hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

冬眠日記その25 ~再びジョニ・ミッチェル~

只今午前1時。どうやらウイスキーを飲んで寝落ちしたらしい。思えば一昨年は毎晩リビングで寝落ちしていた。フローリングの床で寝落ちしていたのでいつも体が痛かった。今も体が痛い。どうしようか、今度は布団に入って寝てみるか。悩みどころだ。

 

 

 

結局布団で寝た。眠ることが出来た。どうも昨日から冬休み気分になっている。まあいいんだけどさ。

 

というわけで、再びジョニ・ミッチェルである。昨日は「ブルー」を聴いたが、今日はその前の「Clouds」(1969)を聴こうと思う。確か「青春の光と影」みたいな邦題がついていたような気がする。

 

1曲目「The Angel」を聴くとおおっ、これは・・・フェアポート・コンヴェンションか?くらいのナンバーだ。続いて直ぐに「Chelsea Morning」に突入する。この不思議なコード感は気持ちいい。1曲目と2曲目の感じだったら分かるぞ。3曲目(もういちいち曲名は書かない)のアルペジオも不思議な響きだ。

 

これは、うーんと・・・きっと曲というか曲の骨格というかコード進行が先に出来て、それにメロディをつけた感じがするぞ。そのメロディに歌詞をつけたのかな。もしメロディと歌詞が同時に生まれていたのなら、ジョニ・ミッチェルは本当に異次元の天才だ。

 

4曲目は普通の感じから始まるのが逆に変な感じである。もはやあの不思議なコード感がないと物足りなくなっている。ジョニ印のついた曲だが、今のところ最も聴きやすい。5曲目はどうなるのだろう。

 

5曲目はやはり変な感じの響きから始まった。あ、今までのところ全部アコギ1本である。変な感じはしても不安定な感じはしない。だって堂々と歌っているもの。このアルバムはもしかしたらジョニ・ミッチェル入門として適しているかもしれない。6曲目はジョニにしては分かりやすい。9曲目はいきなりアカペラから始まる。これも不思議なメロディだ。アコギなしで不思議感を出しているところがすごい。そのまま無伴奏で歌い切っている。最後の曲は大団円な感じの響きから始まる。何だか普通に聴こえるぞ。勿論歌声は素晴らしいが。普通に聴こえるということは僕がジョニ・ミッチェルに慣れてきたということなのだろうか。僕は前半が特に気に入った。レコードでいうとA面になるのかな。

 

1969年のこのアルバムから1枚挟んで(1970年の「レディズ・オブ・ザ・キャニオン」)1971年の「ブルー」になるわけだ。この「Clouds」も10曲38分で素晴らしい。本当にこの時期のアルバムは今聴くと30数分で聴くことができて気持ちいい。曲もそうだし曲数もそうだけど、長けりゃいい、数が多けりゃいいってものではないのである。

 

このアルバムを聴いた後「ブルー」を聴くとどうなるか試してみたいところだが、それはもう少しこのアルバムを聴いてからにしてみよう。

 

 

というわけで今日も昨日と同じ構成で書いてみようじゃないか。つまり、後半は僕の古い記憶編だ。昔のことももう大分書いてきたので、内容のスケールが小さく細かくなっているのは否めない。がまあ、書き留めておこう。ようし、何を書こうかな。

 

 

 

みなさんは地図模型というのをご存じだろうか。平野の部分から山地の部分までを切り取って少しずつ積み上げていく、あの地図のことです。触ると段々が気持ちよいあれですよ。学校で自分の住んでいる県の地図模型を作ったことのあるご年配の方がきっといるはずである。今は立体模型と名付けられているようだが、昔は紙で作っていたので滑らかではなくてもっとゴツゴツしたものです。そんなもの(地図模型)はもう今はないかもしれない。

 

僕の小学校には「地図模型クラブ」というのがあった。僕は5年生の前期は確か体操クラブだったから、後期に入ったのだと思う。多分自分の意志ではなく、地図模型クラブを担当していた僕の担任から勧められて入ったと記憶している。そして地図模型は僕を夢中にさせた。最初に作ったのは九州地方だった。これは業者が日本の各地方の地図模型を販売していたので(これもすごい話だ)、各自希望を取った結果、僕は九州地方を選んだというわけだ。

 

