hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

冬眠日記その33 ~慣れないことをしてきた、の巻~

今日、初詣に行ってきた。我が家には初詣という文化はないのだが、黒龍神社、という有名な神社を教えてもらう機会があって、気にはなっていた。そうして学校に行って同僚と何気なく黒龍神社のことを話すと何回も行っていると言うではないか。しかもとても素敵な神社だと言う(どう素敵かはよく分からなかった)。都合よく僕の住んでいるところは、今日青空が広がる久しぶりのいい天気だった。これは行くしかないと思って午後から行った次第である。フィアット500初の遠出である。

 

高速で1時間弱走って、下道を15分ほど走ると神社が見つかった。平日だったので人はまばらだった。神社に行き慣れていない僕は、困ったので参拝客を待つことにした。するとすぐに若い女性がやって来たので、それとなくついていって(ストーカーに間違われないように気をつけて)真似をさせてもらった。

 

まず本殿(拝殿)で、この神社のお参りの仕方を確かめてから、その通りやった。その後、反時計回りに進むと「幸運の撫で石」があった。これは、同僚に教えてもらったので(「よく見回さないと見落とすよ」)、すぐに見つけることができた。「神様の使いと言われる小龍、蛇が彫られた医師は幸運と健康と豊穣を運ぶとされている」らしい。ゆっくり撫でてみた。前の女性は、どんどん先に進んでいる。

 

そして本殿横にある「石渡八幡神社」に行き、お参りをして、その横にある「願かけ石」のあるところに行く。これはちゃんと女性がするのを見ておいた。「千年前に九頭竜川に落下した隕石のかけらと言われています。願い事をかけて願かけ石の上にある石を3度打つと運気が上がると言われている」らしい。僕は無病息災を願い(←誰かに言ったらダメなのかな?)、丁寧に石を3度打った。

 

後で確認すると、ホントはこちらがさっきの「幸運の撫で石」より先だったみたいだ。まあ、そこは許してもらおう。次、「厄割り石」!

 

「素焼きの杯(1枚100円)に自分の息を吹きかけた後で、厄割り石めがけて割ります。盃に息を吹きかけることで、自分の厄が盃に移るとのこと」らしい。なるほど、厄割り石の周りには砕けた盃でいっぱいだ。僕もやってみた。しかし、何と僕の投げた盃は割れなかった。呪われているのだろうか。僕はそっと周りを見て、そっと割れなかった盃を取った。そして今度は力いっぱい厄割り石に叩きつけた。見事に盃は割れ、僕はホッとした。

 

家に帰って調べてみた。「当神社は『日本全国このパワースポットがすごい!』若月佑輝郎著で紹介されました」と神社自身が宣伝しているではないか。そして、「心をこめてお祈りすればあなたの«力»になってくれるでしょう。ぜひ、清純な心で訪れてみてください」と書いてある。もうお参りが済んだ後だけど、僕としては精一杯お参りしたぞ。

 

もう少し調べたことに頼ろう。「地元で『くろたつさん』と呼ばれ、親しまれている毛谷黒龍神社。厄除けや生命力の向上、子授け・安産祈願や商売繁盛の神社とされています」「九頭竜川の守護神として創建され、日本古来の四大文明の一つとされるお社であり、降魔調伏のパワーを授けてくれる神様です」「人生の節目に心の浄化としあわせ祈願の神社として崇敬され、邪気を祓い、«力»と«知恵»を授かり、願いごとが叶いますよう、またご家族が平安でありますよう祈られることをおすすめいたします」

 

うん。すごく不思議だけれど、素直に僕とその周りにいる人が穏やかに暮らせますように(さっきも書いた)、と祈ってきたよ。神社はとても緩やかに時間が流れている感じがした。神社初心者の僕だけど、気持ちが落ち着いたな。

 

それから、同僚は「龍の絵」のことを言っていた。けれど僕はすっかり忘れてしまい、拝むことをしなかった。もし拝めなかったらスマホに送りますよ、と同僚に言われているので明日お願いすることにしよう。どうも「この絵を見るために遠くから参拝に来る人もいる」らしい。惜しいことをしたな。

 

でも、でも、御朱印帳はちゃんと手に入れたぞ。4種類あって困ったがちゃんと自分で選んで、好みの御朱印を書いてもらった。3500円也であった。これから神社めぐりが僕のブームになるかもしれない。

 

というわけで、僕としては非常に珍しいことをしたので少し疲れている。疲れついでに、お気に入りのパン屋さんに行って、マフィンを買ってきた。もちろんスペンサーがらみの話である。(気になることに対してはなかなかシツコイ)

 

