鮎川誠と僕

こんなタイトルを付けると、何やら特別な関係や思い入れがあったように聞こえるが、そんなこと言うと今まで書いてきた全部のアーティストが「〇〇と僕」になってしまう。でも何となく、鮎川誠だとこんな風に書きたくなるのも事実だ。過去記事で2回ほど彼について触れたことがあるが、ガッツリ書くのは初めてだ。過去記事とダブるところもあるが、今日はこのタイトルで挑戦してみよう。

 

なんてったって、僕は昔鮎川誠に似ていると言われたこともあるのだ。誰に言われたんだろう?今となっては定かではないし、当時顔が細くてサングラスをかけて髪の毛を立てていれば誰だってそう言われる確率は高かったように思う。でも彼に似ているって言われて嬉しくない人はいるだろうか?僕は密かに嬉しかった。

 

鮎川誠を初めて知ったのは殆どの人と同じようにシーナ&ザ・ロケッツの「ユー・メイ・ドリーム」(1979)からだ。シーナとおんなじくらいの割合でフロントに出てお喋りする鮎川誠の佇まいにまず痺れた。もちろん彼の朴訥な九州弁(筑後弁)にもノックアウトされた。ロックやってる人が方言丸出しなんて今まで聞いたことなかったのでそれはもう衝撃的だった。その確信的な態度からシーナよりも彼の動向に注目するようになった。

 

初めて彼の歌を聴いたのは何時だったのかは判然としない。でもシーナが産休に入って、ザ・ロケッツだけで演奏した鮎川誠名義の「クール・ソロ」(1982)が出た時は、一目散にレコード屋に行ったことを覚えている。家に帰ってすぐにこのレコードを聴いた僕は「これだよこれ、こういうのを聴きたかったんだよ」と思った。

 

鮎川のギターは勿論ロックを体現したかのような響きだし、それにあの声がのっかている。サイコーじゃないか。シーナには悪いなと思ったけど、このままずっとこれでやってくれないかな、と思ったくらいだ。この「クール・ソロ」は長らく僕の愛聴盤になっていた。CDになった時は速攻で買ったな。

 

だから僕が鮎川誠、と言ったらそれはもうこのアルバムで決まりである。曲でいうと「どぶねずみ」だ。

 

次によく聴いたのが、これもザ・ロケッツ名義で発表したアルバム「ROKKET SIDE」(1984)だ(ジャケットがかっこいい)。1曲目の「GET IT ON BABY」でまずノックアウトされる。この声で前向きなことを歌われると燃えるんだよな。

 

「ワントゥスリーフォー」という軽やか且つ力強いカウントからいきなり

 

♪部屋に閉じこもってばかりじゃ チャンスにも巡り合えないぜ

♪俯いてばかりいては お月様とは話せないさ       (「GET IT ON BABY」)

 

とくれば、あとはもう鮎川リリカルワールド路線にまっしぐらである。


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アルバムのことはもう1回あとで書くとして次はラジオでの彼の態度について書こう(前に書いた)。渋谷陽一の「サウンドストリート」にゲスト出演した時に、最初は彼のフェヴァリットナンバーを紹介するコーナーがあった(多分後半はシナロケのアルバムからの曲をかけたのだと思う)。そこで渋谷が「まず1曲目はイギー・ポップの・・・」と言ったところで僕は「おっ、イギーか。じゃあ・・・」と自分の知っている曲のうちどれかな、あれかななどと瞬間的に考えていたら「ファイヴ・フット・ワンです」と初めて聞くタイトルを紹介した。これも瞬間的に「うん?そんな曲知らんぞ」と思ったが、イントロを聴いた途端心を鷲掴みにされた。「なんてかっこいい曲なんだ」って。そして「鮎川誠、こんな曲を選んだんだ。すげー」と思った。

 

