hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

付箋が嫌いなんだ

つい魔が差して本屋に行ってしまった。結果は勿論「これ欲しいな、あっ、これも欲しい」状態になり、6000円以上散財してしまった。昨日までに僕は教育書を4冊買い、妻から2冊借りた。そして今日、5冊の本を買った。一体いつ読むんだろう。いやいや、今月中に読むのだ!と今固く決意した。

 

それにしても本屋に行ってまず驚いたことは・・・。何とロッキングオンがちっちゃくなっていたことだ。ロッキングオンジャパンくらいのサイズになっている。一体いつからだ?こんなにちっちゃくして老人は読めるのか?しかも特集しているのは結成60年のローリング・ストーンズだ。こんなの買うのは50代以上の人だよ、きっと。大丈夫かな、ロッキングン。

 

そしてロッキングオンを手に取り、これ以上は買うまい、多分買わないだろうなー、でも一応チェックしておくか、くらいの気持ちで文芸書から新書コーナーを一回りしてみる。すると新書コーナーに成田悠輔の「22世紀の民主主義」があった。7月に発売されていることは知っていたが、YouTubeで散々観ているのだから買わないよ、ってな気持ちで素通りしたらまた、同じ本が目立つところに置いてある。これも素通りしたら、もう1回平積みしてあるのが目に入った。どこまでプッシュするんだ、と思いながら僕は店の戦略に負けてその本を手に取ってしまった。

 

もう帰るぞ、と思いながらも音楽コーナーを見に行った。性懲りもない奴だ。そこで収穫がないと見るやスポーツコーナーに足を運んでいた。ここにも見るべきものはない。やっと帰ることができると思った僕だが、そうだ、教育書も見ていくか、と思い(思ってしまい)、教育書コーナーに行くと、欲しいなと思う本がずらっと並んでいて困った。困って迷った挙句「目的思考で学びが変わる」「クラスに『叱る』必要はない!」という2冊を手に取った。

 

もう今度こそ帰るぞ、という時にまたしても「そういえば、いとうせいこう鴻上尚史の本は?」と思ってしまい、エッセイコーナーへ恐る恐る足をのばしてみた。よかった。どっちも置いてない。さあ、これで帰れる、と思ったところに村上龍の「賢者は幸福ではなく信頼を選ぶ」という本が目に飛び込んできた。村上龍か。最近どんなことを書いてるんだろう、と思ったらもう駄目だ。諦めてこの本も手に取り、計5冊をレジに持っていった。

 

いやあ、久々に出たなあ。本の爆買い。やはり本屋は僕にとって危険なところだ。でも絶対読むぞ。

 

 

というわけでやっとタイトルの「付箋が嫌いなんだ」について書けそうだ。これはどういうことかというと、あれである。子どもが持たされる算数ドリルや漢字ドリルに使われる付箋のことである。

 

子ども達が取り組んだドリルを提出する。それを先生が丸付けをする(最近は丸は付けずにバツだけをつける先生が多いようだ。僕は丸も付ける派である)。そして間違えたところのページに付箋を貼る。それを子どもに返して子どもはそれを直して提出する。OKだったら先生が付箋を外す、というシステムである。このシステムがどうも嫌いなのだ。このシステムが生まれてから先生はいつも付箋を大量に持つようになった。何時頃からこんなシステムが生まれたんだろう。かく言う僕も担任時代に使っていたからなんも言えないが。

 

それで、だ。間違えたところをすぐに直せる子もいるし直せない子もいるが、授業は進んでいくので直していない(あるいは直しても丸がもらえない)子どもはどんどん付箋がたまっていく。学力低位の子は付箋だらけのドリルをいつも持ち歩いているというわけだ。この姿は見ていて気持ちのいいものではない。もっと恐ろしいのは付箋いっぱいのドリルがその子にとって常態化しているように見えることだ。当人もそのヘンテコさに気づいてないっていうか。うーん、そこのところは本人に聞いてみないとよく分からないが。

 

それを持っていつどこに行くかといったら、給食の用意をしている時に校長室やら級外の僕のところに来るのだ。そこで教えてもらってやっと1,2枚付箋が外される。この作業に僕は何とも言えない徒労感を抱いてしまう。だって教えても分からないところは絶対出てくるもの。そんな時僕は、「ここは、いつかやろう」と言って勝手に付箋を外すか、「どうする?答え聞きたい?」と言って聞きたいと言ったらさくっと答え(というか解法)を言って付箋を外すことにしている。この子達にとって必要なことはホントにこんなことだろうか?と思いながら。

 

ここに至って僕はこう思ってしまう。「ドリルって絶対に全員が全部やらなければいけないものなのか?」と。ある人はこう言うだろう。「保護者がお金を払って購入しているものだから教師は責任を持って全部やらせなければいけない」。なるほど。理屈は分かる。でもね。付箋を外すために僕(たち)は子どもに教え込んでいるわけだが、そしてそれに徒労感を抱いているわけだが、子ども達にとってはどうだろう。「先生が教えてくれる。ありがたい。頑張ろう」と思っているのだろうか。只々ネガティブな回路が脳の中で出来上がっているのではないだろうか。そしてそれはさっきも書いたが本人は自覚できていないかもしれない。もしそうならこれってかなり罪なことだと僕は思う。

 

じゃあ、どうすればいいのか。そんなの簡単だ。「ドリルの問題には今の自分にはできない問題もある」と子どもが認識し、保護者にも理解してもらい、「だからズル(ずっとやらなかったり、答えを移したり)したり、先生が無理矢理教え込んだりしたるする」のをやめればいい。その方が精神衛生上いいんじゃないかなあ。と思う僕は多分今の学校ではマイノリティだ。世間の先生達はどう思っているんだろう。それともこんなことしてるのはうちの学校だけなのか?

 

だから僕は今では付箋を見ると、「うっ」と呻いてしまう身体になってしまった。悲しいことである。これが付箋が嫌いな理由でした。大体伝わったかな?まだ文章を書くリハビリ中なんでよく分からないところがあるかもしれない。分からなかったらごめんなさい。

 

 

 

 

そう言えばヤフーニュースを見て知った。今日はチャーリー・ワッツの1周忌だったんだ。本屋に行ってロッキングオンを買ったのもチャーリーが導いてくれたんだな、きっと。ロッキングオンから読むことにするか。それにしてもチャーリーが亡くなってから1年経ったなんて。時の経つのは早い。でもその間ストーンズはガンガンツアーに出ていたしな。凄いよ、ストーンズ

 

 

今日の夕食は、もやしとささみのサラダ、茄子とあげの和え物、ザーサイ炒飯である。腹減った。早く帰ってこないかな。