ある人に対して批判的な思い(「うん?これって・・・?おかしくないか?」)を持ったとする。僕は肝っ玉の小っちゃい人間だからその人に直接言うことができない。その結果自分の中で悶々とすることになる。その悶々ぶりをこのブログで書くことも多々あった。書いても解決に繋がらないので、そんな文章は言ってみればまあ愚痴だ。
こんな時には気をつけなければいけない。吐いた言葉は必ず自分に返ってくるからな。じゃあ貴方はどうなの?と迫ってくる。でも今日は書かずにはいられないぞ。
というわけで気をつけて書いてみよう!
授業をしている最中に教室に入ってくる校長よ。授業の様子を見に来るのは勿論全然構わないのだが、入った瞬間子ども達に「おはようございます!」と言って子ども達に「おはようございます」と言わすのは止めてくれないかな。こっちは真剣に授業をしてるんだぜ。流れがそこで止まるだろう?分かんないかな?そんなことする校長、見たことないぜ。
もうひとつあるよ。自分の意見ばかり言いたがる子に僕が「自分だけ分かればいい?それともクラスの友達も分かった方がいい?」と聞き、「クラスの友達も分かった方がいい」と答えさせて(←半ば強要)から、僕はみんな「〇〇さんはこう言ってるけど、みんなはどう?」(←またしても強要)と子ども達に聞いた時に、一番先に大きな声で「みんな!」と言うのを止めてもらえないかな。貴方に尋ねたわけじゃあないんでね。
あ、またひとつ似たような事を思い出したよ。子ども達に「〇〇先生に『きく』って漢字を習ったでしょ?どんな漢字だったか覚えてる?」と聞いた時に、「ハイっ!ハイっ!」と真っ先に挙手したこともあったな。一体全体どういう心算でそういうことするのかな?俺は子ども達に言ってるんだけど。全然理解できないな。貴方は学校を「楽しく」したいんだろ?そしてそれは「子どもたち自身で」創って欲しいと思ってんだろ?うーん、分からんよ。
僕が書写を担当しているクラスの担任よ。僕が5分前に教室に行ったら子ども達は書写の準備もしないではワーワー騒いでましたよね。それに対して何の声掛けもせずにチャイムが鳴ってから黙って教室を出ていくのはどういうことかね?僕は準備をしてない子ども達に1回怒ってから授業を始めなければいけないんだけど。しかもそれを2週続けるって一体全体どういうことなんだい?
こっちは級外なので45分間が勝負なんだよ。その最初の15分間を説教で始めることなんてしたくはないんだけどな。百歩譲って「子ども達の自主性を育てたい」と考えているのならその旨を僕に伝えてくれないかな。だったら対応の仕方も違ってくるんでね。子ども達に説教する自分が言うのもなんだけど、子ども達が可哀そうだよ。担任が一声かければ済む話なんだからさあ。来週またこんなことが起きたら、僕は授業をしないよ。そして貴方に説教するよ。
さてと。毒も(気をつけながら)吐いたことだし、少しは爽やかな話題にしなくちゃな。って言っても音楽の話だけど。
そろそろブライアン・フェリーについて書く時期が来たかもしれない。うん?お前はしばらく前に3日連続で彼について書いていたじゃないか?それからあんまり日も経っていないんけど、大丈夫か?という声が僕の頭の中で聞こえてきた。そうなんだよね。それは確かだ。でも確かブライアンの(ロキシー・ミュージック在籍時の)ソロアルバムは段々ボルテージが下がっているような気がするということも書いた気がする。それを修正しなくちゃ。
まずは、ディスコグラフィを書いておこう。
「愚かなり、わが恋」(1973)
「アナザー・タイム・アナザー・プレイス」(1974)
「レッツ・スティック・トゥゲザー」(1976)
「イン・ユア・マインド(あなたの心に)」(1977)
「ベールをぬいだ花嫁」(1978)
この間にロキシー・ミュージックとして5枚のスタジオアルバムを発表しているのだ。それも書いておこう。
「ロキシー・ミュージック」(1972)
「フォー・ユア・プレジャー」(1973)
「ストランデッド」(1973)
「カントリー・ライフ」(1974)
「サイレン」(1975)・・・1976年に解散を表明
