hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

妻と僕(パート4)

ヤマガタさんは例によってすぐに学校の雰囲気に溶け込んだ。放課後行っているバドミントンにも参加していた。僕は昔のことは忘れ、普通にヤマガタさんと喋るようになった。あくまでも普通に、を心がけた。

 

対してアメダさんには次第に特別な感情を持って接するようになった。お互いザ・ブームを聴いていると知ると、CDを貸し借りした。そして一緒にコンサートに行かないか、と誘った。彼女は快諾し、僕達は一緒に行くことになったが、結果的には他の初任者を含め4人で行くことになり残念な思いをしたのだった。

 

そんな時、いつものようにバドミントンをしようと体育館に行ったら、誰もいなかった。その後ヤマガタさんだけが来た。僕達は用意をすると雑談をし、にこやかに談笑することができた。やっと普通に喋ることができるようになったかな、と思った。

 

その週の土曜日の夜のことである。

 

夕食が終わりテレビを観ていると母に「あんた、ヤマガタさんって知ってる?」と言われた。ヤマガタさん。何故母からその名前が?「知ってるよ。同僚だもの」そう答えると、母は、さらに「あんた、その娘と仲いいんか?」とたたみかけてきた。「はあ?何言ってんの?」と僕。「いや、実は妹(僕にとっては叔母)からあなたに見合いの話が来ててね。それがヤマガタさんって言うのよ」と母。

 

この時ほど「怖ろしい」と思ったことはない。外堀を埋める作戦に出たのか。それにも関わらず僕と談笑していたのか。かなり頭にきた僕は母親に「100%ないよ。」とだけ言って自分の部屋に籠った。

 

学校ではあくまでヤマガタさんとは普通に喋っていた。しかし心の中では怒りの感情が煮えたぎっていた。そしてアメダさんとますます親しくなっていった。

 

年度の終わりが近づいていた。僕は心の中で焦った。「アメダさんとはもうさよならなのか?それは嫌だな。どうする?」

 

そんなことを考えているうちに離任式も終わり、送別会も終わった。僕はアメダさんに何も言えなかった。4月になり、アメダさんの不在を感じながら働いていた。

 

そんな4月上旬の日曜日に電話がかかってきた。アメダさんからだった。「今、近くの体育館にいるの。会えないかな?」。僕は、「もちろん」と答えた。アメダさんはキュロット姿のスポーティーな格好で実家にやって来た。「久しぶり」「元気だった?」と挨拶を交わし、両親に紹介し、ドライブでも行こうか、ということになった。

 

それから土曜か日曜にはアメダさんと時間を過ごすようになった。アメダさんの友だちが僕の勤務校に講師として来ていたので、ある日喋っていたらふと彼女の話になった。「いろいろなところに出かけてるみたいね」「うん」「アメちゃん、付き合ってるかどうか正直よく分からないって言ってたよ」。そうか。俺は「付き合おう」とか「好きだ」とかそんな言葉は言っていなかったからな。

 

でも僕はその頃には、アメダさんといちゃいちゃしたくなっていた。いつも帰り際そのまま帰すのが辛かった。そしてある日意を決して帰り道で「行きたい所があるんだけど」と言った。「いいよ」と彼女は軽く返事をした。僕が向かった先はラブホテルだった。「えっ!」と固まった彼女に「どうする?」と聞いたらしばらく考えて「分かった」と答えた。その答えだけで僕の気持ちは満たされた。僕たちは部屋に入り30分ほどいた。僕が彼女にしてもらったことは膝枕だけだった。「帰ろう」と言って車に乗った僕たちは手を固く繋ぎ合った。それで十分だった。

 

次の日から僕がしたことは、アパート探しだった。彼女といちゃいちゃするのは僕の部屋じゃないと、と強く思ったからだ。2日でアパートを決め、次の日から実家にある数百冊の本、数百枚のレコードやCDを運び、家具を買いに行った。

 

そしてその日の土曜日彼女は僕の家に泊まった。ラブホテルへ行ってから10日ほどのことだった。

 

それ以来彼女は、毎週水曜日の深夜までと、土曜日~日曜日深夜までを僕と過ごすようになった。そのリズムは約2年間続いた。僕は、こんな生活を続けていながらアメダさんのご両親に挨拶にも言っていなかった。そんな折年末に「家に来ない?」と誘われたので父親にぶん殴られることを覚悟で彼女の実家に行った。しかし、両親とも非常に穏やかな人でこんな僕を歓待してくれた。

 

 

僕はある土曜日、行為を終えた後に肘をつきながら横を向いて「一緒に暮らさないか?」と言った。彼女は快諾してくれた。