師匠を探している

「マディがまだ十代の頃のヒーローは、なんといってもロバート・ジョンソンであり、ロバート・ジョンソンの先生とも言うべきサン・ハウスだった」

 

エルモア・ジェームスはこのベルソニで、二人のブルースマンと運命的な出会いをすることになる。一人はロバート・ジョンソンであり、もう一人はその後彼が生涯にわたってつきあうことになる、詐欺師と言ってもさしつかえないようなハーピスト、サニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡである」

 

エルモア・ジェームスが十九歳の時にベルゾ二でロバート・ジョンソンに会ったのだとすると、当時ロバート・ジョンソンは二十六歳だったことになる・・・マディ・ウォーターズはこのとき二十二歳で・・・自分の音楽をクリエイトしていく上で必要なものだけをロバート・ジョンソンから学んだ、というところがある」

 

「或る夜、いつものようにマディが唇の端にシニカルな笑みを浮かべてジュークを出て行ってしまった後、ロバート・ジョンソンエルモアを呼ぶ。そして『ダスト・マイ・ブルース』を教えるのだ」

 

以上「ブルースマンの恋」山川健一著の一部である。彼が34歳の時に書いた本だ。こうやって彼はブルースが伝えられていくのだ、というようなことを書いた。文中に出てくる人名は全て偉大なブルースマンだ。

 

確かにサン・ハウスロバート・ジョンソンエルモア・ジェームス、マディ・ウォーターズと連綿と偉大なブルースマンが続いている。今もそうだ。

 

 

話は変わるが、僕は今、ユーチューブに夢中だ。「誰もが聴いたことがあるあの名曲のイントロ」「ギター・カッティングの仕方」「初心者が買うといいギターは?」「10分でブルースが弾けるようになる」等々ギターのことだけでも気が遠くなる。それに観ていて楽しい。

 

そのたびに「ああ、エアロスミスの『ウォーク・ディス・ウェイ』が弾きたい!」「カッティングって面白そうだな」「まずはブルースかな」などと未だ目標が定まらず、である。1回アコギでやってみればいいのにねえ。

 

偉大なブルースマンと現代のユーチューバーを比較するつもりはないが、見ている人はおんなじところを見ている。つまりは左手指と右手のピッキングだ。ユーチューブの画面も半分以上がギターと手しか映っていない。ブルースマンが誰かのブルースを聴くときは必ずその弾き方やチューニングに心を配るはずだ。つまり左指と右手だ。

 

つまり現代のユーチューバーはある意味サン・ハウスロバート・ジョンソンのような役割を担っているのではないか、と言いたいのだ。要するに口伝という形で誰かに何かを伝えるという意味でもしかしたらユーチューバーは現代のブルーマンなのかな、と思った次第である。

 

ロバート・ジョンソンを見つめる二人の少年はひたすら彼の両手を見ていたに違いない。そして家に帰って自分流にする力があったのがマディだ。エルモアは気持ちの弱さから?ロバートに「ダスト・マイ・ブルース」を教えてもらった。

 

今の僕もひたすら画面のなかに映る右手と左手を見ている。そうして早く自分の師匠となる人を探している。

 

自分の眼で演者のプレイを観るブルースマン。そういう僕に今はなりたい。なりたいのだが、情報が多すぎて誰を選べばいいのか分からない。まあ一人じゃなくてもいいのだけれど。

 

観る番組が決まって練習開始となった時にブルースマンのような関係をどこかの番組と作りたいものである。

 

 

今日は冴えないな。