「マニフェスト」(1979)・・・再結成第1弾アルバム
つまり、1972年から1979年まで11枚のアルバム制作をしていることになる。いやあ、働き者ですなあ。
それで、1枚目2枚目が素晴らしいことは書いた。そして3枚目の1曲目が素晴らしいことも書いた。それっきり僕はブライアン・フェリーを聴かなかった。でも最近ふと「ベールをぬいだ花嫁」を聴いたら、これがなかなか良かったんだな。そこでもう一度3枚目をよく聴いてみたらこれもなかなか良かった。こりゃ侮れんわいと思ったわけである。
ちょっと調べてみるか。
1枚目・・・どうもロキシー・ミュージックからブライアン・イーノが脱退したことが、ソロを作る契機となったらしい。「イーノはロキシーのイメージを担い、彼のシンセサイザーはバンドの存在を〈アート〉に推し上げていた。そんなイーノが不在となることで、バンドは大きな変革を強いられることになる。具体的にはより大衆への接近を図ること」(大意)で、その第1弾がブライアンのソロアルバムというわけだ。目論見通り英国アルバムチャートの5位を記録する。
2枚目・・・「『フェイズ2』に移行したバンドは成功を収め、音楽的にもヴィジュアル面でもコンセプチュアルなステージを展開するようになる」「音楽的にはこの2枚目のソロアルバムをもってロキシー・ミュージック及びブライアン・フェリーの〈ブランド〉を確立させる」(大意)
3枚目・・・1976年6月にロキシー・ミュージックは活動休止を発表。その年の9月にこのアルバムはリリースされている。最初はミニアルバムのような形で発表されたが、米国でロキシー・ミュージックの過去曲をセルフカヴァーするよう要請され、このような形となった。この頃には英国のエスタブリッシュメントに認知されつつあった。しかし、同時にパンクロックが勃興していた。英国の音楽シーンの大転換期の始まりである。
4枚目・・・初めてカヴァー抜きのフェリー自身のオリジナル曲で占められた作品。豪州、日本では好調なセールスだった。(「TOKYO JOE」が入っていたからかな?)英国ではパンク勢に押されてあんまりパッとしなかったみたいだ。
5枚目・・・モデルのジェリー・ホールとの蜜月関係が終わる(ジェリーをミック・ジャガーに取られた)。結構傷心のフェリーだったが「自分にできることは音楽しかない」と悟り、地元のミュージシャンを集めてセッションすることからこのアルバム制作が始まる。米国のミュージシャンを初めて起用する。チャートアクションは振るわなかった。またしてもパンクロックの嵐に負けたわけだ。
次の年(1979年)にロキシー・ミュージックは再結成される。これはみんなに受け入れられ、英国で最高7位を記録している。
資料を読んでみると、4枚目と5枚目が何となくしょぼい。でもしょぼいながらも僕はこのアルバム(特に5枚目の静かな感じ)は好きだ。
1972年から1979年までの怒涛の活動はそれだけでも凄いが、80年代に入っての活動も凄い。ちょっとだけ紹介するね。
1980年「フレッシュ+ブラッド」(ロキシー・ミュージック)・・・僕は大好き
1982年「アヴァロン」(ロキシー・ミュージック)・・・世界中がこの作品を受け入れた
1985年「ボーイズ・アンド・ガールズ」(ブライアン・フェリー)・・・これも大ヒット
1987年「ベイト・ヌワール」(ブライアン・フェリー)・・・ちょっと分からない
その後も着実にソロ作品を発表し続けているブライアン・フェリー。まだ全部を聴いたわけではないが、「自分にできることは音楽しかない」を実践している素晴らしいアーティストであることは間違いない。
去年の夏は全然ブライアン・フェリーブームが来るなんて思ってなかったんだけどね。彼はフェイドアウトしたもんだとずっと思っていた。JUNさんに教えてもらってこんなところまで来ちゃったよ。
明日から5連休だ。どんなGWになるかな?この前インプットするGWにしたいと書いたばかりなのに、そして今月も緊縮財政決定なのに僕はお金を遣うことばかり考えている。この5日、我慢できるだろうか?