hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

聞くと聴く、デモテイクとアウトテイク

只今の時刻は15時33分である。勤務中である。授業は午前に3コマした。僕としては全力でやったつもりだ。そこから何をしていたのか?何もしていない。12時半に給食を食べてそのまま自分の教室に籠ったまま何も仕事らしいことはしていない。テストの丸付け?おぅ、4クラス分あるぞ。明日の教材研究は?明日は大丈夫。問題は明後日の6年歴史の準備だ。それも明日、気持ちが追い込まれたらやればいいじゃないか。全く、気持ちいいほど、やる気というものが起きてこない。まあ、これが許される状況を作ってくれている人たちには感謝と申し訳なさしかないが。

 

だからせめてブログを書くことで頭を使うのはどうだろうと思い、タイトルを考えていたら上のようなタイトルが浮かんだ。

 

僕はこのブログではほとんどが「聴く」という漢字を使っている。「音楽を聴く」。うん、「聴く」でいいんじゃない?と思っている。しかし、仕事では「聞く」という漢字を使っている。あとの先生達は多分全員「聴く」という漢字をつかっているはずだ。ええっと、これは子どもに対して使う時のことです。「耳と目と心を使って聞く、それを『聴く』というんですよ」みたいな話をしてるんだ。昔は僕もそうだった。でもここ10年はその漢字は使わなくなった。何だかエモーショナル過ぎるのだ。ベタベタしているのだ。僕の考える「話を『きく』」ことはもっと技術的なものである、と思うようになってからはあえて「聞く」という漢字を使っている。

 

そんな 僕にとって、ちくま新書から刊行された「聞く技術 聞いてもらう技術」(東畑開人)というタイトルの本は買わねばなるまい、という本だ。よく覗いている教育ブログで紹介されていたものである。早速購入してさわりを読んでみた。

 

 

 

 

・・・やはり学校でブログを書くのは罪悪感を抱く。ちょっと職員室に行ってみるか。郷土カルタを返さなくっちゃ。そしたら教務がコーヒーを入れようとしていたので、そこに行き、さりげなく6年社会の進度を確認してきた。ちょっと気になっていたことなので確認出来てよかったよ・・・。30分だけ年休取ろうっと・・・

 

 

そしたら教頭と出会ってちょっと話すことができた。お互いツライことを話し合って少し気が晴れた。

 

 

じゃあ帰宅したことだし本のさわりをちょこっと書いてみるか。

 

「『聞く』が声が耳に入ってくることで、『聴く』は声に耳を傾けること」

「受動的なのは『聞く』、能動的なのは『聴く』」

「『聞く』は語られていることを言葉通りに受け止めること、『聴く』は語られていることの裏にある気持ちに触れること」

 

「それでは、『聞く』と『聴く』のどちらが難しいと思いますか?」「実を言えば、僕はずっと『聴く』のほうが難しいというか、レベルが高いと思っていたんです」「浅はかでした」

 

「つまり『なんでちゃんとキいてくれないの?』とか『ちょっとはキいてくれよ!』と言われるとき、求められているのは『聴く』ではなく『聞く』なのです」「言っていることを真に受けてほしい。それが『ちゃんと聞いて』という訴えの内実です」

 

「ならば、どうしたら『聞く』ができるのか、これがこの本の問いです」

 

キリがないからもう止めるが、これこそが僕の知りたかったことである。僕がなんとなく感じていたことをこの本は具体的に説明してくれている。これは読まなきゃ。

 

 

さてと、タイトルの前半は書いたぞ。次。後半にいってみよう。

 

僕は、デモテイク好きで、このブログでも何回も言及している。

 

デモテイクってなんて言えばいいのだろう、曲の骨子みたいなものだと思っているんだよね。たとえ最初のデモテイクがピアノで録られ、完成ヴァージョンがバンドでギターギンギンなアレンジになっていたとしても、僕にとってピアノのヴァージョンは記憶の底に眠らせたくないっていう感じと言えば少しはご理解いただけるだろうか。僕の興味は、何故、どのようにこの曲(僕が気に入った曲)は作られ、結果こういうアレンジになったのか、にある。だから曲のタイトルのあとに(DEMO)って書いてあると堪らんのですよ。

 

対してアウトテイクはどうか?これは正規のアルバムから漏れた作品である。つまりミュージシャンなりバンドはその曲を収録するに値しない、と判断した曲である。その曲が「幻の〇〇」なんて書かれていると、うーん、そうかなぁ、という気持ちになる。ただし何事にも例外はある。これも前に書いたがボブ・ディランである。彼だけは、アウトテイクで優れた作品をたくさん残している。逆にアルバムにさほどでもない曲が入っていたりすることも多々ある。中山康樹に言わせれば「ディラン、お前はバカか?」である。

 

そんな例外もあるが、やはりアウトテイクは所詮アウトテイクである、というのが僕の考えである。

 

今日はどうしてこんな話題にしたのかというと、ルー・リードの優れたデモテイク集が発表されたからである。今日はここまで書くのに2,000字かかった。もうこれを読んでさっさとYouTubeを観てくれた方が話が早い。

 

今回のデモテイク集は、ルーがアコギで作った曲が収録されている。もうそれだけで嬉しい。そんなの今まで聴いたことなかったぞ。ちゃんとアコギで作っていたんだ、という思いで一杯である。1曲目なんか始まってすぐに失敗して「ファック!」と言っているところまで入っている(僕のお気に入りの「パーフェクト・デイ」)。ヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代のもの、ソロの1作目2作目から「ベルリン」までが収録されているルー・リードマニア垂涎の内容だ(1971年に収録されたものらしい)。ルーのあの声とアコギだけのデモヴァージョン。生々しいよ。よかったら聴いて下さい。「パーフェクト・デイ」です。


www.youtube.com

「ファック!」は入ってなかった。