リトル・フィートについては、若い時に「ディキシー・チキン」(1973)を購入したと記憶している。といっても働き出してからだが。例によってカタログ本からその存在を知って「よしっ」と思ったわけだ。
1曲目はタイトル曲「ディキシー・チキン」だったが、その時点で僕は無理矢理「この曲はいい」と思い込もうとしていた。つまり今一つノレなかったのだ。その後何回か挑戦したが結果は同じだった。
少し彼らに近づいたかな、と思ったのは仲良くなった知り合いから「ザ・バンド、いいよ。一時期すごくハマった」と言われたことがきっかけだった。ちょっと悔しかった。だってザ・バンドを貶す人なんていないんだもん。彼らの良さを知らない僕は置いてけぼりにされたような気分だった。その子(女性)がかなり年下だったこともあって、一生懸命聴いた結果、「ザ・ウエイト」他数曲が素晴らしい曲だということに気づくことができた。その勢いで「ディキシー・チキン」を聴くと、前より近づけたように思った。
ザ・バンドを体験してから再びその子がアラン・トゥーサンの「サザン・ナイツ」も紹介してくれた。これも大きかった。改めてリトル・フィートを聴くとあら不思議。「ディキシー・チキン」は名曲じゃないか。そのまま2曲目、3曲目とするすると聴ける、というか気持ちいいぞ、と思うようになった。
決定打はエルビス・コステロ&アラン・トゥーサンの「ザ・リヴァー・イン・リヴァース」(2006)だ。CDとメイキングDVDを観て僕はこっち側にも自分の足を突っ込んでおこうと決心した。コステロのブリティッシュっぽい味がちょうど僕の心をとらえたのかもしれない。「ギザギザ」したものをあまり聴かなくなった時期でもあった。スライドのバーを買い、スライドギターの練習に取り組んでみたりもした。
でも、両足をこの南部ミュージックに突っ込んだわけではなかったので、ほんとの気持ちよさというか優れた音楽性なんかには気づいていないのだろうと思う。しかし「ディキシー・チキン」10曲37分は至福の時間だ(「ウィリン」も好きだけど)。これは「勉強」によって得ることができた、と言えるだろう。
ザ・フーについて書く余裕がなくなった。どうしよう。フーのアルバムを初めて買ったのは高校時代で「フーズ・ネクスト」だった。1曲目の「ババ・オライリー」のイントロに痺れた僕は「ライブ・アット・リーズ」も買った。そこで僕のフー人生はストップした。
つまり僕は、「トミー」も「四重人格」も知らないのだ。全く知らないってわけじゃないけど。聴き込んだ覚えはない。こんなんででフーは語れない。
原因はヴォーカルにあった。ロジャー・ダルトリーの声が普通過ぎたのである。ストーンズのミックやキンクスのレイ・デイビスのように癖のあるヴォーカルだったら夢中になっていた可能性がある。バックはあんなにかっこいいんだから。
しかしそんな僕も、昨年リリースされた「WHO」は聴かねばなるまいと思って聴いてみた。何だか尋常じゃない緊迫感は伝わってきた。しかし緊迫感のある序盤の曲より僕の心をとらえたのは後半の9曲目「ブレイク・ザ・ニュース」だった。およそフーらしくないリリカルなナンバーだ(と思った。こんなタイプの曲もあるのかもしれない)。この曲のロジャーのヴォーカルは素直に聴くことができた。
それとデラックス盤についていたライブでの「サブステチュード」「ウオント・ゲット・フールド・アゲイン」がサイコーだった。ピートはどちらもエレアコで演奏していた。
実はザ・フーのことを本格的に気にし出したのは、ザ・ハイロウズの「14才」を聴いてからだ。この曲ってフーだよね?というかオマージュというか。リトル・フィート同様、ザ・フーもみんなが絶賛している。そして僕は未だ勉強中である。
リトル・フィートとザ・フー。この巨大なバンドの全貌を僕はまだ知らない。