hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

真人間になりたい ~エイミー・マンを聴きながら~

僕が今でも愛聴している曲に筋肉少女帯4枚目のシングル「踊るダメ人間」(1991)というのがある。1題目はこうだ。

 

♪子供騙しのお唄を唄って そこそこ人気もある僕だけど

いつも心に仮面の男が 灯台の上で僕に叫ぶのさ

«おごることなかれ お前の思い言ってやろう»

ダメ人間はびこるこの世 マイト一発!爆発させてえ!(3 2 1 0!)

 

※ダメ ダメ ダメ ダメ人間

 ダメ!人間 人間

 

 

それから2題目、もう1回サビと続き、こう歌っている

 

 

♪«踊ってる場合か! お前の思い言ってやろう»

 この世を燃やしたって 一番ダメな自分は残るぜ!(3 2 1 0!)

 

 

♪おーダメ人間として 生きるおろかさを あまねくすべての人に伝えたい

 そしてダメ人間の王国をつくろう 王様は僕だ 家来は君だ

 

♪ダメ― (それでも生きていかざるをえない!)

 

 

何といってもサビ(※)が盛り上がるったらない。車の中で歌うには最高だ。

 

この歌について更に詳しく考察をしていくと面白そうだが、今日はやらない。

 

この歌が好きな僕だが、何故だか今日(火曜日)、「ああ、真人間になりたい」と思ったのだ。それで真人間ってなんだろう?と考えている時にこの歌を思い出したというわけだ。真人間の反対ってダメ人間なんだろうか?

 

「心に仮面の男」がいる人間は、真人間とは言わないのだろうか。いきなりの難問だ。僕の心の中には何人も仮面をかぶった男がいる。もう自分の素顔がどれなのか分からないくらいだ。その仮面は自分では隠しているつもりだけど、既に顔に出てしまっているだろう。

 

真人間になりたいのならば、「心の中の仮面の男」を一人ずつ消さなければいけないのかもしれない。一番問題のある仮面男は「し過ぎる男」だ。この男は長らく僕の心の中に棲みついている。この男とは上手く共存するしかないという思いもあるが、いろいろな部門で「し過ぎる男」が顔を出すので、せめて出現する場面を減らせば真人間に近づくかもしれない。

 

次に問題がある仮面男は「分かった風な顔をする」だ。特に仕事の最中に現れる。この男のおかげで僕は何とか分からない事も分かった風に誤魔化すことができるが(つまり体面を保っていられる)、そのことで事態を正確に把握したり、物事の本質を掴むことができなかったりしている。これは今からでも遅くはない。こんな仮面は外してしまうに限る。

 

 

ダメ人間から離れて真人間のことについて考えてみよう。例えば「真摯な人」というのは真人間なのか?これも難しいな。僕は仮面を被りながらも自分の興味のあることには真摯である(←自分で言うかね)。何も真人間だけが真摯なわけではない。一応「真摯」の意味を調べとくか。

 

真摯とは、まじめで熱心なこと。またそのさま。「―な態度」「―に取り組む」とgoo辞書に書いてある。ほら、これは仮面を被ったままでもとることができる態度だぞ。僕のイメージする真人間に「真摯」は入っていない。

 

 

「こんな人は(あるいはこんなことをする人は)真人間じゃない」という風に考えていけばどんな人間になりたいかはっきりするかもしれない。もう少し具体的に書くことができればいいのだが。

 

思い切って先日の車購入の件について書いてみるか。僕は購入するにあたり、キャッシュで一括払いをした。これは真人間のすることだ。分割で支払う人はそうではない。僕の中ではこんなイメージだ。つまり「何かを保留した状態」の人は真人間ではないという風に思っているわけだ。今の僕の中では。えらく具体的になったので異論反論はあると思うが、僕は勝手にそう思っている。書いていて気づいたよ。僕はこれから「保留しているもの」をひとつひとつ片付けなくてはいけないのだ。そうしないと真人間に近づくことは出来ないのだ。

 

