hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

黄金の心を探している そして老いていく

今日は下の動画を見ていただきたいという、ただそれだけの理由で上のタイトルを付けた。

 

紹介しよう。ニール・ヤングの「ハート・オブ・ゴールド」(1971)である。

 

こんな歌詞から始まる歌だ。

 

♪生きていたい 与えていたい

♪僕は黄金の心を探す鉱夫 決してあきらめずに

♪黄金の心を探している そして老いていく

 

美しい歌詞じゃないか。58歳の僕にも突き刺さる。小林克也によると、この時期ニール・ヤングは反体制の旗手としてみんなから認識されていたらしい。それがこんなに真っ直ぐな歌を作ったもんだから評論家やボブ・ディランからは散々なことを言われた。しかしこの歌でニール・ヤングは(自身唯一の)全米1位を勝ち取ったのであった。

 

またこの時ニールは背骨を傷めていた。エレキギターを持てないニールはアコギを手にしてナッシュビルで「ハーヴァスト」というアコースティック且つカントリーチックなアルバムを作ったのであった。ニール・ヤング当時27歳の会心の作品である。それでこの動画だ。只々かっこいいニール・ヤングがここに映っている。

    ↓↓↓↓


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タイトルの話はこれでお終い。ここからが今日の本題である。題して「今では考えられないが」。じゃあ始めます。

 

 

先週の水曜日に不審者対応の避難訓練があった。僕は、不審者に直接対応する2人のうちの1人となった・・・。

 

 

今では考えられないその1 ~防犯システム~

 

 

思い返せば、2001年に起きた大阪の池田小学校での事件がきっかけだった。それを受けて全国の学校でいろいろな対策が取られるようになった。僕が勤務している地域では、児童玄関と職員玄関は常時施錠、来校者は職員玄関前のインターホンで用件を伝えてから学校に入る、というシステムになった。こうしなさいと決まったら実に速く動くのがこの地域の特色でもあった。当時は、今までと違い格段に手間がかかるようになったこのシステムに正直「邪魔くさくなったなー。世知辛い世の中になったものだ」と思っていた。それに表の玄関はそうやって用心していたが、体育館の入り口は開けっ放しになっていたりして、本気で侵入しようと思えばいくらでも侵入できたことにも疑問を抱いていた。

 

あれから約20年が経った。今ではインターホンでのやり取りなしで学校内に入るなど考えられない。長休みと昼休みに教職員が児童玄関を解錠し、時間が来たら再び施錠することも当たり前となった。そして不審者に対応するための避難訓練をすることも当たり前になっていった。

 

 

今では考えられないその2 ~2002年の避難訓練

 

 

2003年か2004年だったと思うが、当時の勤務校で不審者対応の避難訓練をすることが決まった。ある日僕は教頭から「hanamiさん、今度の不審者対応の避難訓練で、不審者と直接対峙する役を貴方にしたからよろしく」と言われた。目立つことが嫌いな僕は、「えっ!どうすりゃいいんですかね」とドギマギしながら尋ねると「今度警察の人が来るからその時職員全員で練習しましょう」とあっさり言われた。

 

 

練習当日。全員の先生が集まって刺股の使い方やら児童への指示の出し方などを習った。シチュエーションは、授業中に前の入り口からいきなり侵入者が入ってくる。僕はその人に対応しながら児童を避難させる、というものだった。

 

 

そして迎えた避難訓練当日。僕は突然教室の戸を開けた闖入者に対して冷静に言葉をかけつつ、机を動かして距離を取り、児童に手で後ろに下がるよう指示した。「早く救援が来ないかな」とばかり思っていた。更に闖入者が教室に入って来た。そこで僕は再び手で児童に教室から避難するよう指示した。ようやく来た救援の先生が闖入者を取り囲み、連行する所で避難訓練は終わった。

 

「今では考えられない」のは、こんな形で児童の前に不審者が現われるという避難訓練はしないということだ。これはあまりにも怖すぎる。訓練でビビって泣いてしまう児童もいた。だから今は不審者と児童が顔を合わせないような形で訓練をしている。

 

 

 

今では考えられないその3 ~2002年の服装~

 

避難訓練は月曜日だった。土日の間に、避難訓練のことをすっかり失念していた僕は、山吹色と紫色の縞のラガーシャツを着て、黒のスリムのジーンズを履いて登校していた。履物はクロックスみたいなサンダルである。今日避難訓練があると気づいた僕は「うーん・・・。まあいいか。しゃあない」と服装のことは考えないことにした。いやあ、今思い出しても赤面するな。しかし誰もそのことには触れなかった。そういう時代だったのだろう。

 

今、こんな服装で学校には来ない、というか来たら怒られる。改めて20年前はユルかったんだなあと思った。今では考えられない。サンダルもほとんどの先生が履いていた。今はかかとのあるズックが当たり前となっている(緊急時に対応できるように)。

 

問題はその後だ。この避難訓練の様子を地元の記者数人が取材に来ていた。そして僕が不審者と対応している様子をバッチリ写真に撮られた。次に日に新聞を見ると、その写真での僕はふざけた服装をした単なるあんちゃんだった。後で知り合いの先生に会うごとに必ず言われた。「hanamiさん、服装ダメすぎ」って。それはしばらく続いた。「(何かある時は)ちゃんとした服装にせねば」と少し思った。←いやいやそうじゃなくて、学校のロッカーに常備しとけばそれで済む話じゃないか、という話であるが

 

 

さあて、今日は快晴だった。いよいよ明日か明後日に大寒波到来である。

 

 

あ、先週の避難訓練だが、僕はひたすら聞き役に回るだけであった。もう一人が不審者と話し合い、あーだこーだ言いながら、上手く不審者を子どもと離れた部屋に誘導した。僕はただそれを見守っていただけだ。反省点は不審者対応している先生を後半一人にしてしまったことである。なかなか重大なミスをしてしまった。

 

今日は尻切れトンボな感じで終わるけど、こちらにも事情というものがあるのだ。

 

じゃあね!