今日ドジャース対パドレス戦はオフである。よって僕も自由な時間を過ごすことができる。それにしても昨日もすごい試合だった。何が凄いってダルビッシュ投手だよ。ドジャース打撃陣は、一筋縄ではいかないこのベテラン投手の手玉に取られた。圧巻の投球だったなあ。明日はどんな試合になるだろうか。ドジャース贔屓の僕としては打ち合いに持っていけたら勝機があるのではと思っている。
そういうわけで今日僕がしたことはただただレコードを聴くことであった。この「ただただ」というところが結構重要なんじゃないかと思ったのでこれについて書いてみたい。
最近の僕は、1枚のレコードを繰り返して聴き、そのレコードについての記事を書いている。これはやっていて面白いから、できる時にはこれからもやっていきたい。でも今日はやる気がしない。だから自分で聴きたいレコードを選んでそれを聴いている。
これがサブスクだったら、「ちょっと、あんた。いいブツがありまっせ」と僕にすり寄ってくるだろう。それに引き摺られて僕はそっちの方に行くかもしれない。それで、「いいじゃん、これ」となるかもしれない。でも今日はそんなのは嫌なのだ。
自分で判断して(いやそこまで大げさではないか)、レコードを選び、聴き終わったらもう一度聴くか他のレコードを選ぶ。誰からも薦められない。自分で何となく選ぶだけだ。そこが気持ちいい。自由な感じがする。
こんなのは昔だったら当然のことだったんだけどね。もしかしたら今の僕たちの生活はサブスクで薦められるのと同じように、色々なことを誰かに薦められて、それに従って動いていることがたくさんあるかもしれない。不自由なのにそれを感じさせない生活というかそんな感じで毎日を過ごしているのかもしれない。
僕が働いていた学校という場所では、自分で判断し行動することがかなり重要なこととして考えられていたが、今はそうではなくなっているのかもしれない。そういう考え方はさりげなく撤去されているかもしれない。そう考えると少し怖ろしくなる。誰かに何かを決められるなんてまっぴらごめんだ。
というわけで、朝からポール・サイモン2枚、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの「デジャ・ヴュ」、XTCのファーストとサードアルバムをただ何となく選んで聴いている。
今はXTCの「イングリッシュ・セツルメント」のA面が終わったばかりだ。これからどうしよう。ちょっと一休みするか。
さっきサブスクに対して嫌味なことを書いたから、いいことも書いておこう。なんと、なんとなんとあのザ・ルースターズの作品が一気に解禁となっていたのだ。知らなかったなあ。これは僕にとっては大きい出来事である。
ブランキ―・ジェット・シティにしてもザ・ルースターズにしてもそうだけど、やる時は一気にやるんだね。このシングルが?という作品までもサブスクで聴けちゃうのだ。さっきと違う意味で怖くなってしまったよ。
それにしてもどのような経緯でこうなったのか興味はあるな。大人の判断なのか、メンバーの判断なのか、どっちなんだい?
どうしてこういうことが気になるかというと、あとはヒロトとマーシーの作品群くらいしか未サブスク作品がないんじゃないかと思ったからだ。もしザ・ブルー・ハーツの作品群がサブスク化されたら、世間はざわめくだろうなあ。でもこっちはヒロトとマーシーがウンと言わないんだろうなぁとは思う。
そんなこんなでもう1000字書いちゃったので今日の記事は終わりにしよう。短くて言葉足らずだったけれど、俺結構重要なことを書いたような気がするぞ。言葉足らずなところはいつものことだししゃーないか。
それでは。「電気の武者」でも聴くか。