昨日はとても疲れた日だった。そして社会復帰にはまだ遠いことを思い知った。そのことを書き留めておこう。
朝、ウォーキングから帰ってしばらく休んでいたら、学校から電話がかかってきた。不吉な思いを抱きながら電話に出ると校長からだった。僕が今一番話したくない人だ。(向こうもおんなじだろうが)
「診断書に、療養に必要な期間が書いていないから、病院に行って書いてもらってきて」と言う。この時点で頭がグルグル(悪い方に)回っていた僕は「・・・」と何も答えることができなかった。校長は業を煮やしたのか「だから診断書を学校に取りに来て」「病院に行って○月○日まで療養が必要と書いてもらってきて」と言われた。
学校に行くのか。この前やむを得なくて行ったけれど、僕が簡単に学校に行けると思っているのだろうか。僕は「今日病院へ行ってすぐに書いてもらえないですけれどいいですか」と尋ねると、「10月中には欲しいと教委は言っているの。だから来週の月火くらいに欲しいんだけど。それとも貴方が教委に持っていく?」と言われた。教委に持っていく?僕が?ほんとにそれでいいのか?
「分かりました。とにかく今日、診断書を学校に取りに行きます」とだけ答えて電話を切った。胸がドキドキし、頭がクラクラした。今日1日はこれで終わりだな。
そう思っていたら、数分後に今度は実家から電話がかかってきた。今まで僕のスマホに母から電話がかかってきたことはない。これはよほどのことだと思い、すぐに電話をとる。今僕が二番目に話したくない人だ。(←人間のクズだね全く)
どうやら防音工事をするらしい。そして家の権利関係のことで僕と姉の身分証明が必要らしい。すぐに工事関係者と電話を代わってもらった。僕の家に来てもらって写真を撮って免許証を見せればOKらしい。分かりましたと言って電話を切った僕はもう頭がパンパンである。
しばらくすると再び電話がかかってきた。母からだ。工事担当者と代わる。どうやら免許証を写真に撮って送ればOKということらしい。分かったと言って、すみやかに写真を送った。これで終わりだ。
しかしここで待てよ、と思った。僕は防音工事のことなんか知らないし、もちろん関係者に会ったこともない。そんな人に母の電話にとはいえ、自分の身分証となるものを送ってもよかったのだろうか。母は騙されていないのだろうか。
そう思った僕はすぐに電話をかけ、その旨を母に伝えた。母はダラダラと昨年から世話になっていること、だから心配はないということを話した。工事関係者に代わってもらい、同じことを言った。関係者の話を聞いて一応納得した僕だったが、どうにも座りが悪い。顔も見ていない人にいろんなことを託してよいものだろうか。
しょうがない、実家に行ってみるか。まだ家に工事関係者がいたらそれで詳しく話を聞ける、いなかったらそのままスルーだ。ダッシュで行ったら、見知らぬ車が停まっていた。ラッキー、まだいる。そして久しぶりに実家に入った。
そしてなんやかんやとやり取りをして何とか無事にこの件は片付けることができた。僕はもうへとへとだった。すぐに近くにある六可レコードに行ったら幸い開店していたので、ゆっくりとレコードを見ながら心を落ち着けた。次は診断書だ。
帰宅してもう一度心を落ち着けてから、学校に向かった。事務から診断書を受け取り、駐車場で病院に連絡をして、診断書を提出した。受け取りは月曜日になるだろう。僕は校長にメッセージは送らずに、もらったら学校に直接持っていこうと思っている。
そんなこんなで家に着いたのは15時過ぎだった。僕は遅い昼食を摂り、買ってきたビールを飲んだ。ビスケットも食べた。そしてブランキ―・ジェット・シティを聴き、荒ぶる心を更に高めて、ポール・サイモンを聴き、その心を穏やかモードに戻した。妻は今日飲み会でいないのでそれも幸いした。思いっきり音楽を聴いて、その後薬が効いてきたので20時30分に眠って午前2時前にスッキリ目覚めることができた。
というわけで、昨日したことは、実家に行ったこと、診断書を学校から取りに行き、病院に行ったこと、それだけだ。それなのに夕方にはへこたれていた。最初に書いたが社会復帰はまだまだ遠いと言わざるを得ないだろうと痛感した。
とか書いてると達兄ぃから先日の記事に対するコメントが来ていた。嬉しいことが書いてあったけれど、こんな時間まで仕事をしていたのか!と思っちゃったよ。ご自愛ください。
それでは。