hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

どんとの煽り文句はサイコーだ

「どーもありがとー オーイエー オー せっかくあったかくなったのに 汗だらだらかいて 一人で帰るのはさびしいぞー イエー だけど 忘れちゃいけないのは 熱い心だぜ 楽しいばかりが人生じゃねえよ イエー俺たちの一番大事なのは 熱い心なんですけど みなさんにいちばん大事なことは な~にかなー それではいくぜ ダイナマイトに火をつけろー」

 

上の煽り文句は「BO GUMBOS LIVE at 磔磔 1988.07.11」というアルバム(バンド解散後にリリースされたデビュー前の音源)のコンサート本編最後の曲「ダイナマイトに火をつけろ」のイントロにのって「どんと」が客を煽った時のセリフである。イントロにのって何かしゃべらせたら、どんとは天下一品だった。清志郎の影響下にあることは間違いないが、素晴らしいものは素晴らしい。

 

「どんと」こと久富隆司は、1962年に岐阜県大垣市で生まれた。生きていれば58歳だ(そう、彼は若くして亡くなった)。京大に入学し、軽音楽部に所属しながらライブハウスに押しかけバイトをしてその後のバンド人生に関わるいろいろな人と出会うことになる。

 

「どんと」というのはその頃つけられた彼の愛称だ。少し日本人離れしていた顔立ちの彼をロッド・スチュワートに似ているという客がいて、「ロッド」→「どっと」→「どんと」となり定着していったらしい。

 

その後、「ローザ・ルクセンブルグ」というバンドを結成し、NHKのアマチュアバンド・コンテストに優勝、約1年後にレコードデビューを果たす。しかしながらローザは音楽性の違いから数年後に解散。その後1987年に満を持して結成したのが「BO GUMBOSボ・ガンボス)」である(1995年解散)。「ボ」は「ボ・ディドリー」の「ボ」、「ガンボス」はニューオリンズソウルフードの「ガンボスープ」からとられたこのバンドは名前が表す通り、黒人音楽、ニューオリンズ音楽に大きく影響を受けたサウンドを聴かせてくれた。

 

当時はタテのりのパンクが流行っていた中で、ヨコのりの音楽を演奏するボ・ガンボスはかなり異質な存在だった。しかし、こののりがクセになる人が続出し、だんだん人気が出てきた。代表曲は「魚ごっこ」になるのかな。レコード大賞みたいなテレビの番組で作曲賞か何かを獲ったのを覚えている。お茶の間にボ・ガンボスが出演するのは痛快だった。

 

その後、1990年に代々木公園野外音楽堂でフリーコンサートを開いたり、1992年にバンドメンバーの演奏する街頭パレードをしながら京都大学西部講堂前でコンサートを行ったりしていたがこの時期が彼らの最盛期だろう。

 

しかし、CDの売り上げが伸び悩み、カバーアルバムを3枚連続でリリースしたり、全曲新曲のライブ盤と、名曲揃いのライブ盤を同時にリリースしたりしたが、その頃には解散を決めていたようだ。1995年解散ツアーを行い、最後はラストDVDを出してボ・ガンボスとしての活動は終わった。

 

その後、どんとは沖縄に移住し、ソロ活動を始めたが、2000年1月27日にハワイで脳内出血で亡くなった。享年37歳だった。この日はじゃがたらのボーカル江戸アケミが亡くなったのと同じ日である(アケミは享年36歳)。2人の死を雑誌で知った僕は大きな精神的支柱を失って呆然自失となったものだ。僕はボ・ガンボスを生で観ることができなかった。とても残念なことである。

 

1995年にリリースされたベストライブ盤「ずいきの涙」の1曲目「ダイナマイトに火をつけろ」のイントロにのって彼は叫ぶ。

 

「ウーイエー みなさんこんばんは ボ・ガンボスでーす 今日はみなさん一緒に楽しいコンサートにして下さいよ ウーイエー にっぽんに住んでいるみなさんは 毎日毎日 このくだらない国の中で元気に生きていますかー? 今日はみなさんの人生の中でも特に楽しい一日にして 踊りまくってください オーイエー それでは こんな世の中に未練はないぜーっていう 若者の声を私が代弁して 歌わしてください じゃあいきます ダイナマイトに火をつけろ カモーン」

 

これを聴くと心が燃えるよ。それにしてもどうも即興で喋っているっぽいがどこからこんな言葉が生まれるんだろうというくらいかっこいい。