hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

今も変わらない味

かなり前に「尾道ラーメン」のことを書いた。これは大学時代から通っていたラーメン屋にまつわる話だったが、大学どころか、小学校の頃から慣れ親しんでいる味がある。これが今日のテーマだ。

 

僕の家はこれも前に書いたが自転車屋さんだった。しかし僕の住んでいた町の95%は、飲み屋だった。当然両隣は飲み屋だ。夜に寝ているとよく酔っ払い同士のケンカが家の前の通りで繰り広げられていて目を覚ましたものだ。朝起きると店の前がゲロまみれになっていたこともあったなあ。勿論酔いつぶれて道端で眠りこけていた人もいた。

 

ああ、それで思い出した。早速横道に逸れて申し訳ないのだが、中学の終わり頃から、世の中で「カラオケ」なるものが流行り出してきた。安普請の僕の家に、でっかい音量で下手糞な歌を歌っているのが毎晩聞こえるようになって閉口したものだ。それから、ヘッドフォンで音楽を聴きながら寝るようになった。そして大学受験の前日も賑やかな歌声と笑い声が聞こえてきた。ヘッドフォンを付けてもイライラして眠ることができない。

 

僕はヘッドフォンをむしり取り、着替え、家を出て隣の飲み屋のドアを開けた。そして大きな声で「明日、受験なんです。今日だけ静かにして下さい」と言った。自分でもビックリするくらい大きく凛とした声だった。一瞬キョトンとした客たちは、間を置いて「分かった分かった」と言った。家に戻った僕はこんなことをした自分に興奮して眠れなくなった。しばらくすると再び歌声が聞こえた。あの時以来僕はどうも「カラオケ」が好きになれない。

 

「慣れ親しんでいる味」の話だった。僕の家は商売柄か土地柄かよく分からないが、店屋物をとる家だった。かなり頻繁に。妻と付き合うようになってから「よく店屋物をとる家だねえ」と言われたものだ。僕はそれが当然だと思っていたので「ふうん。そうなんだ」とだけ答えていた。店は大体決まっていた。うどんだったらここ、そばならここ、とかね。それで中華料理だったら、というのが今回のお店だ。仮に「ミナミ」と呼ぶことにしよう。

 

この店で注文するのはもっぱら餃子と焼きそば、たまに炒飯だった。その味が当たり前だと思っていた僕は後年、この味の偉大さに気付くことになる。どれも美味しいのだが何といっても餃子だ。僕は、僕が住んでいる市一番の味だと思っている。もしかしらた県一番かもしれない。その座は今も揺るがない。

 

まず餃子の皮が他の店とは違う。もちもちなのだ。大体の餃子は皮が薄くてカリっと仕上げる店が多い。「ミナミ」は皮がもちもちでカリっと仕上げる。このもちもち加減はどの店に行っても感じられないものだ。そういえば1回だけあったな。インドでネパールの餃子と言われる「モモ」を注文した時に、妻と目を見合わせたものだ。「これは・・・『ミナミ』の餃子だよね」と。外国で「ミナミ」の餃子に出会えるとは思っていなかった。

 

1人前7個。生の餃子がたくさん並べられたトレイから餃子を取り出し、餃子専用のフライパン(?)に載せる。こまめに焼き色を見ながら火加減を調整する。これで外はもちもち&カリっと、中はジューシーな「ミナミ」の餃子の出来上がりだ。昔はにんにくが効いていて非常に美味しかった。でも翌日までにんにくの匂いを引きずるから土曜日に食べるようにしたものだ。

 

「ミナミ」の料理は長らく(小学校中学校高校大学そして就職してからも)店屋物として家で食べるもの、だった。だから店に行ったのは妻と付き合うようになってからだ(29歳頃かな)。初めて店に入った時は緊張したよ。「店に来ちゃいました~。この子は彼女です~」みたいな感じである。そして新たな「ミナミ」生活が始まった。

 

「ミナミ」の店の中は小汚い。「尾道ラーメン」に匹敵する小汚さだ。よくこの店に妻を連れて行ったものだ、というくらいだ。カウンター席のみで、それも5人も座れば満員だ。おとなしいマルチーズ(僕でも触れることができた)がいる。食べ物屋としてはあるまじきことだが、客はそんなに気にしていない。

 

店に行って食べるようになってから、餃子、焼きそば、炒飯以外のものも食べるようになった。レバニラ炒め、天津飯、中華飯、八宝菜、などなど。どれも美味しかった。コロナ禍で店に行けなくなった時は、テイクアウトをして食べていた。今もまだ店では食べていない。そろそろ行きたいものである。

 

という風に僕は「ミナミ」の味に惚れ込んでいるわけだが、1回だけ危機があった。それは大将が息子に跡目を譲った時だ。料理学校で修行してきた息子は当然張り切っていた。そして張り切り過ぎて味を変えてしまった。はっきり言うと味が薄くなった。メニューも何だかオシャレなものに変わってしまった。僕達は心の中で「うーん・・・」と思いながら、それでも「ミナミ」の餃子を食べていた。餃子だけは、味を変えていなかったからだ。

 

そんな客達の様子を見ていたのだろう。引退したはずの大将が再び前に出たようだ。それは店に行かなくても味ですぐに分かった。息子は悔しかっただろうな。でもやっぱりこの味なんだよなーと思いながら、再び僕たちは餃子と焼きそばと炒飯を注文し始めた。

 

息子は僕の1こ下くらいの歳でとてもシャイだ。例によって僕は息子と気軽に喋り合うことはできなかった。でもある日意を決して僕は息子に話しかけた。「タウン誌とかに紹介されてないけど、声はかからないの?」と。息子は恥ずかしそうに笑みを浮かべ「うーん、声はかかるけど、邪魔くさいから・・・」と言った。息子に対する好感度はその日以来ぐんとアップした。それからは、少しずつだが話をするようになった。こうして「ミナミ」は知る人ぞ知る中華の名店として栄えていった・・・。

 

今はさすがにSNSの時代だから「ミナミ」の名店っぷりはネットでどんどん拡散されているようだ。しかし、(しばらく顔は見ていないが)息子や大将の態度は今までと少しも変わっていないと断言できる。

 

ああ、それから「尾道ラーメン」との共通点がひとつある。それは「味にブレがある」ということだ。どちらの店も僕だけのために作る時と、何人前かいっぺんに作る時がある。当然だ。いっぺんに作っちゃう時は、「ああ・・・今日は残念な日かもしれない」と思う。そしてやはり残念な味になっている確率が高い。そんなの名店じゃないじゃないかと言われそうだが、客たちはみんなそれを了解して食べている。だからそれでいいのだ。味にブレがあっても美味いもんは美味い。僕たち客にとって名店は名店だ。なくなったらとても困る店だ。

 

しかし、6,7歳から50過ぎた現在まで(ほぼ切れ目なく)慣れ親しんでいる味っていうのもそうはないよなあ。我ながら驚きだ。

 

土日のどっちかに行きそうだな、こりゃ。