hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

デジタル×逆転のシナリオ

日曜日に書いた落合陽一とオードリー・タンの対談の一部を今日は書き留めてみよう。久し振りの聞き書きである。

 

今の閉塞的な状況を打ち破る逆転の発想として3つのことについて話をしていた。今日は最初に出てきた人工知能(AI)の話題を再現してみよう。

 

 

ロボット、自動運転等、日常に使えるツールとして一気に日常に入り込んできたAI。まず大きな話題になったのは、文字入力だけで画像を作るAI。例えば「中世ヨーロッパを4K画質でファンタジー風に」というお題を打ち込んだだけで、絵画風の写真が瞬時に作ることができるなど自由自在。芸術は人間だけのものという考えが全く通じない時代が到来した。

 

→前に同じように音楽も作ることができる、と落合陽一は言っていた(実際にやってみせていた)。僕は違和感を抱いた、ようなことを書いた覚えがある。上のように文字入力だけで絵なり音楽を作るなりする場合ってわりかし、細かいことはどうでもいいから体裁を整えたい場合に限るんじゃないかなあ。

 

 

 

さらに世界を驚かせたのは昨年11月に登場した対話式AI「チャットGPT」。圧倒的なスピードで100万ユーザーを獲得した。例えば「愛とお金はどちらが大事だと思いますか」というような答えの難しい問題を問うてみても、わずか数秒で流れるような返答が返ってくる。

 

落合は、政府の会議でよく使うと言い、タンは世界中の講演でよく使うという。タンは「求められる内容が似ているので、いつも同じ語り口になりがち」「そこで最近は『チャットGPT』とラップバトルのように対話し、新しい語り口を生み出している」と話している。

 

 

→これは一日も早く使えるようになった方がいいのかな?と思わせられた。もう巷では人気なのかな?Siriに何かいつもと違うことを言わせたい、って思ってる人はこういうのは楽しくて仕方ないんじゃないかな?

 

 

AI市場がどんどん高まるにつれて、AIに人間の仕事が乗っ取られてしまうのでは、という声もある。

 

落合「(AIの知能は)今は(大学院)修士課程レベルだけど、向こう2,3年このペースで人が使うと博士クラスなものが出てくる。そしてAIが新しい発見をするようになる。大規模言語モデル(のAI)によって、サイエンスも法律も教育も変わる」

 

タン「私が特に注目しているのは、AIによってスケールが変わることです」「例えば、今身の周りにあるAI搭載のロボットというと、ロボット掃除機がありますが、AIがこの先どんどん高性能になれば、掃除機は家庭を飛び出し、例えば海岸全体や海の中、地球規模で掃除を行うようになるでしょう」「一体何年かかるのかと途方に暮れるしかなかった環境汚染もロボットが取り除いてくれるようになる」「1つ『使命』を理解できれば、細かく細かく行うことも、大きく大きく行うこともできる」「AIによって産業の在り方は一変し、どんどん成長していくと思います」

 

→「AIによってスケールが変わる」。さすが、タンの考えていることはスケールが違う。駄洒落じゃなくて。超巨大な掃除機か。でも、もしそんなものが生み出されたら、人類はますます怠け者になるんじゃないかなあ。

 

 

分からない、ついていけないと思う人たちについてはどう思うのだろうか。

 

落合「とりあえず毎日AIで遊ぶ」「そうじゃないと何をしたらいいの?とかいう頓珍漢なことを言い出す人が増えるので」「何をしたらいいのかなんて明確ですよ。使えばいいんですよ」「だってインターネットが出てきた時にインターネットが出てきちゃったらどうしたらいいですか?って(言っていた人がいる)。えーっ、今のうちにアマゾン作ればいいじゃないですかって思うじゃん?何で君はまた同じ過ちを繰り返してんの、みたいな」「人の躊躇する能力が高すぎる」

 

→最後の言葉に感銘を受けた。落合は相当今の日本人に苛立っているのだろう。同じようにいろいろなところで、いろいろな理由で日本人は苛立っている。スケールは違うが僕もだ。

 

 

どれだけ躊躇いを抱いたとしても機械によって便利になるのなら受け入れるべきだとする落合。ただその上での大きな懸念をタンにぶつける。それは遠くない未来、もっともっとAIが社会に浸透した時に子ども達に生じうるある「格差」のこと。

 

 

落合「(コードをAIに相談するレベルまで)たどりつけば自分で練習しながら上手くなっていけるじゃないですか」「練習して楽しくやっていけるようになった子はいいが、そうじゃない子はそうじゃない」「今、広がりつつあるエキサイティングな分野を『あまり面白くない』と思ってしまうかもしれない」「興味があるかないかに格差が生まれつつあるのではないか」「興味の格差によって収入も少なくなってしまう」「ここの差をどやって埋めていけばいいのか?」

 

タン「台湾の場合も最新のテクノロジーの導入を躊躇う人は多く、例えば5G接続ができたと喜ぶ人は、人口の10%しかいなません」「ただ逆に絶対生活を変えたくない、Wi-Fiなんて使いたくないと言う人も10%しかいません」「残りの70%以上はその間。何かきっかけがあれば使う人たちです」「子どもたちの多くもそうでしょう。彼らを分からないなら分からなくていいと放っておくわけにはいきません。それは分かっている側のエゴです」「では、どうするか?」

 

「ヒントになるのは私のおばあちゃんです。90歳ですがiPadも使えますし、Zoomの会議もできます。別に勉強したわけではなく、コンビニや薬局の人など、地域のコミュニティーの人に教えてもらって使えるようになったのです」「おばあちゃんは言っていました。『誰かが勉強したおかげでみんなが便利になるのはいいわね』って」

 

「みんなの役に立つ技術は、個人ではなく『コミュニティー』に馴染ませるのが大事なんです」「AIが特定の個人の仕事を『奪う』のではなく個人に押し付けていた負担が解放され、コミュニティーがまた1つ『楽になった』と考える。そうすれば子ども達もAIを駆使したい、もっとコミュニティーの負担を減らしたいと考えるようになるでしょう」「興味を持つ子だけが使うのではなく『みんながAIを使って当たり前』の環境に育てば、小学校に上がる前に自然と(AIの)使い方も身につきます。読み書きのようにね」

 

「読み書きは生まれてすぐできるわけではないですが、家や小学校など、まさにコミュニティーの力でできるようになりますよね」「今は個人主義の時代ですが、AIによってコミュニティーの価値はどんどん上がってくると思います。だってAIの得意技は『目の前のものを学習し、共通点を見つける』こと」「AIによって人と人とが互いに共感し合い、対立を減らすことができるようになるでしょう。ワクワクしますね」

 

→「『読み書き』のようにAIを使いこなす」時代が遠からずやって来るらしい。それにしてもタンがコミュニティーに対してあんなに期待しているのに驚いた。台湾にはまだ期待できる面があるということなのだろうか。あのタンが見誤ることはないとは思うが。日本ではもうとっくにコミュニティーという概念は崩壊している。新たにそういうものを作らなければならないから、宮台真司なんかが「助け合いの気持ちを育むべし」みたいなことを言っているのだろう。

 

とにかく刺激的な内容だった。この後も続けてみたい。

 

 

今日は穏やかに4コマの授業をすることができた。やれやれ、だ。