hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

「五味太郎はいかが?」

2月6日土曜日のETV特集五味太郎だった。彼の言葉を書いてそれについてのコメントを書くつもりが五味太郎語録みたいになってしまった。

 

「良い子のために良い絵本を(描こう)っていう思いは全くないからね」

 

「これ(「きんぎょがにげた」)描いた時も、結果子ども達が反応するやつが多かった。きんぎょかどうかよく分かんないんだけど、だからああそうですかっていう感じが(創った)こっちにあるんだ。この関係性が面白いね」

 

「きんぎょを創ったのにその気持ちが分からない。そうすると絵って不思議なことにある状況の中でなんかこいつ(きんぎょに)は意志に近いものを持って動いてるなあっていうのが明らかに分かるわけ。だから次どこ行こうかみたいなのが(生まれる)。だからそれは作者ときんぎょと二人でやってる感じ。『次どこ行きましょうか。ドアから出ますか』みたいな。で、まあ次も部屋あるでしょ。そして少し隠れ方凝りましょうかって」

 

「それをやり取りしながらやってる創り方。これは今も一緒。」

 

 

 

「絵本とか表現のルールとしてはそれは読み手個人がやる仕事だよね、っていうのはある。」

 

「つまり、51%のイニシアティブがあって、つまり出版っていうのをやって49%は読み手の仕事なんだよね、よろしくお願いしますねっていう感じは物凄く持ってる。それを一番気楽に『あったりめえじゃねえか』って言って引き受けるのがガキどもだよ。つまり彼らは社会的なテクニックとして寄り添うなんてこと、まだしてないから自分の読み方で入ってくるよね。だから自分なりの解釈をするよね。それはだから素晴らしい読者だよね。(それ)でその辺の微妙な感じがもうたまんないよね。」

 

 

 

「でもオレもうガキの頃から違和感との闘いだったような気がする。小学校なんか、違和感の巣窟だよな。なんでみんな座っているんだろう、なんでみんな並んでいるんだろう。で、なんであの人がこっちに向かってこれ覚えろとか言ってんのかなあ。」

 

「何してんだろうなあっていうの、すごく思ってた。その違和感がちょっと今マイナーな言葉で使っているけど、オレはそれ、わりとこう違和感こそ個人だって感じもあってね。自分があって周りに対する違和感てのが、それの調整なり理解なりあるいは距離感なりがその人の生き方なんじゃないかなあ。」

 

「そういうのに対してわりかしスタミナあんだよなあ。心のスタミナが。この違和感は何だろうってずーっと(考えている)、それは楽しいんだよね。あるとこまで行ったら逃げちゃえばいいっていうのがあるから」

 

「教室の中でこんな天気がいいのにみんな何してんだろうっていう違和感があるわけじゃない。そうすっと逃げちゃえばいいんだよ。」

 

「絵本っていう手段の中で健闘できるよね。その違和感について、ちょっとストーリーメイクしてみたりさ。そのうちにこの違和感はそういうことなんだって気がついたりするようなこといっぱいあるしね。絵本はオレにとってありがたいんだよね」

 

 

 

「このドキュメンタリーの核心なのかもしんないけど、今の初等教育をまともに受けてると駄目になっちゃうんじゃないかなあ、人間。(それは)100%思います。多くのヤツはその初等教育の中で判断基準を失っているよね。自分の正義なんだよね、大事なのは。」

 

「『学校化社会』ってものを綿々と作ってきた悪意を感じるけどね。つまり極端に言っちゃったらものを考えない人をつくりたいっていう一派がいたんだろうね。それは何かと言うと多分臨戦態勢だろうね。言ったら動けって。子どもの教育の基本的なことは「先生の言うことは聞け」ってことじゃない?前向いて静かにしろって感じでね。これはどういう人格作るんだっていったら、それは臨戦態勢だよね。「突っ込め」って言ったら突っ込む子だよね。『ちょっと待ってください。今これは何が起こっているんですかって』ってことを考えちゃいけない子を作りたいわけだよね。『話せばわかる』っていうような生意気なヤツを作らないように。(だから)『色々な意見があるんじゃないですか』っていうような生意気な意見を言おうよって思うわけよね、今。あえて。」

 

 

 

僕は彼の「じょうぶな頭とかしこい体を作るために」(1991)という作品が好きだ。子ども達の素朴な疑問・悩み・希望に対して五味太郎が真っ向から答えている。何度か教材として使わせてもらったこともある。

 

その本のあとがきで彼はこう書いている。

 

「自分でやるしかありません。自分で考え、自分で悩み、自分でしかり、自分をはげまし、そして自分を可愛がってゆくしかないのです。そのために結構きつい問題でもなんとかこなせる〈じょうぶな頭〉と、好きは好き、嫌いは嫌いとはっきりわかる〈かしこい体〉が必要なんだろうと思います。」

 

 

僕は五味太郎の考えを支持している。しかしながら五味太郎が否定している初等教育の現場の中にいる。その矛盾とどう折り合いをつけていくか日々悩みながら授業をしている。

 

 

                                                                                     (  )は僕が勝手に書いた言葉