こんなことを話題にするのは、前に「僕は人でなし」について書いたからかもしれない。とにかく「保留しているものを片付ける」だ。ああ、気が重い。

 

 

というわけで(例によって話は全然変わる)、エイミー・マンである。エイミーももう随分と歳をとっているはずだ。調べてみるか。1960年生まれだから61歳だ。僕が彼女のアルバムを買ったのは2004年のライブアルバムだから、かれこれもう17年の付き合いになる。ビジュアルの美しさは今もきっと保っていることだろう。その後、2005年、2008年、2012年、2017年にアルバムを発表しているが、僕はそれ以前のアルバムに収録されている曲を好んで聴いていた。アルバムでいうと2002年に発表された「ロスト・イン・スペース」だ。曲でいうと「ハンプティ・ダンプティ」「ハイ・オン・ザ・サンデー51」「ロスト・イン・スペース」「インヴィジブル・シンク」だ。そしてビートルズのカバー曲「トゥ・オブ・アス」(映画「アイ・アム・サム」のサントラから)、映画「マグノリア」に収録されている「ワン」「セイヴ・ミー」などだ。これらの曲にはしっかりと「エイミー・マン印」のついたメロディがある。

 

この声とメロディで「ああーエイミー・マンだ」と思うことができる名曲ばかりだ。しかしながら2005年、2008年、2012年のアルバムには今一つのれなかった。ところが2017年に発表された「メンタル・イルネス」は、今までの「エイミー・マン印」がくっきりとついた楽曲ばかりで「これだよ、これ」と思い、よく聴いていた。調べたら第60回グラミー賞で最優秀フォーク・アルバム賞を受賞している。そうか、世間もやはりこういうエイミー・マンを望んでいたんだな。

 

それでニュー・アルバム「クィーンズ・オブ・ザ・サマー・ホテル」である。4年ぶりのアルバムだ。ビリー・ブラッグの方を先に聴いていたので、その余韻のままこのアルバムを聴き流していたら(15曲40分)、何回目かで「うん?」と思った。何かいつもと様子が違う。

 

ちょっと調べて引用させてもらうよ。

 

エイミー・マンは以前、映画『17歳のカルテ』の原作であるスザンナ・ケイセンの自伝『思春期病棟の少女たち』の舞台版の音楽を担当することになっていました。新型コロナウイルスの影響で舞台版の計画が中止されたため、彼女はスザンヌ・ケイセンの自伝にインスパイアされた15曲を収録したアルバムを制作。この新作では、彼女の長年のコラボレーターであるポール・ブライアンがオーケストレーションを担当しています」

 

なるほど。しかし「17歳のカルテ」か、懐かしいぞ。ウィノナ・ライダーアンジェリーナ・ジョリーが出演していたな。

 

続いてエイミーはこう語っている。

 

「正直なところ、このアルバムを書いているときは、憑依されているかのような感覚だった。こんなに速く、激しく書いたことはなかったから。この曲の素材はとても興味深く、明らかに個人的なものでした。登場人物の背景には具体的なアイディアがあったので、自伝で語られている特定の人物を具体化するために、多くの共通の経験を取り入れました」

 

 

僕は、このアルバムを聴いて「エイミー・マンは変わった」と思った。何が?と言われると困る。しかし「新しいメロディを獲得した」とは言えると思う。こんな始まり方は聴いたことないぞ、と思いながらも途中で「ああ、エイミーだ」といつものメロディに着地する曲、最初から最後まで「新しいメロディだ」と思える曲、そしていつものエイミー節(ラストの曲なんかまさにそうだ)。こんな曲が混然一体となってアルバムを形作っている。ピアノが功を奏しているのかもしれない。ストリングスもまた功を奏しているのかもしれない。

 

僕は61歳で新しいメロディを獲得したエイミー・マンに心から敬意を表したい。そしてそんなことができるのは、日頃の鍛錬の賜物だろうと思っている。日頃の鍛錬こそが「真人間」に近づく第1歩かもしれない。