hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

我慢できない

今日は昨日も書いたように朝から皮膚科、内科の病院に行ってきた。診断名(蜂窩織炎

)が出てホッともしたが、いろいろ検索しているうちに不安になってきた。「数日~10日の点滴で治癒するでしょう」と書いてあるが、「切開して膿を出す場合もあります」とも書いてある。

 

皮膚科の先生も同じことを言っていた。今現在僕の左肘は昨日より腫れ上がっている。パンパンだ。自分の体でこんな風になったことがないからついまじまじと見てしまう。

 

午前中で診察と点滴は終わったが、何だか体がだるいので思い切って午後も休ませてもらった。ただでさえ残りの年休が少ないのに今日の休みはかなりの痛手だ。でも気持ちと体は学校へは向かなかった。明日の精神科の診療も電話診療にしてもらうことにした。

 

その後は時々うつらうつらしながら音楽も聴かずにひたすらぼうっとしていた。そしてユーチューブでずっとギターのカッティング練習の仕方やらビートルズの名フレーズを弾いてみよう!みたいな番組をひたすら観て気分を盛り上げていた(勝手にエレキギターを買う気分になっている)。

 

というわけで、お前は何に我慢できないんだ、という話である。

 

それは「なので」である。喋り言葉の最初に「なので」と言うのはもしかしたらもうすでに日本語として認められているのか?問題である。問題にもなってなかったりして。

 

確かに「なので」が喋り言葉の最初に使われるようになってもう大分たつ。「お前、まだそんなこと言ってんの?」という声も聞こえてこないではない。しかし駄目なのだ。未だに僕は「なので」を最初に使う人に対してかすかにピリッとしてしまうのだ。

 

調べてみたらいろいろ書いてあるけど、今の僕には鬱陶しくてわざわざ得意の引用もする気になれない。

 

学校現場というところは言葉に敏感な場所であるはずである。少なくとも僕はそう思っていた。使う使わないは別としてこれは学校ではアウトだな、職員室ではいいけれど教室ではアウトだな、と言う風に使い分けてきた。

 

ところが今や「なので」は学校中を席巻している。僕より年上の人も(つまり管理職も)堂々と使っている。もちろん若い先生も。若い先生はともかく、年上の先生についてはいかがなものかと思う。だってその人にとってはつい最近出てきた言葉だよ。それをあたかも前から使ってましたよっていう風に使うのはどうなんだい?

 

百歩譲って(いや千歩譲って)年寄りに対しては勝手にしろと言いたい。しかし、今や子ども達は生まれた時から「なので」があるのだ。つまりどういうことが起きるかというと、ノートに書く文章に普通に「なので」と書くのだ。これが「我慢できない」。申し訳ないが気持ち悪い。これがジェネレーションギャップなのかな。いや、なんか違うような気がする。

 

学校で「なので」問題が話題になることはないのかなあ。きっと僕と同じような感覚の人もいると思うんだけど、その話題について語り合ったことは今のところない。

 

そうそう、「基本、・・・」も同じです。これはまだ大人が使う場面しか知らないが、公文書に平然と書いている管理職もいる。子ども達の書く文章に「基本、・・・」が出てくる前に定年退職したいものだ。勿論僕の使う日本語が全部正しいって思っているわけじゃないよ。

 

 

 

ああ、これも我慢できないから書いちゃおう。実はですねぇ、お客さん。この記事が499記事なんですよ。次書くと500記事になるんですよ。どんな記事になりますかねぇ。