「タイパ」・・・タイムパフォーマンスの略で、費やした時間に対する満足度を示した言葉。巷ではタイパを重視するため、映画などのコンテンツを倍速視聴する人も少なくないという。
この「タイパ」という言葉というかその姿勢に反応したのが映画監督の井筒和幸である。曰く、
「(倍速やシーンを飛ばし見したところで)何が分かるというのか。終生、勘違いしてしまうだけだ。逆効果で大失敗の巻だ。それこそ時間の無駄使いだろ。『時間』は神でさえ縮められない。この世の常識だ」
「そんなに余裕がないのか?何に追い込まれているんだ?『既読』『未読』ごときで、口喧嘩してる奴までいる。おかしいと気づいていないのか」
「登場人物を、こいつは敵か味方かだけで見てしまうのか。しかし、敵か味方かだけ探ったところで何も得ない。映画は他人の人生に付き合って、そいつがどこまで人間らしいかを見つめる装置だ。そいつが愚か者だろうがサイコキラーだろうが、そいつに入り込んでこそ見えるモノがある。結末だけ追って何が見えるんだ」
「手のひら大やパソコンでいい加減見していると審美眼も育つわけないのだ」
「生産性や効率化だけの価値観、ファストライフはますます人の思考を劣化させている」
「クズかマトモかだけで分けられてしまう、このドツボな社会を見れば、一目瞭然だ」
長くて申し訳ない。こちらもつい熱くなってしまった。あ、ヤフーニュースからの一部引用です。
音楽でもタイパ重視のためイントロを飛ばして聴く人がいるという。これについて僕も物申そう。題して「イントロが長すぎて素晴らしい曲」だ。今日はその素晴らしい曲を紹介することで、イントロ飛ばしをする若者に「このイントロを聴かずしてどうするのだ」とお説教してやろう。
1曲目はレッド・ツェッペリンの「The Song Remains the Same」(1973)だ。
のっけから尋常ではない疾走感。「なんだなんだ?何が始まるんだ?」と思わない人はいないだろう。そのまま聴き耽っていると、途中もうひと展開もふた展開もある。イントロ1分26秒の奇跡だ。これを歌から聴いても何の意味もないぞ。間奏で再びイントロの興奮がやってくる。この興奮はイントロを聴いているからこそ感じるものなのだ。
2曲目はロキシー・ミュージックの「Manifesto」(1979)だ。
単調なギターリフ、単調だがタイトなドラム、そして何やら僕に語りかけているようなベースで曲は幕を開ける。しばらくベースの独り言に耳を傾けていると、シンセが喋り出す。ベースもシンセも相手のことは構わない。しかしそれが絶妙なグルーヴを生み出している。とか言ってると何だ?サックスか?いい味出してるじゃないか。そして2分過ぎにギターも話し出した。さあこれから始まるぞ、という合図だ。その30秒後にはヴォーカルだ。曲の半分近くがイントロ(2分30秒)のこの曲で一旦は解散したロキシー・ミュージックが再始動する。タイトルは「マニフェスト」。出来過ぎじゃないか?くらいの名曲である。しかしこの曲に対する世間の評価は低いようだ。
3曲目はイギー・ポップの「Lust for Life」(1977)だ。
この曲は前に記事で取り上げた。嵐のようなドラムからこの曲は始まる。ここでまず聴く人は催眠術にかかる。楽しい楽しい時間の始まりだ。催眠術は1分11秒続く。歌詞は「俺は100万ドルの値打ちがある」というロック界屈指の名フレーズでも知られている。このドラムパターンは歌が始まっても続くが、催眠術にかかっている僕たちは気持ち良さしか感じないというわけだ。このスタジオ盤に収められているイントロのドラムを聴くだけでもこのアルバムは買いですぜ。
4曲目はザ・テンプテーションズの「Masterpiece」(1973)だ。
13分の超大作である。イントロは3分53秒。これ以上何を書けばよいのだ?やってることが高度だから、文字にする気も起こらない。繰り返し訪れるストリングスの嵐に気が狂いそうになる。気持ちが良いってことだ。それまで「マイ・ガール」等のヒット曲を出してきたコーラスグループがいきなりこんな曲を発表した。今までのヒット曲はいろいろな有名人にカヴァーされてきたが、この曲は誰もカヴァーしていない(僕の知るところ)。つまりはアンタッチャブルな曲なのだ。唯一無二の曲なのだ。聴く人に「13分損した」何て言わせないぞ、という気迫をこの曲には感じる。
5曲目はピンク・フロイドの「Wish You Were Here」(1975)だ。
よく分からないSE(ラジオの中での男女の会話)から曲は始まる。と、すぐにそこ(ラジオ)から流れてきたかのような質素な音でエレキギターが鳴り始める。ごくごく簡単なコードだ。一回しすると、よりクリアな音のアコギが絡みつく。実に味わい深いメロディだ。そしてもう1本アコギが鳴りだし歌が始まる。その間1分33秒。この歌は、気が狂ってしまった元メンバー、元リーダーであるシド・バレットに向けて歌ったものだと言われている(否定しているメンバーもいるが)。邦題は「あなたがここにいてほしい」。この邦題はバンド側が日本側に指定したものだそうだ。つまりはそういうことなのだ。そんな歌にこんなイントロを考えたのだ、残されたメンバーは。プログレバンドなのに何も小難しいことはしていない。それでも美しいものは美しいのだ。
最後はザ・フーの「Baba O’Riley」(1971)だ。
またしてもイントロ1分5秒の奇跡。シンセサイザー?だろうな。でも摩訶不思議な音だな。そしてこれまたシンセで不思議なメロディが絡みつく。そんな音に身を任せているうちにピアノが入ってくる。その数秒後には爆音でドラムスだ。シンセはまだ鳴り続けている。もう1回書くよ。シンセとピアノとドラムだ。これだけで至福の時間をザ・フーは作ったのだ。もしこの楽曲のイントロに被せて喋るDJがいたら僕は許せないな。僕以外にもザ・フーが作った奇跡の1分5秒を貴方のくだらない喋りでかき消さないでくれ、との抗議が殺到するだろう。最初から最後までシンセは通奏低音のようになり続けている。ジャケットを見ると、荒野にポツンと建つモノリスの周りにメンバー4人が立っている。その内2人は俯いている。何を思っているんだろう、とジャケットにも思いめぐらすことになるのだ。
以上が僕の推薦する「イントロが長する名曲6選」だ。全41分だ。どうだったかな?少しは説得力あったかな?6曲のうちどれにも引っかからないという人と僕はお付き合いする気は起きないな。タイパを考えると。なんちゃって。