hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

ジョニーといえばサンダース

今日はなぜか自分の仕事遍歴を振り返ってみたくなった。履歴書みたいに書くと以下の通りになる。

 

1.講師:4年間

2.A小学校:(6年)2年5年1年1年6年6年を担任

3.B小学校:(5年)4年4年6年5年4年を担任

4.C小学校:(3年)5年5年3年を担任

5.D小学校:(5年)4年6年6年5年4年を担任

6.E小学校:(2年)級外(算数少人数)、特別支援学級

7.B小学校:(6年)特別支援学級特別支援学級特別支援学級、級外(算数少人   

        数)、級外(算数少人数)、級外(生徒指導)

8.A小学校:(4年)級外(算数少人数)、級外(算数少人数)、級外(教科担任・ 

        社会)、級外(教科担任・社会)

 

異動6回で5つの小学校である。これは少ない方だと思う。A、B小学校は講師の時にも行ってるから3回勤務していることになる。勤続年数は講師時代も含めて35年だった。その内学級担任は19年間だ。これは短いな。こうして眺めているといろいろ思い出すことがある。

 

1.僕は大学を1年留年しているので、卒業した23歳の年から講師生活を始めた。当時 の教員採用試験は非常に狭くて、倍率は現在とは比較にならないほど高かった。最初の2年は1年間担任したけれど、あとの2年間は(ほぼ)学期ごとに学校が変わった。つまり、講師時代に7校経験したことになる。

 

7校目に赴任する前に間が空いたので、初めて海外旅行に行った(バリ島)。一番印象に残っているのがB校である。6校目だった。9月1日から12月初頭までという短い期間だったが、「正規の教員に負けない講師になってやる」と思ったり、一緒に組んだ先生の影響を受けたりした。仕事場が楽しかったのもここが初めてである。

 

2.まず、3年目に1年生を担任したことは大きかった。男性教諭で1年はなかなか持たせてくれない。3クラスあったからこそ実現したわけだが、最初に言われた時は大変戸惑った。当時は組合の力が大変強かったので、教職員で相談しながら担任を決めていた。それを草案として管理職に持っていって微調整をして決めていた。今では考えられないね。だから最初に言われたのは教職員同士の話し合いの場であった。心の中で「無理だろ?」と思いながらも、年上の先生の言うことに負けて了承してしまった。結果的には「1年生っていいな」と思って、翌年は自分から「もう1回やらせてください」と立候補をしたんだった。

 

1年生を2回担任してからは6年生を2回担任した。2回目に6年生を担任した時は、1つのクラスが学級崩壊状態になり、僕なりに「何とかせねば」と思い、6年男子を全員巻き込んで昼休みに野球をしていた。そのクラスの担任に物申したこともあった。そういえば、君が代日の丸の話を管理職に無断で子ども達にして呼び出された(注意された)こともあったな。この年に自分の学級経営ってこんな方向性なのかな?っていう手応えを感じた。

 

  2回目の1年生を担任した時に結婚した。3月に婚姻届けを出し、6月8日に結婚し、夏休みに新婚旅行(インド)に行った。

 

3.次は温泉のある地域の小学校だった。子ども達はかなり荒れているらしいという噂を聞いていたので戦々恐々としながら行った覚えがある。4年担任になったが、2クラスのうち、どちらの組を受け持つか相談する時に「盗癖のある子がいるクラスと言葉が乱暴な子がいるクラスのどっちにする?」と言われてビビった。結局盗癖のある子がいるクラスを担任することになった。

 

自分のクラスはまあまあ落ち着いてきたが、隣のクラスが大変そうで自分もどうサポートすればいいのか悩んだ。年上には何かと意見を言いにくいよね。A校でもそうだった。そう思うと、今自分は若者にどう思われているのか心配になってくる。

 

3年目に担任した6年生が僕史上最大の危機だった。もうクラスが壊れる寸前までいっていた。何とか卒業式までこぎつけることができたが、卒業式が終わった日の午後から僕は東北に旅に出た。そうでもしないといられなかった。それ以来、クラスは崩壊させないよう気をつけつつ、自分の考える学級作りを目指して授業に取り組むようになった。

 

5年目には昔の記事にもかいた「そうじの歌」「給食の歌」を作った。とても楽しい1年だった。

 

 

 

 

これは字数は少ないが、かなり精神的にツラい作業である。このまま書くと疲れるので、残りは気が向いた時に書くことにしよう。ということは、やっとタイトルの話にいけるのかな。

 

 

 

ジョニー・サンダース。1991年に38歳で亡くなっている。これだけでもうお分かりだろう。1990年代にこの若さで亡くなっているということは筋金入りのジャンキーであったということである(しかし死因は明らかではない、らしい)。そんなジョニー・サンダースのことを一度記事にしたことがある。その時はアコースティックな作品でもいいのあるよ、という内容だった。

 

hanami1294.hatenablog.com

 

今回何故彼を取り上げたのかというと、アップルミュージックに紹介されたからである。タイトルは「Finally Alone-The Sticks & Stones Tapes」。彼の作品に「So Alone」というタイトルの作品があるが、それと関係があるのだろうか。

 

僕の知っているカヴァーものでは「Bring It On Home」(←サム・クック?)とストーンズの「Wild Horses」「Dead Flowers」がある。ちゃんとストーンズもカヴァーしてたんだ。初めて聴いたよ。

 

「You Can’t Put Your Arms Around A Memory」という人気曲があるけど、2ヴァージョン収録されている。それを聴いて思ったんだけど、ジョニー・サンダースの声とギターはジャストなリズムより、揺れたリズムの方が似合う。ジャストなリズムの方はThe Courettesというバンドとやってるんだけど、後でソロの方を聴くと圧倒的にこっちの方がいい。なんかプライベートな響きがあるんだよね。

 

 

こっちがソロヴァージョン。やっぱりこっちの方がしっくりくるな。


www.youtube.com

 

ストーンズのカヴァーはアコギでライヴ演奏している。ジョニーの歌い方で、声で演奏していてただのカヴァーには聴こえない。


www.youtube.com

僕はジョニー・サンダースのしゃくりあげ唱法が好きだ。アコギヴァージョンだとそれが余計胸に染みる。

 

 

ああ、ジョニー・サンダースのことをみんな知っている体で書いてしまった。彼についてはまたいつか書くと思うから許してね。しゃくりあげ唱法特集をやってもいいかもしれない。最初はバディ・ホリーになるのかなぁ。あとはボブ・ゲルドフでしょ、アンディ・パートリッジもそうだな。ジョン・レノンもたまにやってたかな?ちょっと毛色は違うがジャック・ホワイトにも少し感じるかな。

 

 

というわけで記事をアップする時刻を過ぎています。今日は火曜日。あとは水木金だ!