僕は火曜日に「ミスド」に行って、ドーナツを買ってきた。スペンサーの小説にはドーナツやマフィンを美味そうに食べる場面があって、もう我慢できなかったからだ。オールドファッションを食べて一瞬満足した僕だが、どうしてもマフィンのことが頭から離れなかった。それで今日の帰り道にちょうどそのパン屋さんを通るので、ここぞとばかりにマフィンその他諸々を買ったというわけだ。マフィンはまだ食べてない。これを書いたら食べることになると思う。

 

となるとやはり、スペンサーについて書き足りない気分になる。今日は「真相」という作品を引用しまくってこのシリーズの魅力に迫っていこう。何故「真相」を選んだのか?それは、どの作品も大体同じようなものだからである。そして最近読んだのが「真相」だったからだ。

 

まずは気の利いたセリフからいってみよう。

 

あれ?うーん、なかなか出てこないや。いつもなら、依頼人が来た時にとびきりのセリフをかましてくれるのにな。まあ、次の機会にするか。(まだ書く気満々である)

 

 

その代わりに少し、家族について言及しているところがあったので引用させていただく。

 

ポール・ジャコミン(以下P)「彼女が僕のガールフレンドかどうか訊いた、もう一つの理由を知ってるよ」

スペンサー(以下S)「父親的気遣いだ」

ポール「それ以外に。もし、彼女が僕のガールフレンドだったら、あんたは彼女を家族の中に温かく迎え入れなければならない。ところが、彼女は犬を怖がる」

S「おれの好む特質ではない」

私はまたパイを見た。一つはチェリイのように思えた。

P「もちろん、僕達は一般的な家族とは言えない」

S「家族をどう定義するかによる」

P「あんたとスーザンと僕?」

私は肯いた。

P「それにパール?」

S「もちろん」

P「ホークおじさんはどうなの?」

S「ホークおじさん?」

P「そうだよ」

S「おれは、ホークおじさんは、ホークおじさんが必要とする家族のすべてだと思う」

 

スペンサーは自ら「父親的」と言っている。そういうことなのだろうが、大変意外である。ポールの方はもちろんいろんなことを全部承知したうえで、「家族」という言葉を使っている。そしてスーザンと犬のパール、あろうことかスペンサーの相棒の、あの厳格なルールを持つホークまで「ホークおじさん」と言って家族と認定しているのが可愛い。やはりハードボイルド小説としては異様だ。

 

 

今日は最後に昨日書いたスペンサーのルールに関わることについての会話を引用させてもらって終わることにしよう。早くマフィンが食べたいからね。でも長いよ。誰かから怒られないかな。スペンサーが人を撃つ必要があったとはいえ、結構へたっている時にスーザンに深夜電話をかけた時の会話だ。

 

「酔ってるの?」

「いささか」

「私がそちらに行く必要がある?」

「いや、おれを愛している、ときみの口から聞く必要がある」

「愛してるわ。時折、全人生を通じてあなたを愛してきたような気がするの」

「きみは全人生を通じておれと知り合っていたわけではない」

「無意味な用語の指摘だわ」

「きみを愛してる」

「判ってるわ。なにかよくないことが起きたの?」

「何人か人を撃たなければならなかった」

「あなたは傷付いていないわね」

「そうだ」

「あなたはこれまでにも人を撃たねばならないことがあったわ。あなたがやってることの一部だわ」

「判ってる」

「しかし?」

「しかし、かくもつまらない目的のために撃つことはめったにない」

「真実?」

「真実という言葉は、時には実質以上によく聞こえる場合がある」

「それは認めるわ。でも、つまらない目的じゃないわ」

「それに、暴力行為」

「あなたは暴力的な男なのよ」スーザンが言った。「全人生を通じて」

「それがどんないいことなのだ?」

「いいか悪いかという事柄じゃないわ。たんにそうなの。あなたが今のあなたであるのは、あなた自身が明快に説明すらできない。一連の規範によって、それを抑え込んでいるからよ」

「ちくしょう」私が言った。

「それが真実であることはあなたも知ってるわ。たった今、いかに気が咎めようと、その一部はアルコールのせいだけど、あなたは自分の心の底では、まちがったことをしていない、と判ってるはずだわ」

「ことによると、それが自分に言い聞かせている嘘かもしれない」

「ちがうわ」

「はっきり、ちがう、と言えるのか?」

「私は精神科医よ。ちがう、と言うことを許されているの。それに、あなた自身がその目的なのよ」

「おれが?」

「そうよ。自分自身に対して誠実であろうとする、生涯の目的」

「それで、それはいいことなのか?」

「それが唯一のことなの。善か悪か。それがあなたの単純な実態だわ」スーザンの声から微笑が感じとれた。「それはそれとして、私はあなたに変わってもらいたくないわ」

「たとえ、おれが変わることができるとしても」

「それが、あなたはできない」

 

あー疲れた。スペンサーは、思いっ切りスーザンに甘えているな。そこが魅力でもあるけれど。

 

 

 

じゃあね、チャオ!