僕もザ・ドアーズについて書いてみようと思う。ずうっと気になっていることがあるんだよね。それがタイトルに書いた「ブレイク・オン・スルー」という曲についてなのだ。

「ブレイク・オン・スルー」は、「偉大なファーストアルバムの偉大な1曲目」というお題があったら、確実に5位以内に入るであろう名曲である。つまりはビートルズの「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」と張り合うくらい素晴らしい曲だということである。
「ブレイク・オン・スルー」は、正確には「ブレイク・オン・スルー(トゥ・ジ・アザー・サイド)」というタイトルである。「向こう側に突き抜けるんだ!」である。この部分をシャウトするんだけどそれが実に素晴らしい。シャウトだけ取り出したら、世界で第1位になるだろう。曲が始まってしばらくしたら聴けるから聴いてみてよ。
ジム・モリソンは、この2分少々という短い曲の中で、4回「ブレイク・オン・スルー・トゥ・ジ・アザー・サイド」とシャウトしている。世界一すごいシャウトを4回聴けるのだ。
特に最初の「ブレイク」のところの「ブ」で、既に世界を打ち壊してしまっているのがすごい。ハードロックバンドでもシャウトするヴォーカリストはいるが、それとは意味合いが全く違うように聴こえる。このシャウトが60年近く経った今でも全くダサく聴こえないのは、現在でも有効な言葉であり続けているからなのだろう。
こんな凄い曲をA面のアタマに持ってきちゃってる(しかもデビューシングル)のがドアーズの恐ろしさである。さっき聴いてくれた人はどう思っただろう?かっこよくないですか?
問題はここからである。当然ライヴでもこの歌を歌っていたし、ライヴ盤にも残されている。当然ジムのこのシャウトが聴けると思いワクワクするはずである。僕もワクワクした。ところが、である。
ライヴでは、この部分をシャウトしていないのである。可能な限りのライヴ盤を聴いてみたが、全部低い声で歌っている。それどころか曲全体に漂っていた緊張感がない。どこかしら緩く感じるのだ。これはどうしてだろう?
↓↓↓ この動画はまだイケる。演奏もいい。ジムも最後の最後は頑張っている。でも人相がすっかり変わっちゃっているのはよく分かると思う。僕はここでのジムを見ていると悲しくなる。
〇想像その1:レコードでのジムのシャウトが凄すぎて、ライヴでは再現不可能だった。
→でも他の曲では、ジムらしいかっこいいシャウトを聴かせてくれる。他の曲でやってるんだから「ブレイク・オン・スルー」のシャウトもできるはずだ。
〇想像その2:ライヴを出す頃には、心の奥底ではシラケていたのではないか?
→心の奥底のことは知らないが、もしそうだとすると、他の曲での頑張りは一体どういうわけなんだろうということになる。
〇想像その3:僕は、ジムのシャウトについて勘違いをしていたのかもしれない。
→「向こう側に突き抜けるんだ!」という言葉は、勇壮である。この言葉に乗って僕らも「よっしゃ、いったれー」ってなった。しかし、前述したようにこの叫びは他のハードロックシンガーとは全く意味合いが違っていた。それはどういうことかというと、このシャウトは悲鳴のようなものだったのではないか?ということだ。
この想像は、ジムのコンサートでの様子や、その後のジムの人生を考えると合点がいく。この人は、いつもステージで酔っぱらいながら思いっきり悲鳴を上げていたのではないかと考えてしまう。悲鳴なら「向こう側に突き抜けるんだ!」という言葉は叫べない。
デビュー曲で「向こう側に突き抜けるんだ!」と勇壮に叫んだシンガーは、ライヴでは悲鳴を上げ続けるしかなかった。悲しいことである。しかし、その悲しさがまた僕の心を揺さぶる。こういったことを無意識に感じ取りながら僕はザ・ドアーズの音楽を聴き続けてきたのかもしれない。
ところで悲鳴を上げ続けるということは、一体どういうことなのかという問題が残る。これも想像でしかないが、ジムはデビュー後早くも色々なことに絶望していたのではないだろうか。そして想像その2で書いたようにシラケてもいた。更に自分でも分からないぐらい死に向かっていたのだ。ライヴでの彼は、死に向かって悲鳴を上げ続けたのだ。それを見ている聴衆は熱狂する。僕も熱狂する。何だかジムが可哀そうになってきた。
それでは。