曲が終わった後に渋谷が「かっこいい曲ですね」と言うと鮎川は「でしょ?これはジェームス・ウィリアムスンちゅうギタリストがおって、そいつのプレイが最高にかっこいいんだ」ってことを例の九州弁で答えていた。その後も鮎川推薦の曲がかけられたが、残念ながら覚えていない。とにかくイギーの「ファイヴ・フット・ワン」が入ったアルバム(「ニュー・ヴァリュース」。ジャケットは知っていた)をすぐに買いに行った。ゲストを呼んだ時には、ゲストを呼んだくせにいつも自分のペースで喋る渋谷だったが、この時ばかりは鮎川誠圧倒的勝利の時間だった(このラジオ番組は「クール・ソロ」発表以前に出演したと思う)。

 

 

あと3つ、ライヴに行ったことと、好きな逸話とその後のソロアルバムについて書きたいけど書けるかな。ガッツリ書くって最初に書いちゃったからもう少しお付き合い願おう。僕も頑張る。

 

 

ライヴに行ったのは大学の時だった。どこかの学園祭だったと思う。僕はバンドのメンバー達と一緒にコンサートに行った。細かいことは覚えていないんだけど、ひとつだけハッキリと覚えていることがある。それは、「ああ、ドラムってこう叩くんだ」と思ったことである。そして僕はバンドのメンバーに言った。「なんかドラムの叩き方、分かったような気がする」と。メンバーは「おおっ!」と盛り上がった。僕の気分も盛り上がった。しかし、次の練習では残念な結果になってしまった。そう簡単にドラムの叩き方が変わるわけないよね。でもメンバーは残念な気持ちを表明したりしなかった。あの時は恥ずかしかったが今ではいい思い出である。

 

 

鮎川誠のインタビュー記事やテレビ出演の様子は結構チェックしていたと思う多分テレビでのことだと思うが、こんなかっこいいことを言っていた。

 

「どっかのデパートみたいなところでライヴをやるっちゅう時に、主催者から『もう時間がないんで1曲だけにして』って言われたんだ。その時俺たちは『OK、分かったよ』と言って『サティスファクションやろうぜ』ってメンバーに言ったんだ。そしたらメンバーが当意即妙の対応をしたんだ。つまりは『サティスファクション』を30分演奏し続けたってわけ(勿論九州弁で)」

 

この話を聞いた僕はやはり鮎川誠はかっこいいと思った。それにこんな茶目っ気を出されちゃあ主催者も怒れなかったんじゃないかなあ。怒りを直接ぶつけずにこういうスマートなやり方があるんだ、って勉強になったよ。

 

 

そんな鮎川がイギリスでウィルコ・ジョンソンと組んでアルバムを作るって言うから、「これはすごい作品になる」って期待したものだ。しかし当時の僕はウィルコ・ジョンソンの良さやロックンロールの名曲の良さをあんまり理解していなかった。聴いてちょっとがっかりした覚えがある。この「ロンドン・セッション♯1」(1993)というアルバムはその後パート2(1993)も出た。アップルミュージックにあるよ。今聴くとロックンロールの名曲をマナー通り演奏した素敵な作品だと思う。特にパート1の「ストップ・ブレイキング・ダウン・ブルース」がいい。これはロバート・ジョンソンの曲のカヴァーですよね?(違ってたらごめん)ストーンズもカヴァーしてたよな。あっちもいいけどこっちもいいぞ。

 

 

今度こそ最後にしよう。僕は忌野清志郎のことを事あるごとに「マンガ的だ」と絶賛してきたつもりだが、この言葉は鮎川誠にこそ相応しいかもしれない。あのルックス、あの声、そしてガンガンにギターをかき鳴らす鮎川。サンハウス時代からの名曲「レモン・ティー」みたいな性的ダブルミーニングの曲も鮎川がやると、可愛く聴こえる。これをマンガ的と言わずに何と言おうか。そしてマンガ的故に多くの人を魅了したのだろうと思う。あくまで僕の中ではそう思ってるってだけなんだけど。

 

 

今日は何だかもつれた糸を少しずつ丁寧に解きほぐしていくように文章を書いてきた。タイトル「鮎川誠と僕」に相応しい内容だったかは分からないが、こうやって彼のことを書き留めることができてよかった。もちろん聴きたくなったらまた聴くし、書きたくなったら書くだろう。でも今日のところはこれでお終いだ。鮎川誠、かっこいい人生を送ってきたじゃあないか。偉大なる先輩として尊敬させてもらうぜ。