九州地方は面白かった。海岸線はゴツゴツしているし、山地もある程度あった。でも途中で周りの様子も気になりだし、こそっと見たところ、近畿地方も面白そうじゃないか、と思ったりもした。いやいやこれじゃいかん、九州地方に集中しようと気を取り直した僕は、とにかく必要な部品?を全部貼った。ここまでで白地図みたいな状態である。今度はそれに色を塗る作業が待っている。ここで個人の差が出た。僕は珍しくマメに色を塗り、かなり満足する作品に仕上げることが出来た。近畿地方の友だちは残念な結果になっていた。

 

これで地図模型の魅力にやられた僕は6年前期も後期も地図模型クラブに所属することになった。もちろん?クラブ長である。前期は何と世界地図に取り組んだ。大きさは九州地方の10倍はある大作である。よくこんなものを販売していたなと今思えば感心するくらいの大きさだ。

 

僕はそれが届いてからは狂喜しながら作り始めた。時間が経つのも忘れるくらいだった。既に夏休みに入っていた(つまり家に持ち帰って作っていたわけだ)。各大陸を制覇し、ヒマラヤ方面も制覇した時は、夏休みも終わりに近づいていた。この作品を夏休みの工作に出品しようとしていた僕は少し焦っていた。担任からも「大丈夫?間に合う?」と学年登校日の時に言われたが、僕はキッパリと「大丈夫です」と言い切ってしまった。

 

いよいよ色塗りだ。ここは広大な海から塗るか、と思い塗り始めたのだが、いかんせん海は広い。とうとう見かねた姉も色塗りに参加してくれた。しかしそれでも海は広い。色にムラが出てきてしまったのだ。少し気持ちが切れかけたが、ここで止めるわけにはいかないので、夜遅くまでかかり、何とか仕上げることができた。父がでっかいベニヤを用意してくれていたので、それに貼って学校に持っていった。持っていく時にいろいろな人にのぞかれた時は誇らしかったな。

 

いやあ、止まらなくなってきたぞ。もう二つ書きたいな。急ぐんで、よろしく。

 

後期は、自分のオリジナルの地図模型を作りたいと思った。そこで本屋に行き、等高線が書いてある地図をいろいろ物色して、「中国東部」を作ろう、と決めた。まず地図を広げる。ターゲットにした範囲にビニールを張り(これも世界地図くらい広かった)、そのビニールに極細マジックで等高線を書き写す。そのビニールを元にして白の薄い段ボール紙にカーボン紙を使って書き写す。それを切り、のりで貼っていくという壮大な作品だった。しかし壮大過ぎて途中で疲れ果ててしまった。結果は惨憺たるものだった。世界地図は長らく僕の部屋に飾ってあったけれど、中国東部はさっさと処分したような気がする。

 

最後だ。僕は中学生になっていた。やはりオリジナルは無理だと判断した僕は原点回帰だとばかり、自分で販売店を探し、直接交渉した。「近畿地方の地図模型が欲しいんですけど」「あー、ごめんね。地方ごとの模型はもう発売してないよ」うん?「じゃあ、どんなのを取り扱っているんですか?」と聞いたらあったよ。一つは「白山の地図模型」、もう一つは「河岸段丘やら扇状地やらいろいろな地形を盛り込んだ地図模型」だった。これは買わねば、と即決して二つとも購入した。

 

それからは、気持ちよく二つとも作り、マメに色を塗り、満足いく出来栄えになった。

 

後日譚がひとつある。中1の夏休みにクラスで登山することがあって、何かひとつプレゼントを用意しておけと担任から言われていた。そんなものを考えたくもない僕は仕様がないので、泣く泣く「白山の地図模型」を持っていった。結果それを受け取ったのは女子で「いやや、こんなの」と叫んでいたのをよく覚えている。その女子は中3で僕に指輪を渡した例の女子である。どう?ちょっとは繋がったでしょ?

 

「いろいろな地形を盛り込んだ地図模型」も長らく僕の部屋に飾られることになった。でも「白山の地図模型」は勿体ないことをしたと今でも思っている(執念深い・・・)。

 

 

すごい。地図模型でこんなに盛り上がれるなんて、思いもしなかった。明日は何を思い出すのだろう。

 

 

今日はすんばらしいほどの快晴だった。僕は、時候の挨拶なんてしないと昔書いたことがあったが、最近は雪がああだとか、晴れてこうだとかちょこちょこ書くようになった。歳とったのかな。さすがに昨日は冬至で・・・とかは書かなかったけれど、天気を気にするようになったのは確かだ。