先日読んだの本の話だが、文中「サーセン」という言葉が出てきた。しばらく何のことか分からなかったが、文脈から「すみません」のことだと推察した。
妻の帰宅後、「なあ、『サーセン』ってどんな意味か知ってる?」と聞いてみたら「当たり前やん」と返されてしまった。「あんた、今まで知らんだん?かなり珍しいんね」とまで言われた。「俺、『あけおめことよろ』で止まっとれんて」と言うとまたまた「いつの時代の話や」と返されてしまった。
そういえば元旦に妻と喧嘩(喧嘩ではないか。僕が勝手に腹を立てただけだ)したと書いたが、次の日の夕方には元に戻っていたし、冬休みは適度に会話できたと思う。
昨日の朝、妻は3時に起きてきた。僕も3時に起きて、いろいろな話をした。その中で「俺は振り返ると今まで・・・」みたいな話をしたので、今日はそれを書き留めておこうと思っている。
何かというと、僕の病気は大分前から発症していたのではないか、それでそのまま人生が進んでいったのではないかと最近思うようになったのだ。特に受験のたびに疲弊していったのではないかと思った。少し子ども時代のことを思い返してみよう。
今もそうだが、欲しいものには拘った子どもだった。勿論いつもいつも欲求が満たされるわけでもなく、その時は地団駄を踏んでいたと記憶している。その反動かもしれないが、自分でお金を稼ぐようになってからはバンバン自分の欲しいものを買っていた。今もそうだ。このことがひとつ印象に残っている。
受験の話は昔々記事に書いた。僕の父方の親戚はそれはもう男尊女卑な考え方をしていて、叔父からは「○○高校(地元で一番学力が高い高校)に行かんもんは男じゃない」と言い切って、僕にプレッシャーをかけていた。小学校時代はそんなもんかと思ったけれど、いよいよ高校受験という段になった頃僕は、勉強することがばかばかしくなっていた。心の中で「やってらんねーな」と思いながらも最後の最後に頑張り、○○高校に合格することができた。
しかし数年後には大学受験が待っている。これも高校受験同様に最後の最後に頑張って地元の国立大学に行くことになった。これで終わった。周囲の期待に応えたぞ。そう思った僕は、更に勉強をしなくなり、遂に留年することになった。家にそのことを電話し終わった時の解放感は大きかった。これで楽になれると思った。
欲しいものにはとことん拘り、嫌なことはとことんやらない。こういう極端な行動は、もしかしたら双極症の症状だったのかもしれない。しかし、これで終わったわけではなかった。就職が待っている。教育学部だったので、教員採用試験一択だ。その頃の倍率は驚異的に高かった。
採用試験の勉強を本気でしたことは残念ながらない。もう僕の受験エネルギーは尽きていた。どうして受かったのかは今でも謎だ。しばらく講師をしながら受けていたが、講師をしながら適当に生きていくのもいいかなと思ったら受かっちゃった。
その後教諭として働くことになるわけだが、もし僕が教務主任になり、やがては教頭試験のための勉強をしなければいけないとしたら、と思うだけでぞっとする。これも前に書いたが、きっとそれが嫌で病気が顕在化したという一面もあると思う。
というように受験というある意味人間をふるいにかけるシステムに対して僕はある程度家族や周囲の期待に応える結果を残してきたが、そのことは自分が考える以上に辛かったのではないかと思われる。
お前何言ってるんだ、社会はそういう風にできてるんだよ、甘っちょろいこと言ってんじゃねえという声も聞こえてくる。僕も確かにそう思う。思うんだけど、大いなる違和感を抱きつつ教員になったのも確かだ。
とりとめのない文章になったが、もしかしたら若い時から病気になっちゃっていたのかな。それと受験は関係しているかもしれないな、という話でした。
いよいよ冬将軍がやって来た。久しぶりに雪を見て僕はぞっとした。今僕は雪かきができるだろうか。身体じゅうボロボロなんだけど。
それでは。