hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

大学受験もすべり込み

友だちとつるむのをやめて受験勉強を始めたところからだな。

 

まず僕は、英語の勉強を始めた。リーダーとグラマーだっけ?今はどうなってるのかよく分からないけど。とにかくリーダーの勉強を中心に始めた。しかし、さっぱり分からない。質問の意味すら分からない時もあった。しかし不思議なもので繰り返し繰り返し英文を読んでいると何かが見えてくるものである。その時僕は「なんか分かるかも」という感覚だった。そうなると書かれている文章がつながって見えてくる。当然正答率も高くなってくる。あんなに英文を読んだのは人生初だった。

 

これで自信をつけた僕が志望した大学は、地元の国立大学、関西大、立命館だった(私立の2校は地方受験があったから)。それを担任に告げると、「すべり止めに東海大も受けたら?」と言われた。それを聞いて「そうなんだ。俺ってそこら辺に見られているんだ」と思い、更に専修、中央、明治を受けることにした。また「とりあえず東京というところを見てこい」というのが両親の考えだった。国立以外は全部文学部だった。国立大学だけは教育学部にした。←残念ながらこれに深い理由はない。

 

それで結果からいうと、立命館、明治は不合格であとは受かった。共通一次試験(←懐かしいね)は今一つだった僕だったが、関西大に行くことは想定していなかった。家族が、親戚が、近所のおばさんたちが、僕が地元の国立大学に行くことを望んでいたからだ。言葉に出す人もいたし、そうでない人もいた。それについて僕は言いたいことは百ほどあったが我慢していた(もしかしたらそこら辺のことは改めて書くかもしれない)。しかし、両親は関西大の入学金を払ってくれた。そこまでされたら頑張るしかないな、と思いその結果国立大学も合格することができた。

 

でも、関西大の試験は刺激的だったな。現国では文章を読んだうえで自分の意見を書く問題があったが、思い切って結構踏み込んだことを書いたと記憶している。合格を担任に報せると目を丸くしていた。正直言ってざまあみろ、と思った。

 

その前後になるかな。一通の手紙が家に届いた。付き合っている彼女からだった。内容は、「お互い受験頑張りましょう。だからもう会わない」というものだった。つまり僕は体よく振られてしまったわけだ。よくある話である。家族がいたので冷静に読んで冷静に振舞っていたが、心の中は嵐だったか、と言われればどうなんだろう、今となってははっきりしない(この彼女はもしこの記事に大学編があるとしたら再登場する)。

 

秀才は大阪大学、帰国子女は東京の私立へ行くことになった。しかしその間いろいろあった。秀才からは、「オレ、告白したんだけれど・・・うーん・・・」と言われ、帰国女子からは「告白されたの、困る・・・」と言われ、僕としてはどちらにも「そうか・・・」としか言えなかった。母親の言う通り帰国女子からは、はっきりとは言われなかったが好かれているような気がした。一応両者を説得して二人は付き合うことになったが、そんな状態で長持ちするはずがない。秀才には結構恨まれたかもしれない。帰国子女が僕に相談しているのを知っていた節がある。「俺に勉強させてくれ~」と思ったがこういうこと(男女の仲を取り持つ)は初めてのことなので、しかもどうも自分も絡んでいるらしいので、心のどこかで嬉しかった。

 

そして、卒業してみんなバラバラになった。国立大学へ行くことが分かった周りの人達は僕を祝福してくれた。そういうの(周りから期待されること)がずっと嫌だったが、これでもう試験というものから解放されたと思った。