hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

今、耳を作っているところ~テデスキ・トラックス・バンド~

若い時は好奇心いっぱいだからいろんなロック・ミュージックに馴染むことができた(そこに身を投じるのは最初不安だったけれど)。いろんな音や声に魅了され、どんどん世界は広がっていった。でもどうしても馴染めないな、というアーティストもいた。昔書いたが、ミック・ジャガーが最たる例だ。でも「世界中が絶賛しているローリング・ストーンズのヴォーカルの魅力が分からない?うん、だって気持ち悪いもん」という気持ちからなぜだか自然に「この声じゃなくちゃ!」と思う気持ちに変わっていった。若いって素晴らしいな。こんなことも起きるんだ。そして更にどんどんいろいろなアーティストを聴くことができるようになった。つまり「耳が(そのサウンドが心地よく聴こえるように)作られていった」のだ。

 

また、信頼できる友だちや好きな女の子から勧められた音楽も聴き、これについても同じように聴くことで耳が作られ、今ではなくてはならない存在になっている人(例えばビョークとか)もいる。30代くらいまではこんな感じで聴くアーティストが広がっていった。

 

ところが、40代になると、あんまりそういうことがなくなってきた。周りにはそんな人はいないし、音楽の話なんて一切したことがなかった。だから新しいアーティストを発掘するのはもっぱら雑誌からだった。と言っても昔ながらに「これに賭けてみるか」と博打買いをすることが若い時よりできるようになったという程度(要するに「大人買い」ですね)だった。

 

それで、50代に劇的に世の中が変わってアップルミュージックという優れものが登場した。僕が聴く音楽の範囲は再びどんどん広がっていった。

 

でも、なんだろう。なんか違うんだよなあ、と心のどこかで言っている自分もいる。自分がアップルミュージックで聴くのは、そのアーティストや分野(例えばブラック・ミュージック)についての資料的側面を知りたいという気持ちが強いからなのではないか?という思いが拭えない。これだ、こんなサウンドを待っていたんだ、という音楽を見つけ出しているか?という問いに対する答えは、うーん、ないことはない、けど・・・である。

 

でも、先日「ギタリスト三昧」で書いた「テデスキ・トラックス・バンド」はどうも違うような気がする。ここには宝が詰まっている、と僕の心の中にいる誰かが大きな声で囁いている。彼らを発見したのは、テレビで映像を観たからだ。結局目と耳を使って観て聴いて初めて僕の心に届いたのだ。

 

アナログなのかなあ。でも別にそんなことはどうでもいい。見つけちゃったんだから。

 

というわけでこの1週間はずっと彼らを聴き続けてきた。でもなかなか彼らの魅力を理解できないもどかしさもある。

 

2011年発表のデビューアルバム1曲目のイントロ24秒間の素晴らしさは今の僕でも分かる。2013年発表のセカンドアルバムの1曲目「Made Up Mind」の素晴らしさも分かる。どの曲か分からないが凄いギターバトルをしている気持ちよさも分かる。ヴォーカルの素晴らしさも分かる。

 

でももう一歩なんだよなー。50過ぎたら努力して耳を作らないといけない部分ってあるのかな。でも目の前に宝があることは分かっているんだから努力して当然だ。こんな僕に対して音楽なんてそんな努力して聴くもんじゃないでしょ、と言う人もいるかもしれないが。

 

などなどいろいろなことを考えながら「テデスキ・トラックス・バンド」を聴いていた1週間だった。彼らの音楽をいっぱい浴びて耳を作っていった。

 

あと、オールマン・ブラザーズ・バンドレイナード・スキナードなんかのサザンロックを通過しないと身に染みてこないのかな、とも思った。それこそ資料的な聴き方になるのかもしれないが。

 

次書く時は「テデスキ・トラックス・バンド」の素晴らしさをもっと具体的に書くぞ。